2020年1月14日火曜日

F1解説者、今宮純氏を偲んで

フジテレビ系列のF1放送の解説を初期の段階から担当していた今宮純氏が先日亡くなられた。享年70歳、F1ファンにとっては惜しまれる、あまりに突然の知らせだった。

氏のプロフィールを読むと、慶應義塾大学に在籍中からモータースポーツの世界に関わり、その熱意と情熱は常人ではなかったことがわかる。その頃からあらゆるカテゴリーのモータースポーツに関わり、文字通り生涯スポーツジャーナリストとしてその一生を捧げたと言える。熱心な取材活動、F1実況における丁寧な解説、口調からも氏の温厚で誠実な人柄が感じとれた。時には、込み上げる思いが先行して言葉に詰まる場面もしばしばあったが、そんなことも氏の誠実さと優しさの表れだったのだろう。

ピットの様子 <jganeshによるPixabayからの画像>


そんな今宮氏の人となりをわたしとしては最も感じたシーンがこれだ。
1994年のF1サンマリノGPでのアイルトン・セナの事故死の際の中継である。今宮氏は当時、マクラーレンのチームメイトで最大のライバルだったアラン・プロストよりもアイルトン・セナの方を応援していたはずだ。それはF1中継を長年見続けてきた私たちF1ファンなら誰しも気付いていたことだろう。
解説者、モータージャーナリストという立場上、そのことは安易に言えなかったことだろうが、歴代のF1ドライバーの誰よりもセナのことが好きだったと想像する。

その事故があったときの実況現場のことは私たちテレビを見ているものにとってはわからないことだが、あのとき突然に訪れた残酷な現実、アクシデントに対し、放送現場の関係スタッフ誰もが一瞬時間が止まったように感じたはずである。呆然とする自分と狼狽る自分自身の姿の共存。凍りついたような一瞬だった。夢であって欲しいと祈った。あの場面で今宮氏も同様の思いだったと思う。
だが、その後、氏は我にかえり解説者の立場に戻ったのだ。

「モータースポーツに関わっていると、こうした現実があるけれども、我々はそれを受け入れなければならない」といった内容のコメントを発し、
「次回のモナコGPにはセナはいませんが、F1は続いていくわけです」と解説者としてのコメントを涙を堪えながら述べた。

Ayrton Senna da Silva <Luis CarlosによるPixabayからの画像>


わたしにとっては忘れることのできない印象深いフレーズだった。
「放送中に泣くとは・・・」このことに関してプロ意識に欠けるといった心ない意見も当時あったのかも知れないが、アクシデントの内容とそれまでの氏の人柄を思えば許されるべきことだと思う。今宮氏の人間味溢れる一面を彷彿させるエピソードである。
今思うと、あのときの今宮氏は完全に一セナファンとなり、私たちと同様に悲しみ、涙したのだ。

そんな今宮氏の温厚な人柄は放送中の解説姿勢でも多々見受けられた。
例えば、自分の年齢の半分にも満たない最近のヤンチャなドライバーに対するコメントでも、ドライバーのミスや欠点をストレートに批判するのではなく、そのドライバーの優れた面を讃えるというプラス思考の暖かな眼差しに好感を持てた。言葉を入念に選び、慎重にコメントするのが今宮流で、決して相手を傷つけない配慮が現代という時代においてはとても貴重だっように思える。

2020年、今年のF1はF1史上最多の22戦で行われるとのこと。そんな開催を楽しみにしていたという今宮氏だったが、レース数が増えることでスケジュール的に連戦が増え、ドライバーをはじめピットクルーにとっても過酷なシーズンになることを2019シーズンの後半から気遣っていた今宮氏だったが、2020年のF1サーカスをどう予想していたのだろうか。
今はただ、素晴らしいレースとともに、何事もなくシーズン最終戦を迎えられることを願うばかりである。

