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ジム・ホールを偲んで

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あの「アランフェス協奏曲」でお馴染みのジャズ・ギタリスト、ジム・ホール氏が今月10日ニューヨークの自宅で亡くなったという訃報を聞いた。多くのジャズファンにとって悲しい出来事であったにちがいない。私にとっても彼は、私自身をジャズ音楽という限りなく魅力的な世界に導いてくれたアーチストのひとりだっただけにとても淋しい思いだ。今回はそんな偉大なジャズ・ギタリスト、ジム・ホールに敬意を称したいと思う。 その昔、クラシック音楽一辺倒で本格的なジャズ音楽には違和感を感じていた私をフージョン/クロスオーバーというクールな音楽でジャズへの橋渡しをしてくれたのがジム・ホールであり「アランフェス協奏曲」だった。その意味で私自身のちっぽけなジャズ史に於いて、掛け替えのない存在だったのだ。 私とジム・ホールとの出会いは、何と言っても1975年の大ヒットアルバム「Concierto アランフェス協奏曲」を購入した時から始まる。購入のキッカケなど詳しいことは覚えていないが、アルバムを聴いたときの衝撃は忘れることができない。一見007のション・コネリーを思わせるその風貌にカッコ良さと親しみを覚え、何故か惹きつけられた。どこか人の好さそうな「ジムおじさん」と言った雰囲気も醸し出していて、その演奏スタイルとともに人間的な温かみを感じたものである。 この曲は当時の所謂フージョン/クロスオーバーの代表曲だったのであろうが、私にとってはそんなカテゴリー云々よりも彼らの演奏から受ける心地よさに只々酔いしれたものである。 「ジャズって聴きやすいかも」なんて、ジャズの奥深さも知らず得意気な顔をしていたその頃の自分自身を思うと、恥ずかしい。だが、このジム・ホールの「アランフェス協奏曲」がたとえジャズではなくフージョン/クロスオーバーに分類されようと、未だに多くの人たちに愛され聴き継がれている名曲であることに変わりはないのだから、当時の私の耳も大したものと褒めて頂いても良いのかも知れない。 当時からクラシックの名曲をジャズ化する試みはジャック・ルーシェのバッハをはじめとして前例はいくつかあったが、ジム・ホールの「アランフェス協奏曲」は選曲の意外性もさることながら、それ以上にアレンジの素晴らしさが際立っていたように思う。ジャック・ルーシェのバッハは何処まで行ってもバッハの領域を出ていなかったが、ジム・...

IN MY OPINION:「やはりそうだったか、日展」

恐れていたことが現実となった。先般、11月1日付けの記事IN MY OPINION:「日展の問題から見えてきた審査の本質」で採り上げた日展の不正審査の問題。書道の一部から露呈したこの組織の不正は案の定、洋画や工芸美術の分野にまで及んでいたようである。 更に深刻なのは、日展の現理事長・副理事長が所属するそれぞれの会で半世紀近くこの「不正らしき行為」が行われてきたという事実だろう。 その中で今回特に問題になっているのが、長年に亘りその分野で慣行化していた「日展審査員による事前指導」という奇妙な「下見会」の存在である。(事の詳細は2013年11月20日の朝日新聞朝刊第一面を参照願いたい) 驚くことに、先の理事長、副理事長含め彼らの「下見会」に対する言い分は「作家を育てるためにやっており・・・」や「純粋な勉強会と考えている。」といった事の是非を正当化する発言に終始し、反省の気持ちなどその文面からは到底読み取ることができないものであった。 更に、彼らが強調するのが、「慣例で問題ないと思った・・・」という情けない発言である。 この発言を聞いて先ず思い出すのは、よくある入社式の社長挨拶の常套句である。 例えば、新入職員を前にした入社式での社長挨拶で「現状に満足することなく・・・」や「何事にも疑問の気持ちをもって・・・」などのフレーズである。どれも慣例を鵜呑みにせず、常に否定の気持ちが大切だといった内容で、新人を迎える言葉としては如何にももっともらしい。いま流行りの「イノベーション」を念頭に置いた挨拶なのだろうが、日展のお偉方の言い訳を聞いていると、彼らにこそこのフレーズが最も相応しいのではないかと思ってしまう。 ある意味、滑稽としか言いようがないが、彼らとてその程度の人間なのだと思うと多少諦めもつくが、純粋な気持ちで応募し続けてきた一般応募者の熱意を思うと、他人事とは言えず怒りさえこみ上げてくる。「厳正なる審査の結果、貴殿は不合格」や「不採用」と言った通知の無念さをできることならこうした審査委員らにも味わってもらいたいものである。そう思うと、一般応募者を長年に亘り騙し続けた公益法人「日展」という組織の罪の重さは計り知れない。 前回の記事では日展の新たな健全化のスタートを切に願ったが、今回の新聞記事を読みその期待も虚しく崩れ去ってしまった。ハッキリ言って、この...

やはり「Word ワード」は日本語環境に弱かったのか、そしてマイクロソフトに新たな脅威が・・・

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最近、書店へ行く度に思うことがある。それはiPhoneをはじめとしたスマートフォン関連の書籍が、雑誌も含め極めて目立つようになったことだ。それに対し、パソコン関連書籍は何処へやらと言った感じである。わたし自身はiPhoneを持っているが、そのあまりの多機能さに、その機能を十分に使いこなせていないというのが正直なところ。 その意味ではiPhoneのマニュアル本は必携なのだろうが、ここまで多種多様なマニュアル本が出回っていると、どれを選べばと更に悩まされてしまう。別機種のマニュアル本も含めるとチョッとした棚では収まらず、どこの書店も家電量販店も一大特設コーナーを開設している。 これまでわが国では、こうした同様のブームが何度となく繰り返されてきたことを思うと、「このブームもいつまで続くのやら」とため息ばかりが出てしまうのだが・・・ さて、今回はそんなスマートフォンブームに逆らうかのごとく、パソコン関連の話題である。 実はわたし、iPhoneもiPad miniも両方持っているが、それでも一応現状はパソコン派である。 そのためか、街に出て先述のようなスマートフォン全盛の光景を目の当たりにすると、幾ばくの悲哀を味わっているのが現状である。パソコン全盛期はWindows系の雑誌だけでも数十種類あったであろう状況が、今では悲しきかな数えるほどしか見かけなくなったのが残念でならない。 さて、前置きが長くなりましたが、この手の話題を語ると切りがないので、この辺で本題に入ろう。 今回はパソコン関連の話題と言っても、パソコンソフトであるマイクロソフトの「ワード」の話題である。 そう、あの表計算ソフト「エクセル」と人気、性能、使い易さで双璧をなすソフトウェア界のベストセラー「ワード」にも弱点があり完璧ではないと言うことと、近い将来その歴史上最も厳しい試練が待っているのではと言ったお話である。 日頃、業務でもプライベートでも重宝しているマイクロソフトのワープロソフト「ワード」。 その昔、ワープロ専用機全盛時、わたしは富士通の「OASYS オアシス」を愛用していた。 その当時はNECや東芝など多くのメーカーからもワープロ専用機は販売されていたが、どのメーカーでもドル箱的商品だったと思う。 その専用機もWindows95の出現とともにパソコンの多機能化に圧倒さ...

