2012年11月10日土曜日

エクスプローラーは動作を停止しました。

「エクスプローラーは動作を停止しました。」の問題を考える。
原因は、やはりバッティング問題にあったか!?

ご自身のPCで「エクスプローラーは動作を停止しました。」という下図のようなメッセージがでて、思った処理ができずに困ったという経験はないだろうか。

*実際は、赤丸の部分には起動中のプログラム名が表示されている。
 利用OSにより画像は若干異なるかもしれない。

わたしは少なくともこれまでに2回あります。
1回はあの最悪のOS「Windows Vista」上でのこと。そして2回目が「Windows 7」上でです。
しかし、ネット等で調べてみるとこの手の問題は意外と多くて、信頼性の高かった「Windows XP」でも発生していて、思った以上に根が深いようです。
そこで今回は、長年にわたりWindowsPC上に付きまとい、わたしたちを悩まし続けてきたこのエラーメッセージについて、わたしのこれまでの経験とわたしなりにどう対応してきたかを述べたいと思います。

  1. エラーメッセージが出たタイミング
    Windows Vistaの場合:
    エクスプローラー上でファイル等の移動をドラック&ドロップで行なうと、「エクスプローラーは動作を停止しました。」というメッセージがでてエクスプローラーが強制終了。

    Windows 7の場合:
    エクスプローラー上でLAN接続の外付けHDD内のフォルダのプロパティを確認しようと右クリックすると、コンテクストメニューが白紙状態で現れた途端、「エクスプローラーは動作を停止しました。」のメッセージが出てエクスプローラーが強制終了。
    因みに、ローカルのフォルダの場合は同じ操作をしても正常にプロパティを開くことができた。

     
  2. どんな対応をしたか
    Windows Vistaのときは、日頃から起動、処理、終了等の動作がすべてに於いて重たいと感じていたので、タイミング的に「Windows 7」にアップグレードしようと考えていたため、この問題をそれ程深刻に考えていなかった。その上、幸いにもアップグレードとともにこの現象は解消されてしまったため、原因を追究するまでに至らずにいた。
    Windows 7では、この現象に気が付いたのが最近のことで、そのとき考えたのが直近、乃至は最近行った処理、ソフトのアップグレード、ドライバの更新、アプリケーションのインストールと新たなハードウェアの接続があったかどうかなどを思いだしメモった。(トラブルの際の基本ですよね)
    直近ではたいした操作はしていなかったので、ここ数週間前に的を絞り、老化した記憶力に気合を入れ操作履歴を辿った。その結果いくつかのフリーソフトのインストール、動画のファイル変換処理、BlueTooth機器の接続などを行ったことを思い出す。
    ネットを参考にすると、
    A.「Quick TimeとSafari」を削除すると回復した。

    B.いくつかのコーデックの競合が原因。

    C.エクスプローラーのフォルダオプションの表示タブで、「詳細設定」欄の「フォルダとデスクトップの項目の説明をポップアップで表示する」のチェックを外す。

    などの対応処置で解決したという事例が報告されているが、いずれを試してもわたしの場合は解決には至らなかった。

    その他独自対応として

    いきなりPDF from スキャナ 2(ソースネクスト)、PDForsell 2(フリーソフト)、
    Hand Brake(フリーソフト)、My Babylon ToolbarなどをPC上から削除してみたが、影響はなかってようである。

    最後にBlueTooth機器の関係で,
    以前使用していたBlueTooth機器のドライバ「Bluetooth Stack for Windows by Toshiba」が削除されないまま残っていたので、これをアンインストールしたところ、なんと正常にプロパティを開くことができた。
    諸悪の根源はわたしのPC上に限って言えば、ドライバ「Bluetooth Stack for Windows by Toshiba」だったのだ。