思えば、イモラの空の下、ブラジルの英雄アイルトン・セナが早世してから、早いもので四半世紀の時が流れた。
恐らく、今宮氏は大好きだったセナの元へ旅だったのだろう。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ながいことご苦労様でした。

2020.01.14 JDA

2017年8月3日木曜日

ロングテールは何処へやら


かつてeコマースが華々しくネット上にデビューしたころ、盛んにアピールされたのが
ロングテール」という何とも耳慣れない業界用語、IT用語でした。
ロングテールの詳しい内容については、私たちの強い味方wikipediaさんにお任せするとして、ここではその概要だけ簡単に説明し本題に入りたいと思います。

図1のグラフように縦軸を売り上げ、横軸を商品構成とした場合、売り上げと商品構成の関係は図のような右肩下りの曲線を描きます。

ロングテイル
図1 ロングテール図

これは左側のグリーンの部分がヒット商品の売り上げであり、右側レッド部分がマイナー商品の売り上げを表しています。
そして右側の長く伸びた部分が恐竜のシッポのように見えることから「ロングテール」と呼ばれています。

従来型の実店舗であれば、この左側の20%の商品で全体の売り上げの80%を確保ていれば、まずまずの売り上げ実績と考えられ、健全な経営と判断されていました。
そして、マーケティングの世界ではこの考え方がそれまでの通説だったようです。
これがいわゆる2:8の法則(パレートの法則)というもので、「上位の2割で全体の8割を稼ぐ」というものです。
この法則はロングテールを考える上でベースになるのですが、この他にも、ネットにおけるサイトとアクセス数の関係や労働力と成果の関係など、あらゆる関係に当てはまる法則でビジネスの世界では経済動向やマーケティングの分析などに使われているようです。

ちなみに、この法則は社会現象に限らず自然現象においても言えるようですが、過度に当てはめることには異論もあるようです。

そんな中、この2:8の法則という限界を打ち破り、ロングテールに注目し大きな成果をあげたのがご存知Amazonに代表されるネットショップ大手だった訳です。

実店舗では物理的に不可能だったマイナー商品を、ネットの仮想店舗に陳列することにより大きな成果に結びつけたのです。あまり売れない商品でも多くの商品を長期間取り扱っていれば実績に結びつくという現象です。
つまり、これまでの限界を打ち破り、マイナー商品でも商売(勝負)ができるということをネットの世界で証明した訳です。
購買層の薄いマニアックな商品を多種多様に取り揃えておくことは、スペースが限られた実店舗では無理であり、よって最近では売れ筋商品しか置かないという実店舗が増えたのも頷ける話です。

そんな時代の流れの中で、私のようにマイナー志向でへそ曲がりな顧客にとっては、ネットの世界(eコマース)はとても魅力的だった訳です。
多くの時間をかけ、探した挙句、その店には目的のものはなく、取り寄せを依頼し、多くの日にちを費してようやく手にできる本やCDが、ネットの世界では検索で容易に見つけることができ数日で自宅に届くのですから。

これもすべてロングテールという考え方、仕組みのお陰と感謝していたのですが、最近はどうも様子がおかしいようです。


ここからがようやく本題です。
私の個人的な例で説明させていただくと、私は某大手のCD購入サイトで音楽CDのほとんどを購入しているのですが、(まだCD媒体で音楽を購入しているの?なんて言わないでください)一部の商品で商品到着が大幅に遅れることが多くなりました。
遅れる商品のほとんどは当然マイナーCDに分類されるのでしょうが、ロングテールの仕組みはそんなこと関係ないはずです。と思っていました。
その上、サイト上では堂々と「一押しCD」とか「推奨」なんて謳っている商品なんですよ。
これまでに、商品入荷が大幅に遅れていて「入荷待ち」と言われ数ヶ月掛かったこともありますし、極端な例では待たされた挙句、「入手困難」なんてこともありました。
注文から商品到着まで2か月以上要するのは、一般的に考えて正常とは言えないのではないでしょうか。