IN MY OPINION:「日展の問題から見えてきた審査の本質」

阪急阪神ホテルズのレストランメニュー偽装問題が報道されて以降、同じような事例が各地で次々と発覚しているという。かつて牛肉の国内外産の産地偽装や賞味期限・消費期限改ざんの問題など、悪質な食に関する偽装が大きな社会問題として世の中を騒がせたことがあったにも拘らず、同様の事件が繰り返されるということは、殆ど過去の教訓が活かされていないということだ。 哀れな人間の情けない性(サガ)と言ってしまえばそれまでだが、その背景には自分さえ良ければといった利己主義と儲けたいという貪欲さが必ずと言ってよいほど見え隠れしていて、只々呆れるばかりである。こんなことでは隣国の「著作権を無視したコピー問題」などを批判することはできないだろう。事の本質は両者それ程違っていないように思える、節操のなさである。 だが、この問題、問題の本筋以上にいただけなかったのが、その後の謝罪会見である。謝罪会見であったかどうかも疑わしいほどに挑戦的だった出崎社長の一貫した「誤表記」を主張する表情態度は、名立たる組織の最高責任者とは到底思えぬ信じ難いものだった。その無責任さは部外者の我々でさえ腹立たしく感じたのだから、永年使えてきた当該ホテルの従業員の方たちにとっては、到底許し難く信じ難い光景であったに違いない。彼らの心境を考えると、気の毒でならない。 だが、その矢先、この問題に勝るとも劣らぬ情けない事件が新聞の一面を飾っているのに目を疑った。 2013年10月30日の朝日新聞朝刊のトップ記事「日展書道、入選を事前配分」である。事件の詳細については当該新聞等の記事を参照されたいが、要は日展の5つある科の「書」科内で、有力会派での入選数を事前に割り振る不正が行われていたという内容である。簡単に言えば、応募の段階で入選者は既に決まっていたというストーリーである。 事の発端は、2009年度の審査の際、ある日展顧問による「天の声」により、有力8会派に入選者が配分されたという不正審査の実態が内部告発的に明らかになったことだ。 だが、この記事を読んで不正の問題以上に腹立たしかったのは、この時の審査で「8会派に属していない人はひとりも入選しなかった」という悲しい事実である。曲がりなりにも真に才能ある実力者が入選できる道筋が多少なりとも残されていたならばまだしも、最初から道が閉ざされているところに、わざわざ一万...

完璧なアンサンブルに酔う イ・ムジチ合奏団 I MUSICI の定番「四季」を聴く

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ヴィヴァルディの「四季」と言えば「イ・ムジチ」、「イ・ムジチ」と言えば「四季」と言われるほどこの両者の結びつきは長くて強い。そんなイ・ムジチ合奏団のコンサートに先日行ってきた。 2013年10月20日 、会場は横浜みなとみらいホールである。 今回のコンサートのチラシ かつて、この「四季」でクラシック部門のレコード売上げを何か月にも亘りトップであり続けたイ・ムジチ合奏団の脅威のセールスは、今もなお永遠のベストセラーとして語り継がれている。我が国に「四季」ブームを巻き起こしたのもこのイ・ムジチ合奏団だったし、ヴィヴァルディという作曲家をバッハに匹敵するほどメジャーにしたのもイ・ムジチ合奏団だった。当然、現在と当時のメンバーではメンバー構成は入れ替わり等あり異なっているだろうが、彼らの「イ・ムジチ」としての伝統は確実に受け継がれていると当日の演奏を聴いて感じることができた。 そのむかし、中学生か高校生くらいの頃、彼らのベストセラーを何度も聴きこみレコード盤が悲惨な状態になったことがあったが、そんな当時の苦い思い出も今回の演奏を聴き甦ってきた。 遠く40年以上前の話である。 1989年9月収録のイ・ムジチ合奏団「四季」 ソロはフェデリコ・アゴスティーニ(VHSテープ) その当時、ヴィヴァルディの音楽は、同じバロック時代とはいえバッハの音楽とは明らかに違っていることに、未熟ながら気付いていたのはわたしのチョッとした自慢である。だが、それがイタリアとドイツというお国柄の違いからくるものなのか、あるいは世俗社会と教会という身分的な要素に起因するものなのかといったところまでは考えは及ばなかった。 ただ、名曲を片っ端から聴いていた頃だから、そうしたクラシック音楽の微妙な違いを意識し始めるキッカケとなった音楽がヴィヴァルディの「四季」だったように思う。 この曲はヴィヴァルディの数あるヴァイオリン協奏曲集の「和声と創意の試み」と題された作品の第1集最初の4曲を切り離した形で演奏されることが通例になっていて、コンサートの演目でも、CDでもそういった単独で収録されることが多い。わたしたちが普段目にするCDなども、そうした形式で録音されているのがほとんどである。恐らくベートーヴェンの「運命」やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲などに匹敵するほど...

How's everything? COFFEE BREAK: MALTA 「A Letter From September」 from ALBUM「Summer Dreamin'」

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「今年の夏は暑かった!」なんて毎年のように繰り返しているが、確かに今年は歴代の最高気温都市が、これまでの埼玉県熊谷市から高知県四万十市に移り、その最高気温も41.0℃を記録するなど、気象に関する記録をことごとく塗り替えた本当に暑い夏だったのだ。 だが、このところは朝晩はめっきり涼しくなり、秋の気配をハッキリと感じるようになった。そうなると人間というものは欲張りで、あんなにもウンザリしていた夏の暑さが恋しくなる。そんな季節にピッタリの曲が今回紹介する 「A Letter From September」である。サックス奏者MALTAのアルバム「Summer Dreamin'」の中の一曲である。  MALTA 「Summer Dreamin'」 1  Summer Dreamin'  1:11 2  Morning Flight 4:54 3  Sea Express 3:47 4  Ocean Side 4:13 5  Super Wave 2:46 6  All Through The Night 4:08 7  Fancy Walkin' 4:34 8  Sunshine Street 4:47 9  Have A Nice Day 4:01 10  A Letter From September 4:14 11  Summer Dreamin' II 3:00 リリースが1985年ということで収録曲の中にはアレンジ面でチョッと時代を感じてしまうものもあるが、それはそれで「あの時はこうだったな~!」と懐かしく思いながら楽しく聴くことができる。 今回 「A Letter From September」をアルバムの中で最も優れたナンバーとして採り上げたが、このアルバムは実はアルバム全体で一つの物語を構成しているようで、一曲を独立した形で味わい語るのは、もしかして邪道だったのかもしれない。本来、アルバムとは...