    実は、このBlueTooth機器ドライバの存在に気付くまでに、いま一つエピソードがあったので紹介しておこう。
    ネット上の解決策を一通り試みた後、解決に至らなかったので、このときもなかば諦め気味で、Windows 7のときと同様に「Windows 8へアップグレードすれば解決するだろう。」くらいに軽く考えていた。
    そのため、発売早々に購入していたWindows 8 Proが手元にあったので、最終手段としてアップグレードを試みることにした(本当は8へのアップグレードはもう少し様子見したかったのだけれど・・・)。
    「これで厄介な問題とはおさらばだ。」と楽観的だったが、アップグレード作業を終え、問題の外付けHDD上のフォルダのプロパティを開こうとすると、なんと今回は修復されていなかったのだ。

    内心焦った。操作のおぼつかないWindows 8で問題解決を試みるのは更に厄介だ。
    「アップグレードしなければよかった!」なんて後悔しても遅い。

    そんなとき、アップグレード作業の最終段階で「Bluetooth Stack for Windows by Toshiba」は互換性がないといった内容のメッセージが確かポップアップされたことを思い出した。
    Windows 8では動作しないし、既にそのUSB接続のBlueTooth機器もPCから外していたので、そのドライバを削除しても支障はないと判断し、早々に削除した。
    念のため、例のフォルダのプロパティを開くと、正常に開くことができた。

    これが原因を付き止めるに至った経緯である。
    つまり、全くの偶然の産物であった訳である。
  3. この問題に対するわたしなりの見解
    ネット上にある解決策はどれも正しいとも、正しくないとも言えないと思う。
    ある人のPC環境ではAの対応策が適応しても、別のPC環境では必ずしもAは通用しないという事実から、ソフト間のバッティング問題が大きく関係していと考えられる。
    つまり、この問題に関しては万能型解決策はないというのが結論だ。

    ソフト間のバッティングの問題はパソコンの黎明期から存在していたことで、むしろソフト、ハードのメーカー等の努力で最近は以前より少なくなったように感じている。
    ただ、依然として存在するのも事実であり、とても複雑で厄介な問題であることに変わりはない。
    これに対しWindows OSのメーカーであるマイクロソフトはこの間、この問題に関しそれ程積極的な対応をしてこなかったように思う。
    かと言って、ネット上にある無数のフリーソフトやハードウェアとの互換性を一つ一つ検証するのは現実的ではないし、問題解決をマイクロソフトだけに求めるのもまた酷な話であろう。

    また、あるフリーソフトがバッティングの原因だったとしても、その作者に責任を求めるのは、その提供が悪意でない限り、筋違いだと思う。
    フリーソフトの利用に関しては、ある意味利用者の責任において云々の世界だと思う。
    開発者のこうした問題への更なる配慮に期待はするものの、ネット上に無償で提供頂いているフリーソフトの恩恵をわたしたちは少なからず受けている以上、利用に際してはそのフリーソフトのプレビューなどをチェックするなど、わたしたちなりの注意努力も必要であろう。
    重要なのは、こうしたトラブルに遭遇した時、多くの人たちが自身の解決事例をネット上などに積極的に公開することだと思う。
    情報を共有し、ケーススタディー的に活用することが肝要だと思う。
    より多くの解決事例はより早い解決につながるはずだ。
    ただ、このバッティングの問題に限っていえば、正直なところ根気と忍耐と弛みない努力が必要ということを覚悟すべきだと思う。

    健闘を祈ります。






2012年10月4日木曜日

アンディ・ウィリアムスを偲んで

「2012年9月25日、アンディ・ウィリアムス84歳で死去」というニュースをサイトで知った。

正直、最近の私の生活の中では、ほとんどその名前を意識することはなかったアンディ・ウィリアムス。だが、2か月くらい前に、偶然にもこのお得盤アルバムをタワーレコードで買い、聴いたばかりだったのだ。



彼の、映画音楽をはじめとする代表曲とクリスマス・ソングを集めた3枚組のアルバムだ。
その時、久々に聴いたアンディは、記憶にあったアンディそのもので、甘く、せつなく、ある時は軽やかに名曲を歌い上げる。受ける印象はまったく以前と変わらない。
懐かしさと癒しとを感じさせてもらい、本物のボーカリストの上手さを改めて教えてもらった感があった。
最近はどうしているのだろうと懐かしく思っていたのに・・・