ここで私が問題にしているのは、注文した商品が無かったということではありません。
そうした入手困難な商品を堂々とサイト上で宣伝していることが問題なのです。
つまり、サイト管理が不十分なのでは?という疑問です。
顧客のマイナー商品の注文に対して、品薄商品で売り切れたとか、メーカーに追加注文した結果、廃盤等の理由で入手できないというのであればまだ納得できますが、はじめから入手不可の商品を大々的に宣伝しているのですから呆れます。

これには昨今のネット広告の仕組みが大きく影響しているのではないかと思われます。
顧客が検索エンジンで検索したキーワードに反応してタイムリーな広告を出せる仕組み、いわゆるグーグルの「インタレストターゲティング」やヤフーの「サーチターゲティング」などの仕組みがそれです。



これらはユーザーの関心・興味などに沿って広告をネット画面に表示してくれますから、ある意味私たち利用者にとってはとても親切で便利な機能です。
ロングテールに属する商品もこうした仕組みからピックアップされて広告欄に並べられる訳です。
しかしながら、その広告が正しく機能するには、サイト内が十分にメンテナンスされているというのが大前提になります。メンテナンスが不十分なサイト内では、廃盤商品を堂々と宣伝してしまうといった弊害が生まれ、誤った情報が載ったサイトを創り上げてしまうのです。
その結果、ユーザーからしてみれば、甚だ人騒がせで迷惑を被る事態がその後待っている訳です。

ロングテールという考え方が提唱され、世に受け入れられてから久しい訳ですが、その都合の良さやメリットを大いに享受している反面、自らが果たすべき役割をネット関連の事業者は「見落とし」てるのではないでしょうか。
ロングテールという考え方はマイナー商品として埋もれていた潜在需要を掘り起こすことに大いに貢献してきた訳ですから、これからも引き続きネット上で活用されるべきと私は考えています。

上述で「見落とし」と表現しましたが、実態が「怠慢」ということであればことはさらに深刻ですが、そうは信じたくありません。
これからも便利で快適なネットショッピングを利用していこうと思っているひとりのユーザーとして、ネット事業者は今回の指摘に真摯に耳を傾けていただきたいと思います。
大いに期待しています。


2016年6月17日金曜日

あの頃、僕のシネマ パラディーゾ: 「アウトサイダー (原題 The outsiders)」


今回紹介する映画はこれまでの作品にくらべると、ずっと新しい作品になります。
トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、マット・ディロン、パトリック・スウェイジ、エミリオ・エステベス、
ロブ・ロウ、トム・クルーズ、そしてダイアン・レインなど、
後にハリウッド映画を代表するスターたちがまるでタイムスリップして同窓会をしているような作品。
それが今回紹介する1983年制作の映画 「アウトサイダー 原題 The outsiders」です。
彼らの若かりし新人時代の演技を見ることができる貴重な作品です。

この映画を最後に観たのはいつだったか?
何れにしてもかなり前のことは確かです。



フランシス・コッポラ監督の作品で、これほどのスターを揃えながら、
不思議なことに、当時は期待したほどのヒット作品にはならなかったのです。
評論家の前評判も酷評が目立ち、出だしからつまずいた作品のようです。


作品が制作された年代(1983年)からすると、日本ではVHSやβのビデオが全盛のころで、
レンタル・ビデオショップが流行っていましたね。
確か、レコードに代わりCD(コンパクト・ディスク)が販売されたのも、この1983年だったように記憶しています。
そう、この時代ってメディアの転換期で、大きく動き始めた時代だったんです。

そんな訳で、わたしもレンタル・ビデオショップでこのビデオ「アウトサイダー」を借りた記憶はあります。
でも、映画の印象は正直なところあまり残っていません。
当時は1日1~2本は借りて観ていましたから、無理もありませんが。
何かその頃は義務感のように映画を観ていたような気がします。
日常のルーチン業務のように。
いま思うと「よくそんな時間があったな~」といった感じです。