IN MY OPINION:「クルム伊達、観客のため息に切れる」それに対し当日駆け付けた観客は怒らないのか?

先日、:「クルム伊達、観客のため息に切れる」という記事を読み、とても残念だった。また、正直なところ腹が立った。誰に腹が立ったのかと言えば、当然のことながらクルム伊達に対してである。 当日、有明コロシアムの試合を観戦していた訳ではないので、偉そうなことは言えないが、テレビのニュースや複数のサイトの記事を読む限り、伊達自身に非があるようにわたしには思えた。 テニスや卓球を経験した人ならお分かりだろうが、長いラリーの末、自らのミスでネットなどしてプレーが途切れた時などは、思わず「ため息」が出るものである。それが大きな大会なら尚のこと、その落胆の度合いも大きいはずである。それは試合観戦の場合も同様ではないだろうか。そんな状況下で「ため息を止めろ」とは甚だ無理な話である。 問題のシーンはタイブレークの接戦の下での伊達のダブルフォルトに端を発し、その瞬間観客から一斉に件の「ため息」が発せられ、その際思わず上記のフレーズを彼女が叫んだという。最もこれ以前から彼女は観客のため息に対しては必要以上にナーバスになっていたらしいが。 これまで自分自身の不甲斐ないプレーに対し、自身を鼓舞するかのように大声で叫ぶプレーヤーを見たことはあったが、今回のようなケースは前代未聞ではないだろうか。 本来、自分を応援してくれる観客に対し敵意をむき出しにしては、その時点で勝敗の行方は伊達側には向いてこないのは当り前。サーブの際に観客が叫んだり、動いたりといったマナー違反があったのならともかく、「惜しい」とか「残念」の意を含んだ「ため息」が観客から出たからと言って、観客の所為にするのは問題をはき違えているとしか思えない。 彼女は自身のブログの中で、「どうして日本人の応援って悪いときはこもる感じになるんだろう??」と述べているが、その受け取り方は自分自身に問題があるからではないだろうか。確かに外国の観客はそれ程「こもらない」かも知れない。それは裏を返せば外国人の応援は日本人ほどクルム伊達を応援していないから「こもる」度合いも小さいし、「ため息」も出ないのだと思う。彼女にとってそれほどに日本人の応援は有難いはずである。そのことを彼女は冷静に考えてほしいと思う。 引退前の現役時代、伊達は、アスリートとしても人間的にも素晴らしい選手だったと思う。 現役復帰後も、かつての若さと力強さを頭...

プーシキン美術館展 フランス絵画300年 個人のマナーと開催運営に問題あり

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2013年7月6日から9月16日まで横浜みなとみらい地区にある横浜美術館でプーシキン美術館展が開かれています。 わたしが出かけたのが9月3日(火)。午前11時に着いたが、開催も終盤のためかチケット売り場は長蛇の列。夏休みの混雑を避けるため9月を狙ったが、どうやら裏目に出たようである。 横浜美術館 正面入り口 横浜美術館と並行してあるのが 最近オープンした「MARK IS みなとみらい」 美術館スタッフに尋ねると、40分待ちとのこと。この後、最終日まで恐らく連日混雑だろうということで、やむを得ず列の最後尾へ。結果的には20分程度でチケットを購入できたが、この間に二度も不快な思いをしたのには呆れるばかりである。 その一つが、列が進む度に後ろのお客からカカトへ再三のキックを受けたこと。もう一つは、いざ購入という時に、順番を守らずわたしを押しのけて行こうとした掟破りのお客がいたことである。実は待ち列は2列で並んでいたのだが、わたしのすぐ後ろの客が偶然にも揃って非常識なお客だったのである。それも所謂「おばさん」と呼べる年代の人たち。ただその二人はどうやら「お仲間」ではなかったようである。あのような状況では、車の渋滞と同じで焦ってもどうしようもないのに、何故アクセクするのだろうか。公共の場でのマナーの悪さが最近目立つが、小中学校の集団ならいざ知らず、実に情けない光景だった。 チケット売り場の列 そうこうしている間に、何とかチケットをゲットし展示会場に向かった。ところが一難去ってまた一難、今度は展示会場入口がお客で溢れているではないか。会場内は秩序というものはほとんどなく、無法地帯そのもの。作品の前でジッと立ち止まり動かないお客。そのため列らしきものはあっても、実態はほとんど進まない。大袈裟な言い方ではなく、実際に会場内を人に触れずに移動することはほとんど不可能な状況だった。その上、ここでも強引に人を押しのけて行く「おばさんパワー」が健在だったことは言うまでもない。 当日券チケット 一般1500円  係員らしき人を何人か見かけたが、誘導どころか、お客に圧倒されているといった方が正解かも知れない。あのような状況では、入場制限が妥当だと思うのだが、残念ながらその気配はほとんど感じられなかった。 美術館というチョッ...

IN MY OPINION:外来語乱用問題とNHKの放送に期待すること

かつて、NHKの放送には「こだわり」と「ポリシー(信条)」があったように思う。 ところが、最近の放送を見ていると残念ながら、そうした自負はほとんど感じられない。 その昔、長髪を理由に「グループサウンズ」が紅白歌合戦に出演できなかったことがあった。当時としては画期的な決断だったのであろうが、その毅然とした姿勢はNHKの「こだわり」と同時に好感を与えるものだった。そうした決断は当時の社会的状況からすると勇気ある行動であり、まさしく逆風だった筈である。しかしながら、そうした行動こそNHKが自身の立ち位置をわきまえた、放送に対し目指すべき姿勢ではないかと思う。 それでは、NHKのこうした姿勢は時代とともにどうして軟化してしまったのだろうか。 先ず思いつくのは、NHK 内部の不祥事問題と視聴率至上主義である。 NHKアナウサーによる暴行事件やプロデューサーの番組制作費不正支出など例を挙げれば切りがないが、そうした不祥事が立て続けに起こった。一方、番組の「やらせ」問題や「プロジェクトX」という番組での事実と異なる放送などが同時多発的に起きた。 一連のこうした事件は当然のことながらNHKの立場を悪くし、やがてその汚点をカバーするために視聴率至上主義という間違った方向を選択したのだろう。こうしたシナリオが容易に考えられる。 ただ、不祥事問題に関して言えは、それが一職員による単独の事件であるとしたら、それは致し方ないことだと思うのだが。数ある職員の中にはそうした良からぬ輩は少なからずいるはずである。それに対し組織として一定の責任をとることは確かにケジメだろうが、それによって組織の方針まで変える必要はないと考えるのは甘過ぎるだろうか。 個人的にはNHKに同情的である。当時、謝罪の特別番組なども放送し改革の姿勢を示したが、それよりも番組の内容で償ってほしかったと思う。 それ以来、NHKは視聴者に対し必要以上に媚を売っているように思えてならない。 その最たる具体例が民放化現象である。お笑いタレントの起用、食べ物を扱った番組構成、民放顔負けの「番宣」攻勢など。そう考えると、そもそもNHKは問題をはき違えているのではないかと思えてくる。独自路線を忘れ、民放の比較的視聴率の取れる番組内容を模倣するような安易な番組制作の道を選んだNHKに、輝かしい未来は見えてこない。...