そう言えば以前、私はハワイのマウイ島を旅行したことがあった。その時現地のツアーガイドが、ラハイナの街をバスで通った際に、こんな話をしてくれたことを思い出した。
ラハイナにあるシアターのようなところで、アンディ・ウィリアムスがディナーショーをやっているとのことだった。嘘か本当かは定かでないが、往年のアンディがそんなところでショーをやっているなんて信じられなかったし、ちょっと寂しい気持ちにもなった。
でも、「ハワイアン・ウエディング・ソング」も彼の代表曲だし「考えられなくもないな」なんて、いとも簡単に納得したことを今でも覚えている。

アンディ・ウィリアムスを初めて知ったのは、はっきり覚えていないが中学生くらいの頃だったと思う。
当時の私は音楽は洋楽、映画は洋画と、典型的な「向こうかぶれ(注)」少年だった。
環境による要因が大きかったと思うが、当時は日本全体がそんな傾向だったように思う。
アメリカやヨーロッパに憧れ、向こうのものならなんでも良いという時代だったのだ。
いわゆる、ポピュラーソングに目覚めさせてくれたアーチストのひとりだったのだ、アンディは。
ただ、負け惜しみではないが、確かな判断も自分の中ではあったと思う。
なぜなら、アンディ・ウィリアムスのファンになったのだから。本物を見極める目はあったのだ。

当時、彼と同じ路線を行っていたボーカリストはたくさんいたはずだ。
いわゆる「甘いスタンダード・ナンバーを歌う正統派路線」である。
ペリー・コモ、フランク・シナトラ、トニー・ベネットなどなど。
彼らはアンディの先輩で、当時の人気実力とも格上だったのだろうが、
私にとってはそんなことは問題ではなかった。アンディ・ウィリアムスが良かったのだ。

今でこそ、彼らを一纏めに50、60年代の「スタンダード・ナンバー男性ボーカリスト」と呼んでいるが、その当時はそれなりに区分けがされていて一緒ではなかったように思う。
その中でもアンディは当時のロックやポップスのヒットナンバーを逸早く採り上げて、自分のレパートリー化することに長けていた。
その点で彼は他のボーカリストと一線を画していたように私は思っている。
既成のスタンダード・ナンバーに固執することなく柔軟だった点、言い換えれば選曲の妙が成功の最大の秘訣だったと言っても過言ではないだろう。
その時々のヒットナンバーを歌ったのも、若者受けし、追い風になったはずだ。
そうした彼の戦術がやがて彼の個性となり、息の長い歌手になった要因ではないかと思う。

彼のひとつの特徴であり魅力でもあったあの「甘い歌声」は、正直当時は強力な武器・個性にはならなかったと私は思っている。なぜなら、そうした声を持った大御所が当時は先述したように、たくさんいたのだから。「甘い歌声」を持っているということは、残念ながら当時の必要最低限の戦闘ツールをもっているに過ぎなかったのだ。
辛口の見方をすると、あの50、60年代は「甘いメロディー」「甘い歌声」が全盛だったから、それだけでは通用しない時代だったのだろう。
その点、アンディは若者をターゲットにし、ヒットナンバーをレパートリーにしたことで、差別化に成功し新たな路を切り開くことができたのかも知れない。

ところで、アンディ・ウィリアムスの代表曲というと、「ティファニーで朝食を」の主題曲「ムーン・リバー」をみなさん異口同音に挙げる。確かにこの曲は彼の歌唱で大ヒットしたし、オリジナルのサウンド・トラック盤かと錯覚するほど自分のもの(曲)にしていて私も大好きなナンバーだけど、個人的には映画「世界残酷物語」の主題曲「モア」も捨てがたいと思っている。それに「ゴッド・ファーザー」愛のテーマや野生のエルザ「ボーン・フリー」も彼の代表曲に入れたい。
要は、アンディには代表曲がたくさんあって、「ムーン・リバー」一曲で片付けてほしくないということだ。