それから何年かして偶然に、
スティービー・ワンダーが歌っているこの映画のテーマ曲「Stay Gold」を聞いたのです。
その時はとても感動したのを憶えています。
でも、この時は「Stay Gold」という曲と映画「アウトサイダー」との関連付けができていませんでした。
ようやくテーマ曲と分かった時点で、もう一度映画を観たくなりDVDを買いました。

それ以来、スティービー・ワンダーのアルバムをかなり調べたのですが、
この曲が収録されているアルバムは不思議なことにありませんでした。
シングル盤も発売されず、彼のベスト盤にも入っていなかったのです。
ですから、当時はレコード会社の何らかの事情、意図があってのことと思っていました。
結局、iTunes Storeで単発で購入したのですが、
今思えば、映画のサントラ盤を探せばよかった訳です。

この曲はスティービー・ワンダーがこの映画のために書き下ろしたオリジナルで、
映画全編にわたって流れる切なく悲しい旋律が印象的な曲です。
スティービー・ワンダーの声質でなければダメという人も多いのではないでしょうか。

映画に於ける音楽の役割がとても重要なことは、改めて言及するまでもありませんが、
こんなにも映画と一体となり、情景を盛り上げ、観ている人の心に迫る曲が、
どうしてあの時スルーしてしまったのかは、私自身も信じられません(屈辱感あり)。


さて、テーマ音楽についてはこれくらいにして、本来の映画についても触れておかなければなりません。
原作は米国の作家S・E・ヒントンの小説をコッポラ監督が一目惚れし映画化したものです。

舞台はオクラホマ州タルサ(原作者の故郷でもある)という小さな町。
画面は全体を通してセピアカラーで統一されていてアメリカの古き良き時代を感じさせます。
恋愛、暴力、親子関係などを題材にしていて、多くの若者が抱える苦悩や葛藤がテーマになっています。

トーマス・ハウエル演じる主人公ポニーボーイの回想シーンから始まり、
そこに戻るという形をとっています。
その中で重要なキーワードになっているのがStay Gold(ロバート・フロストの詩 Nothing Gold Can Stay)です。
スティービー・ワンダーのテーマ曲とともに、この映画が一貫してわたしたちに訴えかけるメッセージととれます。
つまり「この世の中には純粋さや汚れない美しさというものはいつかは失われるもの」
だからこそ、それに立ち向かう「Stay Gold(いつまでも純粋でいて!)」ということが大切なんだと。
この言葉は、火事で子供たちの犠牲になり無念の死を遂げた、もう一人の主人公ジョニー(ラルフ・マッチオ演じる)の口から最期のメッセージとして語られます。

さらに相前後しますが、朝焼けを背景に「Nothing Gold Can Stay」の詩をつぶやくポニーボーイのシーンもまたとても印象的で感動します。
コッポラ監督が最も描きたかった場面ではないかと想像できます。

改めてこの映画「アウトサイダー」を観てみると、映画の作りとして多少荒削りなところがあり、
ストーリーが曖昧になるところもありますが、決して安っぽい映画だとは思いませんでした。
映画の完成度という点で、当時青春映画の代表作になり得なかったのかもしれません。
そのためか、テレビ等でもあまり観ることができない作品ですので放送の際は要チェックです。

皮肉なことに、この映画の中ではふたつの死が描かれます。
暴力を最も嫌ったジョニーと暴力を日常としていたダラス(マット・ディロン)のふたりの死。
まったく気質の相反するふたりが、死という共通の結末によって永遠の「Stay Gold」を掴んだように私には思えました。

それにしても、この映画に集った若手俳優たちが、この映画の後ことごとくビッグになり、
彼らすべてが磨きをかける以前の「Gold」の塊だったことを、撮影当時に想像できた人は果たしていたのでしょうか。
そんなことも考えてしまう感慨深い作品です。
こんな作品に出会うと映画の見方が変わりますね。
(cinema_003)
2016/06/17 JDA