根強い人気 XIV(エクシブ)伊豆

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2011年8月に投稿した「今年もXIV(エクシブ)伊豆行ってきました。」 もう、2年も経つ記事にもかかわらず、いまだに読んでいただいているようでとても感激しています。 ということは、XIV(エクシブ)伊豆の情報をみなさん欲しがっているということなのでしょうか? 施設側や旅行会社などの資料やパンフでは分からない、実体験に基づく率直な口コミ的情報をみなさん求められているのかもしれません。 また、旅行の場合、宿泊するホテル等は勿論のこと、それ以上に近隣のレジャー施設や自然環境なども選択する上での重要な要素ですから、そうした近隣情報も欠かすことはできません。 その意味では、伊東にあるXIV(エクシブ)伊豆はそうした要望に叶う宿泊施設だと感じています。 実は2012年も3世代家族で2泊3日の旅を楽しんだのですが、何故かこちらのサイトにアップするのを忘れておりました。 当該の記事「今年もXIV(エクシブ)伊豆行ってきました。」は驚くほどのページビューではありませんが、2年前の記事とはいえ地道にカウントを伸ばしております。 そんな訳で、最新情報とは言えませんが(約1年前の情報)、今回は別サイトにアップしたエクシブ2012年版の記事を、ほぼそのままの状態でアップしています。 エクシブ伊豆はこれまで6~7回利用しているが、大室山に登るのはこの時が初めて。 今までどうして行かなかったのが不思議なくらい。 エクシブから近いし、登るにも手ごろなハイキングコースなのに・・・ みなさんの旅行の参考になればと遅ればせの投稿です。   XIV エクシブ伊豆に泊まる...2泊3日の旅 <2012 /08/21~23> 伊豆高原にオワンを伏せたように佇む山が大室山だ。 標高580メートルとはいえアナドルなかれ。 頂上に立つと360度全開の大パノラマが広がる。 何度となくこの地を訪れていたが、 登るのは今回がはじめて。 予想外の絶景にみな興奮気味でした。  (全体のシルエットが撮れなかったのが残念!) (このリフトで稜線上の終点駅まで/かなり急勾配です)   出発駅から終点駅までの高低差139メートル、 その間5分程度で頂上付近の終点駅に到着する。 終...

IN MY OPINION:「世界陸上モスクワ」の放送から感じること

モウクワで現在行なわれている「陸上世界選手権 第14回モスクワ大会」 このところの日本の猛暑ほどではないにしても、それでもモスクワのこの時期としては異例の暑さが続くなかでの競技と聞く。世界のトップアスリートのこと、熱中症なんて心配する必要はないのだろうが、過酷な状況下での各選手の集中力は驚異的である。そんな世界のアスリートの連日の真剣勝負に対しては只々頭が下がる思いだ。改めてご苦労様と言いたい。 それに対し、リラックスムードでテレビ観戦を楽しむことができるこの環境に私たちは感謝しなければならないだろう。そして熱戦を繰り広げるアスリートたちに対しても。 だが、そんな熱い闘いムードをシラケさせることがひとつあることにみなさんは気が付いただろうか。そう、放送の仕方である。コマーシャルが長く多いのはTBSという民放なので致し方ないとしても、あの織田裕二のコメントはいただけない。彼の暴走を何とかコントロールしている中井美穂アナを毎回毎回気の毒に思っているが、観ていて気持ちの良いものではない。これまでの評判から番組進行役を降板する、あるいはさせられるのではと密かに期待していたのだが、スタートしてみれば続投ということでわたし自身大変ショックだった。それならば、少しは過去を反省して多少なりとも自分自身の感情(ペース)をセーブするのかと期待したが、ここ数日の放送を観ている限り一向にその気配は無いようである。 過去の織田氏の世界陸上の放送を観た方はお分かりだろうが、放送中の彼はまるで酒気帯びかと疑うほどのハイテンションかと思えば、急に下を向き考え込んだようになるなど落ち着きがない。番組中の彼の行動はまさにやりたい放題である。仮に、それが役者として番組を盛り上げようとするパフォーマンスだと弁解されても、視聴者側からすれば空回りとしか見えないし、鬱陶しく思えるだけで納得できない。 念のためここで確認しておくが、いま私たち(少なくとも私)視聴者は織田裕二主演の「踊る大捜査線」を観たいと思ってテレビのスイッチを入れた訳ではない。世界の超一流アスリートのパフォーマンスを純粋に観たいと思っているのである。これから始まる筋書きのないスポーツドラマに只々注目したいだけで、そこに変な小細工や演出は必要ないのだ。率直なところ、彼の話は何の役にも立たないし、彼でなければという必然性も何ひと...

IN MY OPINION:緊急地震速報

8日午後4時56分ごろ緊急地震速報が出た。 連日の蒸し暑さが多少和らいだ夕方の時間帯、ダラダラしたムードが一瞬にして緊張へと変わった。そう、震災後何度となく聞いたあの震えるような恐ろしい警鐘音。 久しく聞かなかったので、今回は尚のこと驚きも大きく、身も引き締まった。 幼少のころから、地震に対しては母親譲りのためか人一倍警戒心が強くかった。地震の度に「もうこれで自分もお仕舞いか」といまだに誇大妄想的に振る舞ってしまう自分を情けなく思うが、今回の緊急地震速報は初めて聞いた時以来の強烈な印象だった。 結果的に、誤報ということで災害に対する心配はなくなったが、一方で新幹線をはじめとした交通機関のダイヤを乱すなど社会的混乱を引き起こしたのはまぎれもない事実である。そうなると決まって批判されるのが気象庁や速報システムだが、そうした傾向はわたし自身はおかしいと思う。確かに速報システムも試行段階を過ぎ、ある程度信頼できる精度として稼働し、鉄道関係をはじめとして多くの組織がその速報に基づいて、次なるシステムが始動するという組織的連携がなされている以上、それ相応の重責を担うことは当然のことだが、それだからと言って責任を気象庁に転嫁するは一方的な偏見で、酷なようにも思える。自然という極めて気まぐれで巨大な存在を相手にすることは私たちが想像する以上の難儀と考えるからだ。 それよりも、某FテレビのベテランA女子アナによる緊急地震速報の情けない放送の方がむしろ呆れるばかりの出来事だったと思う。あの段階で情報がまとまっていないのは分かる。だが、途中まで話しては途切れ、また話し出したかと思うと突っかかるというまことに落ち着かない放送は、当該女子アナの普段の放送そのもので今に始まったことではないので特段の驚きはなかったが、こうした緊急時、聞く側としては「分かりやすく正しい情報」が欲しいのである。放送の中で「落ち着いた行動を」と言った常套句の呼びかけが何度かあったが、如何にも形式的で心がこもっていないアナウンスだった。「果たして落ち着くのはどちらなのだろうか?」と疑ってしまう始末。新たな情報と冷静な行動を促されるはずの緊急ニュースが、私にとってはイラつくばかりの精神衛生上極めて良くない波乱番組になっていた。 恐らく学歴、年齢、キャリアでも某Fテレビ局の中では高位の職位にあるはずだが...