アンディ・ウィリアムスが活躍した時代は、美しい旋律を持った名曲が数々誕生した。
メロディよりもリズムが持て囃される昨今、あの時代をリアルタイムに経験した私としてはちょっと寂しい思いで今の音楽シーンを見つめている。そうした中で、あの時代のアーチストがまたひとりいなくなるということは更なる悲しみである。
私にとってアンディの存在はノスタルジーの象徴のようなものだったから、大切な思い出を奪われたようで残念でならない。
今はただ、ご冥福を祈りたい。

(注)この場合の「向こうかぶれ」の「向こう」とは外国のことである。よって、「向こうかぶれ」とは本 来、外国へ行った経験のあるものが、日本に帰ってきてその経験を過度に自慢する態度・振る舞いのことであるが、この時の私は外国経験はない。

2012年9月18日火曜日

マウリッツハイス美術館展へ

MAURITSHUIS マウリッツハイス美術館展へ行ってきました
~オランダ・フランドル絵画の至宝~

あの謎めいた瞳を見たいがために 


東京都美術館入口手前にあるオブジェ
 
当日の正面受付の様子

オンラインチケットだったので、代わりにこのチケットをくれた。

わたしが初めてフェルメールの実物を観たのは確か「窓辺で手紙を読む女」という作品で、さらに話を遡るとフェルメールという画家を知ったのも、雑誌等に掲載された「窓辺で手紙を読む女」だった。正直、このときの雑誌の写真からは、特別なものはなにも感じなかった。

ところで、この「窓辺で手紙を読む女」の実物作品との出会いには面白いエピソードがある。
その出会いは、1974年、ドレスデン国立美術館所蔵の作品を展示した「ヨーロッパ絵画名作展」でのことである。場所は国立西洋美術館である。

わたしの記憶では、当時の我が国ではフェルメールはまだまだマイナーな存在だったように思っていたが、この時の公式図録をみると、確かにフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が表紙を飾っていて、主催者側のウリはこの作品だったことに間違いはなさそうだ。どうやら、この頃からフェルメールブームは静かに始まっていたのかも知れない。


「窓辺で手紙を読む女」を表紙にした
当時の「ヨーロッパ絵画名作展」図録  (1974年)
この頃は学生だったので、時間はいくらでもあり、絵画展へはよく出かけていたが、「ヨーロッパ絵画名作展」へはこの「窓辺で手紙を読む女」を観ることが目的だったのかどうか、その辺のことはほとんど自分自身でも記憶がないのだ。
ただ、この作品を見た瞬間の感動だけははっきりと覚えている。
当時、自分自身が大学生だったことを考えると、作品の良し悪し、歴史的背景云々はともかくとして、この作品全体が醸し出すオリジナリティーやエネルギーに圧倒されたのだと思う。それ以降、この作品をきっかけにフェルメールに興味を持っていくのであるから。

「窓辺で手紙を読む女」
このように、この作品との出会いは偶然だったのか、必然だったのか、その辺りは未だに
定かでないが、こうした訳のわからぬ出会いこそ、世に云う「運命的出会い」というのだろうか?
「ちがうって!」と周囲からは否定の声が多いが、わたし自身は頑なに信じている。











冗談はさておき、話を本題に戻そう。

オランダ マウリッツハイス美術館が誇る17世紀オランダ、フランドル絵画のコレクションが東京都美術館にやってくるというニュースを知ったのは、確か4月はじめの朝日新聞紙上でのことだったと思う。
その後、早速公式サイトで前売り券を購入したが、美術館展が始まるのは3か月も先の話である。
とりあえず、いつ行こうか、開始当初は混むだろうし、8月は暑いだろうしと、あれこれ試案していたのだが、その時は確定ないまま月日は流れてしまった。
実は、その気になればいつでも行けると安心していたのだ。今思えば、甘い考えで反省しなければ・・・

やがて、開始日の6月30日も過ぎ、美術館展の様子もチラホラ耳に入るようになると、わたしの心境は穏やかではいられなくなった。連日長蛇の列、1時間、2時間待ちは当たり前などといった、頭を抱えたくなるような悲惨な情報が入ってきたからである。
さらに連日の猛暑と悪条件は重なり、考えただけでも頭はクラクラ熱中症寸前状態だった。

途端にわたしの行く気は薄れ、どうでもいいかと投げやりな気持ちになりかけたそのとき、一瞬わたしの脳裏を駆け抜けるものがあった。そう、あの真珠の耳飾りをつけた青いターバンの少女である。
「あのすべてを見透かすような瞳をして彼女が待っているというのに、行かない訳にはいかないだろう」とわたしの心境は一転。



結局、8月30日(木)に東京都美術館に足を運ぶこととなった。
朝6時に起き、開室の9時30分よりも前に到着を目標に出かけたのである。
幸い、多少並んではいたものの、列は流れていたので待つことなく入場することができた。
「大したことないじゃん!」と内心思いつつ、これも早起きのお陰と自分自身を褒めていた。
実は、後で分かったことだが、1日前の8月29日に来場者50万人を突破したという公式コメントがあったらしい。開幕から僅か54日での出来事である。単純計算で一日平均約一万人が入場したことになる。
そのためか、わたしが訪れた当日は開室時間が多少早められていたようである。

展示会場は「Ⅰ.美術館の歴史」「Ⅱ.風景画」「Ⅲ.歴史画(物語画)」「Ⅳ.肖像画とトローニー」
「Ⅴ.静物画」「Ⅵ.風俗画」の6つのカテゴリーに部屋分けされていて、この流れに沿って鑑賞していくことになる。

今回のお目当ては勿論、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だが、この作品は「Ⅳ.肖像画とトローニー」の部屋に展示されていて、当日はここだけが順番待ち状態(間近で観たい場合)になっていた。
別名「青いターバンの少女」とも呼ばれるこの作品は、作品情報によると縦44.5cm、横39.0cmで、世界的名画の中でも小さい部類にはいるのだろう。
確かに、実際も小さな作品だったが、作品が放つ輝きは大きさを完全に超越していて、そのことで作品価値が損なわれるということはまったくなかった。(とかく、自分の想像よりも実際の作品が小さいと興醒めするということはよくあることだが・・・)


想像したより遥かに小さいこの作品が、どうして多くの人たちを惹きつけるのか。

ところで、この作品は「肖像画とトローニー」というカテゴリーに収められていたが、そもそもトローニーとは何だろう。あまり聞き慣れない用語だが、図録によると人物画の中でも特定できないモデルを描いたもので、独立したジャンルを形成しているとのことである。
写真のように人物を忠実に描くというよりも、人物の性格や内面に趣きを置き、それを如何に表現するかが重要なポイントだそうで、レンブラントが生涯にたくさんの自画像を描いたのもトローニーに拘っていたかららしい。
「真珠の耳飾りの少女」の実物作品を観て、モデルは誰だったのかという謎は、わたしの中で更なる好奇心へとエスカレートしたが、反面、真実を追及する虚しさも感じずにはいられなかった。

こうしたことを思い巡らすのも、実際に会場に足を運び、作品を目の当たりにすればこそと、ちょっと得をした気分で会場を後にした。


帰り、上野公園周辺をちょっと散策しました..................................

前方、東京都美術館ミュージアム
 
旧因州池田屋敷表門黒門
 


東京芸術大学
 
 

旧東京音楽学校奏楽堂
 
 
(2012/08/30 JD)

2012年9月11日火曜日

東日本大震災から1年半 被災地は今・・・


東日本大震災から
1年半
被災地は今・・・


 2012年9月11日、あの痛ましい出来事から1年半が経過した。
 しかし、被災地では未だに仮設住宅等で不自由な生活を強いられている被災者は多い
 また、昨日(9/11)の新聞報道によれば、行方不明者は2814人と信じられない数字である。
 現地では、不明者の捜索が今もなお行われていると聞くが、時間の経過とともに、捜索の困難さは一層厳しさを増すことだろう。
ご家族や関係者のことを思うと心が痛む。
と同時に、捜索に当たられている方々の努力に只々頭が下がる思いだ。
 1日も早い不明者の発見と犠牲者の冥福を祈るばかりである。

死者:15870人
不明者:2814人
 (9月10日現在)