IN MY OPINION:「やがて悲しき博士号」 就職難に例外はない

今朝(2013年8月8日 木曜日)の朝日新聞社会面31面に「やがて悲しき博士号」という記事があった。それによると「この春に博士課程を修了した大学院生のうち、非正規雇用の身分で働くなど安定した職に就いていない人が40.1%に上った」ということで、この数値は前年比1.6ポイント増とのことである。 新聞紙上なので、そのことが良いことか悪いことかといった踏み込んだ見解は当然述べられていないが、「高学歴の博士たちが、就職難で苦しんでいる」という実態がいくつかの具体例を交えて報告されていた。 確かに、気の毒な話だというのが記事を読んでの最初の感想だが、高学歴でない人たちもまた同じように空前の就職難で苦しんでいることも、これまた純然とした事実ではないかとも思った。 今更、高学歴者だけを採り上げて問題視するのは的外れで時代遅れのように思えた。 また、この記事によれば、博士課程に進む学生は、20年間で2.5倍に膨らんだという。そうした増加現象は研究や産業技術の高度化に伴い、国が意図的に推し進めた政策の結果であるというが、その背景には長く続く不景気による就職難が大きく影響しているともいえるだろう。つまり、「それなりの優れた技術 や高度な資格を持っていれば就職には苦労しないだろう」という考え方が、「高学歴を目指さないと」という切迫した意識へと繋がったのだと思う。有事の際に安全地帯に逃げ込もうとする心理は人間誰しも同じだろうから。 新聞紙上で紹介されているように、高学歴者が身分不相応な職場で、身分不相応な賃金のもと働いているのは確かに納得いかないおかしな話だろう。しかし一方で、何十社へも履歴書を送り応募したにもかかわらず、書類選考の段階で振り落されている求職者も多いと聞く。彼らからすれば、贅沢な悩みで就職できているだけマシと思われても仕方ないことのように思える。こうした悲観的で当て擦り的な表現はあまり好きではないが、わが身も過去のある時期に多少なりとも同様の経験があったことを思うと、どうしてもそうした表現を避けることはできなかった。 今回の就職難の問題は、高学歴のレベルだけに止まらず、どんなレベルの人たちにとっても一応に厳しく、納得のいかない社会的不条理として私たちみんなに共通に投げかけられている。ただ、そうした矛盾だけを捉えて悲観しているだけでは、何一つ解決には至ら...

IN MY OPINION:「ネット選挙」という言葉がイメージするものとは

米グーグルの日本法人の発表によると、今回の参議院選挙で各政党の公式インターネットサイトを閲覧した有権者の割合は、最高数字の自民党でさえ1%代だったそうである。 つまり、今回の選挙で政党の公式インターネットサイトを参考にし、投票に活かした有権者は非常に少なかったということである。「ネット選挙」元年だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、人々の反応や認識からいろいろのことが見えてきたように思う。 解禁後、初めての選挙と言うことで、当局をはじめマスコミ報道関係者の間では大変注目されていた「ネット選挙」だったが、ふたを開けてみれば一般有権者の関心はそれ程でもなかったようである。このネット選挙に関しては、議員のブログ等の活用に対する是非が解禁以前から問題視されていて、この間かなり議論がなされその成り行きが注目されていた。だが、関係者の盛り上がりだけが目立ち、周りは白けムードだったことが図らずもこの選挙で明らかになった形である。 もっとも選挙戦中盤、あるテレビ曲の放送で「ネット選挙とは?」という街頭での問いかけに「ネットで投票ができるんでしょ」と回答する人が意外に多かったのを見ても、こうしたグーグルの調査結果の数値はある程度想像できたのだが・・・ 確かに、投票率低下の問題や今回のようなネット選挙に対する関心、認識の低さは憂うべき問題に違いないが、今回私が問題にするのは「ネット選挙ではネットから投票ができる」という多くの人たちの認識に対してである。言い換えれば、「ネットは万能」と言ったネットへの過信(依存)に対する警鐘である。 かつて、インターネットがまったく極々一部の人たちのコミュニケーションツールであった頃、一般の人びとはインターネットの極々一部の機能を知っただけで驚愕の関心を示したものだった。当時の参考書などを見ると、「自宅に居ながらにして米国のホワイトハウスの概要がわかる」的な表現があり、まさしくホームページのことを言っていたのであろうが、そのホワイトハウスの画像がパソコンのディスプレイ上に徐々に表れる様を固唾を呑んで見守ったものである。そう、あの頃はインターネットのすべてが新鮮であり、感動的だったのである。それまで見慣れない不格好な形をしたパソコンケースは、ある意味触るのが怖かったし、取っつきにくい存在だったが、その圧倒的なパワーは感動的であり、...

Windowsの予期せぬ再起動とブルースクリーン、その原因は・・・

Windows 8.1 Preview版のアップデート失敗以降、我がデスクトップパソコンの安定性が極めて悪くなった。具体的症状としては、フリーズと予期せぬ再起動そしてブルースクリーンである。 DAD_POOL_HEADER SYSTEM_SERVICE_EXCEPTION SYSTEM_PTE_MISUSE KMODE_EXCEPTION_NOT_HANDLED(usbehci.sys) といったブルースクリーン絡みのエラー ニーモニック がこの間少なくとも4種類出た。 しかも2番目の「SYSTEM_SERVICE_EXCEPTION」が複数回出たほかは、その度ごとにエラー ニーモニック は変化した。 そして、上記のエラー ニーモニック にはそれぞれに次のような共通の説明文が表示されていた 。 *ニーモニックとはパソコンなどが扱う機械語をできるだけ人間が理解できるようにするための命令語。 問題が発生したため、PCを再起動する必要があります。 エラー情報を収集しています。自動的に再起動します。(0%完了) 詳細については、次のエラーを後からオンラインで検索してください。 ******** 上の赤字部分が説明文で、「 * 」部分に上記のエラー ニーモニック が記載されていた。 だが、「0%完了」部分の数字はカウントアップせず、暫く待てば自動的に再起動するかと思ったが、いくら待っても説明文通りの「自動的再起動」はなかった。 この辺りはプログラムの作りの姿勢に問題があるのだろうが、メッセージの表現が非常に分かりづらく、これ以降どうしたらよいのかユーザーは戸惑ってしまう。これはユーザーに対して不親切であると感じた。ただ、エラーメッセージが不親切で意味不明なのは今に始まったことではないのだが・・・ わたしの場合、仕方なく電源ボタンの長押しで無理やり再起動したが、果たしてこれでよかったものかハッキリしないが、システムが起動したので、 メッセージ通りエラーについてネット上で検索したところ、 ソフトウェア絡みではBIOS、デバイスドライバ、アプリケーションなどが最新のバージョンになっているか、あるいはバージョン相違を疑う必要があるとのこと。 ハードウェアではメモリ、HDD、マザーボードの故障乃至は接続不良などをチェック、と...

ジャケ買い天国: シリーズ第4弾「コリーン ジス・ワンズ・フォー・ユウ CORINNE This One's For You」

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CORINNE This One's For You (1999) コリーン ジス・ワンズ・フォー・ユウ 1  Wonderful World 3:50 2  Rescue Me 3:27   3  Just A Minute 3:24 4  This One's For You 4:52 5  Higher Power 3:29 6  Woman In Love 3:59 7  Blamin' It One Love 2:59 8  Keep One 3:57 9  Magical Woman 3:03 10  Whatever It Takes 3:43 11  Let The Music Play 3:25 12  True Love 4:17 13  What A Feeling 3:27 14  Rescue Me (Dance Mix) 3:18 最近のようにジーンズやパンツスタイルが女性ファッションの主流になっていると、このアルバムジャケットのような女性を見かけることはとても珍しくなったように思う。しかし、こうしたキュートな仕草にこそ本来の女性らしさや色っぽさを感じとることができるのではないだろうか。健康的な色気とはこんな何気ないシーンにあるのかもしれない。こんなジャケットに出会ったら、中身はどうあれ買わずにはいられなないのが人の常(?)。恋愛で言うところの「ひと目惚れ」。 斯くして、このアルバムも私のCD蒐集歴で名誉ある(?)「ジャケ買い」の一枚に加わることになったのである。 このアルバムはコリーンのデビューアルバムで、発売されたのは1999年。 当時のアルバムのキャッチコピーを見てみると「21世紀のスーパー・ディーヴァ コリーン」とある。 だが皮肉にも現在、彼女についてはほとんど忘れ去られているようで、ネットでもアルバムは廃盤扱いであり、残...

懐かしのハートカクテル わたせせいぞう

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そう、そのアニメーションとの出合いは何気なくかけたテレビからだった。 日本テレビ系で深夜放送されていた「ハートカクテル」である。イラストレーターの「わたせせいぞう」氏によるもので、一話3分程のスキット風の短編で、どこか切ないけど心温まるラブストーリー集だった。初めてみたストーリーが何話目のものだったのか、詳しいことはほとんど覚えていないがインパクトがあったことは確かである。話の舞台が日本でありながら、どこかコスモポリタン的な世界を思わせる「空気感」もこの作品の魅力のひとつだったのだろう。いつかはこのアニメの世界のような生活を自分もできたらという淡いロマンを抱かせる作品でもあった。放送が待ち遠しかったことや、これまでの見逃した話などもたくさんあったので、レンタルビデオを借りてその後一気に観てしまった記憶がある。 それほどまでに夢中になった「ハートカクテル」も何時しか私の脳裏から消え去り、ダビングしたVHSの行方もわからないままだ。何冊か揃えた「ハートカクテル」のコミックブックなどもあったが、恐らくブックオフ行きという悲惨な結末になったはずである。自身が歳をとり、「ハートカクテル」などと言っていられない年代になったからと想像するが、とても残念なことをしたと思っている。 今回はそんなロマン溢れる時代に一大ブームとなった「わたせせいぞう」氏の出世作「ハートカクテル」のお話をしよう。 先日ネットを見ていると、ハートカクテルのオリジナルCDをタワーレコード限定で発売という記事を読み(実は2012年8月に既に発売されていたのだが)、懐かしさのあまり、当時のノリで買ってしまったが、考えてみればこのアルバムもLPレコードで持っていたはずである。レコードはすべてとってあるので、恐らく物置奥のダンボール箱を探せば出てくるだろう。 先日、懐かしさのあまり購入してしまった「ハートカクテル Vol.1」 購入したアルバムはハートカクテルCDシリーズの「Vol.1」でアルバム全体を松岡直也が担当している。アニメーションのバックに流れる曲は、その中では当然のこととして一曲丸ごとは使われていない。その点CDでは一曲全体を聴くことができるので、アニメのときとは別の楽しみ方ができる。 一般のサウンドトラック盤の映画CDの魅力はそんなところにあるのだろう。 人の記憶...

「Windows8.1 Preview」版のアップデートが上手くいかない、そして新たな問題「entrusted」とは?

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~「Windows8.1Preview」版アップデート失敗後の後遺症あれこれ~ 先ず本題に入る前に、あるIT用語について再確認しておこう。 それは「ホームページ」という用語である。現在、「ホームページ」というとWebサイト・Webページ全体をイメージするのが一般的だが、当初はWebブラウザ起動時に最初に表示されるページが「ホームページ」とされていた。その後、サイトのトップページのことを指すようになり、今ではサイト全般を意味するように拡大解釈されるようになった。 とは言え、用語(言葉)なんて所詮は流動的なもので、時代を遡れば多くの言葉が同じ運命を辿ってきたのではないだろうか。極端には、本来の意味とはまったく逆の意味で使われていたり、上記の事例のように意味が拡大解釈されて使われている事例などは驚くほど多い。例えば、IT用語の中に今トレンドの「Wi-Fi」というのがあるが、これは現在では無線LAN 接続全般を意味しているようだが、当初は幾分ニュアンスが違っていた。 無線LANの初期段階は各メーカーの無線機器(無線LANルーター、USBアダプター子機など)はメーカー間の互換性が悪く、同一メーカーの機器同士なら繋がっても、メーカーが異なると途端に繋がらないという厄介なケースが多かった。その後、各メーカー間の協力のもと互換性の高い製品が製造されるようになった。 こうした互換性があり、信頼性のある製品に対し「Wi-Fi」というマークをパッケージに表示し、通常の製品とは区別したのである。「Wi-Fi」という用語などは拡大解釈され使われている最たる事例と言えよう。 ところで、「ホームページ」の話題に戻るが、旧の使われ方、つまり「最初に表示されるページ」として使われている好例として、インターネット・エクスプローラー(IE)の「インターネット オプション」画面にその名残を見ることができる(図1参照)。この画面の「ホームページ」という用語はまさしく「Webブラウザを起動したときに最初に表示されるページ」のことである。これは「Firefox」というWebブラウザのなかでも同じ意味で使われている。 図1 「インターネット オプション」画面 今回採り上げる本題はこのユーザーがWebブラウザを起動したときに最初に表示されるよう設定した「ホームページ」が別のペー...

How's everything? COFFEE BREAK: SCORPIONS 「Still Loving You」

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SCORPIONS スコーピオンズ 「Still Loving You」 from ALBUM 「禁断の刺青 LOVE AT FIRST STING」 1984年 「禁断の刺青 LOVE AT FIRST STING」 Produced by                Dieter Dierks Arranged and mixed by                Dieter Dierks and Scorpions Klaus Meine - Vocals Rudolf Schenker - Rhythm guitars, lead guitars Matthias Jabs -  Lead guitars, rhythm guitars Francis Buchholz - Bass Herman Rarebell - Drums 1984年の発売とあるから、小林克也氏のDJ番組「ベストヒットUSA」全盛時のベストテンを賑わせた一曲だ。自身も恐らくこの番組でこの曲を初めて知ったのだと思う。当時、ロック界はハードロック(HR)中心とはいえ今回のスコーピオンズなどのヘビーメタル(HM)系のグループをはじめとしてグラム、パンクといった、演奏以外の風貌やパフォーマンスで自己主張するようなグループが存在し、カテゴリー的には賑やかな時代だった。 チョッと背伸びをした革ジャンのツッパリお兄さんと年上らしきお姉さんとの絡みのジャケットは当時としてはかなり刺激的でジャケ買い的に思えるが、スコーピオンズというグループも収録曲の「Still Loving You」も既に知っていたということで厳密には「ジャケ買い」ではない。ただ、ジャケットが購入を決定づけたことは疑う余地はない。 このアルバムの発売以前からスコーピオンズはメロディ重視のバンドであったことはよく知られている。もともとHMグループ自体がメロディ重...

2013年7月4日、我が家の愛猫アンが亡くなって3年

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昨日、7月4日は我が家の愛猫アンの命日。 今年で満3年である。 我が家のライティングビューローの上には、生前に私が作った紙粘土製アンの置物(下図)を置いているが、その前にはいつも養命酒のカップで水を供えている。 その水を毎日欠かさず取り替えることが家族の日課であり、気休めにもなっている。 変な話、一日置いておくと水の量が少なくなっているのはどうしてだろうか。不思議である。 筆者が制作したアンの紙粘土彫刻(?) 死後、11年間の記録を一冊のアルバムとした。その時撮りためたアンのデジカメ写真をひとつにまとめパソコンに保存したが、その数は数えきれないほどになっていた。その後もパソコンの意外なフォルダから新たな写真が見つかるなどしているが、今回はそのいくつかと孫がニンテンドーDSで撮った写真などを紹介しよう。きっとアンちゃんも喜んでくれるだろう。 ベランダが大好きで、生前はよくある光景だった。 なかなかカメラ目線をしてくれないアンでした。 2010年5月 孫がニンテンドーDSで撮った1枚 ニンテンドーDSで撮ったもう1枚 2009年9月 物乞いのアン この時ばかりはカメラ目線している。 生前あれほどあったアンの生きた証しは、もうほとんどなくなってしまった。 元気なころは邪魔くさいほどあった厄介な抜け毛も、今では見かけることはほとんどない。 上記画像のベランダにはたくさんのアンの抜け毛が散乱していたのだが、時の流れと、雨風と共になくなってしまった。 *カメラの操作ミスから偶然撮れた画像。今ではとても貴重だ。 2002年12月23日 大好きなベランダでのひととき。 そんな少なくなった痕跡のひとつが、柱に刻まれたアンのツメ跡である。 こればかりは取り替える訳にもいかず、そのままの状態で残っているが今では当時を懐かしむキッカケになっている。 3年という時間は多くのものを一掃してしまった。 でも、私たち家族の一人一人の心の中には依然としてアンは存在している。 これからもずっ~と。

再びWindows8 スタートボタンの話題 「Windows8.1 Preview」版体験記のはずが…

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以前から話題になっていたWindows8のアップデート版「Windows8.1」の試験版(Preview版)が6月26日からインターネット経由でダウンロードが可能になった。 この件に関しては「Windows8「スタートボタン」をなくしたのは一時の気まぐれですか?」という表題で、近々マイクロソフト側から何らかの対応と「スタートボタン」の復活がある旨をお知らせしたが、ようやくマイクロソフトからの具体的な動きがでてきたようだ。 それにしても、繰り返すようだが「スタートボタン」をWindows8で廃止したマイクロソフトの意図が未だに分からない。イノベーションやソルーションといった単語を使うことが昨今のトレンドのようだが、使うことへの違和感は特別ないが、使われ方に対する違和感は大いにある。 本来、イノベーション、レボリューションといった単語は「変化」という意味合いが根底にあり、そこから「革新」「変革」「革命」といった意味に拡がっている。その前提には「調子が悪い」「不便」「無駄」といったマイナス要素(現状に対する不満)が必ずあるはずだ。「悪いもの」を改良してこそ真のイノベーション、レボリューションと言えるのではないだろうか。 ところが、Windowsの「スタートボタン」に関して言えば、私たちはそれ自体に対しこれまで何の不便も感じていなかったし無駄なボタンとも思っていなかった。むしろ昔からの馴染みで使い慣れていたので重宝していたくらいだ。改めて感想を求められれば、「空気のような存在として普段は意識しないが、無くては困る存在」と評価の回答をするだろう。 にもかかわらず、Windows8になって突然の廃止である。必要なものを無くして「イノベーション」を叫んでも説得力はない。こうしたユーザー無視の企業姿勢を続けていけば、やがてはユーザー離れにつながることは必至である。 今回の試験版の発表でも、マイクロソフトはその非を素直に認めていない印象を受けた。それはダウンロードサイトを見ても明らかだ。サイトの概要はアップデート版「Windows8.1」に付随する追加機能の優れた点を強調することに終始し、肝心の「スタートボタン」が何故復活したのかについての言及は皆無である。発売から現在に至る期間、「スタートボタン」が無いがために私たちは相当の不便を強いられてきた。それに対する...

表情から見る人間の本質  ~村木厚子さんの事件に思う~

今日(2013年7月3日)の朝日新聞朝刊の38面に「一生懸命やれば道開く」という表題で、厚労省の村木厚子さんが事務次官に就任したという記事が載っていた。 郵政不正事件の渦中で、テレビドラマ顔負けの信じがたい陰謀の犠牲になりながら、勇気ある行動で無罪判決を勝ち取った村木さんには只々頭が下がる思いだ。 当時、マスコミ各社は彼女を虚偽の公文書を発行した中心と、なかば容疑を決めつけたスタンスで連日報道を繰り返し、彼女は一瞬にして時の人となった。 ふり返ると、この事件は一障害団体による虚偽の申請に基づく公文書により、郵便料金の割引恩恵を長年にわたり受けていたという内容だったが、その虚偽の公文書発行に主に加担したというのが村木さんの容疑だった。ここまでなら、よくある平凡な(よくあっては困るのだが)詐欺事件程度のことだったかもしれないが、この事件の信じがたく許しがたいことは検察側の強引な取り調べと証拠改ざんというオマケがついたことだった。そのため、事件の概要が明らかになってからのマスコミ報道の取り上げ方、話題性から考えると、寧ろオマケの方が発端の事件以上にショッキングであった印象を受ける。 ただ、この件では私自身も偉そうなことは言えないと反省している。 それはテレビに映る村木さんの表情から、「なるほど」と自身の中で安易に容疑を決めつけたことだ。 その時点では何も明らかではなく証明もされていないのに、一瞬とは言え中立な立場をとれなかった当時の自分を情けなく思っている。 見かけで人を判断してはならないとは、昔から言われている教えだが、反面人間の本質もまた表情に表れるというのもまったくの誤りではない。ただ、あの時の村木さんの表情の裏には、私たちの想像を絶するような恐怖心や不信感や怒りなどの様々な感情が占有していたために、あのような硬く厳しい表情になっていたこととは知らず、マスコミ報道のままに体制に傾倒し軽はずみな判断をしたことは、心の片隅でのこととは言え恥ずべきことと思っている。 弁解がましいが、以前から人相を読むというか人の顔を見極めることなどに関しては、ある程度自身があった。例えば、幼いころの写真から現在の有名俳優を推察するようなことや、映画の中で髭をつけたり、特殊メークで変装していても本人を割り当てることなどは比較的自信があったが、今回のこうした判断はそ...

How's everything? COFFEE BREAK: Sadao Watanabe 「ボア・ノイチ BOA NOITE」

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渡辺貞夫 Sadao Watanabe 「ボア・ノイチ BOA NOITE」 from ALBUM 「HOW'S EVERYTHING 」  「ボア・ノイチ BOA NOITE」が収録されている アルバム「HOW'S EVERYTHING 」  < Personnel > Sadao Watanabe (as,sn,fl) Steve Gatt (ds) Eric Gale (g) Dave Grusin (key,arr) Anthony Jackson (el.b) Ralph McDonald (per) Jeff Mironov(g) Richard Tee (key,p) The Tokyo Philharmonic Orchestra Jon Faddis (tp) Arrenged and Conducted by Dave Grusin 「はじめに」でも書いたように、アルバム「HOW'S EVERYTHING 」は「調子はどう?」といった社交辞令の挨拶言葉。そして今回採り上げるその中の収録曲「ボア・ノイチ BOA NOITE」もまた「こんばんは」「ごきげんよう」「おやすみなさい」といった意味合いをもつポルトガル語の挨拶言葉である。作品を書いた渡辺貞夫がこの3つの意味のどれを想定して書いたかは定かでないが、曲が持つ雰囲気は軽快で爽やかである。恐らく、こんな曲が流れていたら人との付き合いも、睡眠もすべて快適ではないかと思う。理屈抜きに心地よい曲である。 1970年代の日本のジャズ界はそれまでの戦前戦後のジャズから新たなものへと移り変わる過渡期だったと思う。山下洋輔、渡辺香津美、増尾好秋、笠井紀美子など実力ある新しいミュージシャンが台頭してきた時代である。その中に渡辺貞夫もいた。 実は当時わたしは生意気にも「日本人のジャズなんて・・・」といったスタンスで、彼らには意図的に背を向けていた。そのため、その当時のことを偉そうに話す資格など到底ないのだが、何故か渡辺貞夫だけは好きだった。1972年から始まった小林克也のDJの「ブラバス・サウンド・トリップ 渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」は愛聴したが、毎週聴くほどの優等生ではなかった。 今思え...

また、また新コーナー!「How's everything? COFFEE BREAK」 まえがき

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まえがき オオインコアナナスを育ててから、もう何年になるだろうか。これまで1年にひとつしか目を出さなかった苞が、今年は4つも同時に見ることができ、とても賑やかだ。これから苞の間から咲き出すであろう黄色い花は短命だが鮮紅色の苞に鮮やかなコントラストを作り出してくれる。 一方、2回の冬を越したハイビスカスは小さいながらもしっかりとした紅色の花を咲かせてくれた。葉の間を遠慮がちに咲いているその姿が何とも健気である。猛暑を前に我が家のベランダはいつになく活気づいている。 ところで、最近皆さんはCDショップへ行っただろうか。そこでまず気がつくのは来客が少なく以前のような活況がないこと。そして驚かされるのは映画のBlu-RayやDVDなどの扱われ方である。 ワゴンに並べられたこうした商品は、バナナの叩売りのごとく極端な廉価で売られているからだ。その中にはかつての名画名作が含まれており、当時の栄光は見る影もない有様で、なんとも悲しい光景を目にすることになる。我々顧客にとって、値段が安いことにこしたことはないが、ここまで低価格で売られていると、落ちぶれた名優や挫折したアスリートを見ているようでなんとも耐え難く、複雑な心境にさせられる。 音楽CDとて映像メディアほどではないにしても、傾向としては同じである。 しかし、それ以上に悲惨なのはそもそもそうしたメディアを扱うショップ自体がなくなってしまう現実ではないかと思う。定期的に通っていたHMVが数年前、横浜のビブレから撤退し、この夏、TOWER RECORDSの2店舗もクローズするという。わたしの身の回りでも確実にこうした現象が起こっているのである。言うまでもなくネットショッピングの台頭による影響なのだろうが、それにしてもそのテンポの速さに圧倒されるばかりである。一顧客としてもとても寂しい現実だが、経営者側はじめ店舗スタッフの心境を察するとその落胆ぶりはわたしなどの比ではないだろう。 アナログがデジタルに変わり、CDやDVDなどのメディア媒体を店頭で販売するという昔ながらの方法がiTunesに代表されるネットからのダウンロードという形態にとって代ろうとしている。そのお蔭で、具体的な例を挙げるまでもなく、私たちのミュージックライフはあらゆる点で格段に便利になった。私自身もその恩恵を大いに享受している一員であるが...