やはり「Word ワード」は日本語環境に弱かったのか、そしてマイクロソフトに新たな脅威が・・・
最近、書店へ行く度に思うことがある。それはiPhoneをはじめとしたスマートフォン関連の書籍が、雑誌も含め極めて目立つようになったことだ。それに対し、パソコン関連書籍は何処へやらと言った感じである。わたし自身はiPhoneを持っているが、そのあまりの多機能さに、その機能を十分に使いこなせていないというのが正直なところ。
その意味ではiPhoneのマニュアル本は必携なのだろうが、ここまで多種多様なマニュアル本が出回っていると、どれを選べばと更に悩まされてしまう。別機種のマニュアル本も含めるとチョッとした棚では収まらず、どこの書店も家電量販店も一大特設コーナーを開設している。
これまでわが国では、こうした同様のブームが何度となく繰り返されてきたことを思うと、「このブームもいつまで続くのやら」とため息ばかりが出てしまうのだが・・・
さて、今回はそんなスマートフォンブームに逆らうかのごとく、パソコン関連の話題である。
実はわたし、iPhoneもiPad miniも両方持っているが、それでも一応現状はパソコン派である。
そのためか、街に出て先述のようなスマートフォン全盛の光景を目の当たりにすると、幾ばくの悲哀を味わっているのが現状である。パソコン全盛期はWindows系の雑誌だけでも数十種類あったであろう状況が、今では悲しきかな数えるほどしか見かけなくなったのが残念でならない。
さて、前置きが長くなりましたが、この手の話題を語ると切りがないので、この辺で本題に入ろう。
今回はパソコン関連の話題と言っても、パソコンソフトであるマイクロソフトの「ワード」の話題である。
そう、あの表計算ソフト「エクセル」と人気、性能、使い易さで双璧をなすソフトウェア界のベストセラー「ワード」にも弱点があり完璧ではないと言うことと、近い将来その歴史上最も厳しい試練が待っているのではと言ったお話である。
日頃、業務でもプライベートでも重宝しているマイクロソフトのワープロソフト「ワード」。
その昔、ワープロ専用機全盛時、わたしは富士通の「OASYS オアシス」を愛用していた。
その当時はNECや東芝など多くのメーカーからもワープロ専用機は販売されていたが、どのメーカーでもドル箱的商品だったと思う。
その専用機もWindows95の出現とともにパソコンの多機能化に圧倒され、やがてその姿を消していった。わたしとてその流れに逆らうことなくパソコンへと移行していったひとりだが、その頃のワープロソフトといえばジャストシステムの「一太郎」だった。今でも官庁関係では使っているのか、それとも過去資産活用のために必要としているのか詳しいことは分からないが、それ程に「一太郎」が絶大な人気で主流だったのである。因みにその当時の表計算シフトの主流は「エクセル」ではなくロータスの「Lotus 123」というソフトだった。
そんな既存の絶対的ワープロソフト「一太郎」を米国のソフトメーカーであるマイクロソフトが、その圧倒的なマイクロソフト・マジックパワーで首位の座から引き摺り下ろしたのである。その後の同社の快進撃は誰もが知るところだが、そんな中、一部で囁かれていたのが日本語特有の縦書き等に「ワード」の弱点ありという指摘だった。だが寧ろ、我々使用者側が「縦書き」をあまり必要としないことなどもあって、その弱点は「ワード」にとってそれ程の痛手にはならなかったようである。
また、日本語変換に於いても「ワード」の「IME」よりも「一太郎」の「ATOK」の方が断然変換性能は優れていたが、「IME」はバージョンを重ねる中でかなりのレベルまで変換性能を向上させ「ワード」の牙城を崩すほどの決定的要因にはならなかった。すべては「負け犬の遠吠え」のごとく思えるに過ぎなかった。
そんな無敵のソフト「ワード」だが、最近わたしは思わぬところで、「ワード」の新たな弱点を知ることになる。
それは、「ワード」に付随する「テンプレート」に於いてだ。
今年8月、父親が亡くなったことで先日、新年のあいさつを失礼する「喪中はがき」を作成していた際のことである。
以前来た友人の挨拶状などを参考にしながら文面を考えていたが、そんな時「ワード」にそうした例文のテンプレートがあることを思い出し、それを利用することにした。
早速ネットから背景画像をダウンロードし、文面は「ワード」のテンプレートから借用。
特別凝った文章ではなく、極々一般的な文面でよいと思い、はじめの方に出ている例文を背景にコピー&ペーストし、ところどころをアレンジして全体を確認し印刷完成に至った。
この手の印刷業者泣かせの簡単さで「挨拶状」は作成できた。
と喜んだ瞬間、ある個所に気が付き目が点になった。
だが、それは決定的な誤りなのかどうか一瞬では判断できない微妙な言い回しだったのである。
利用したテンプレートは図1である。
問題の言い回しとはこの「年始年末」という言葉である。単純に「年末年始」の間違いなのか、どうなのか。少なくとも、こうした時期のあいさつ文として相応しい言い回しなのかどうかも判断がつかない。あれこれ考えているよりも平凡なものに手直しする方が妥当と考え、はがきを買い直し作成し直すことにした。
無駄になった枚数16枚。
印刷前に文面を一字一句確認しなかった自分自身に非があることは認めるが、それにしても天下のマイクロソフトのワードである。思い込みが如何に危険かを実体験をもって知ることとなったが、テンプレートに「年始年末」はないだろうと呆れもした。仮にこうしたケースで「年始年末」が通用したとしても、テンプレート例文に載せるべきではないと思うのだが、どうだろう。
こうした何気ないところに「ワード」が日本語に馴染まない所以があるのだと実感した次第である。
今回わたしが利用したのは「ワード」のバージョン2010だが、このことがあって別パソコンにインストールしてあるワード2007でも確認したが、やはりそこにも図1と同じ例文が載っていた。テンプレートというのは古くはソフト自体に組み込まれているものが多かったが、ソフトの軽量化のためか最近のソフトはそのソフトの当該リンクサイトを参照して気に入ったものをダウンロードする形式のものが多くなった。最近のワードは後者の形式をとっているようで、それならそれでサーバー側を修正しておくべきだろう。更に驚いたことには、このテンプレートの評価が☆4つで、わたしが参照した時点で645票の評価を受けていたことだ。
これ以上遡って検証はしなかったが、かなり以前から同例文が使われていたことは確かだ。
指摘されないままここまで来たのか、あるいは立派に通用する「年始年末」の挨拶例文として高評価を受けてきたのかはわたしには分からないが、多くの人たちが参考にすることが予想できるテンプレートならこそ、特殊な言い回しよりも慣用句を優先してもらいたいものである。
こうした指摘も「大海に落とした一滴のインク」のごとく跡形もなく消滅してしまうのだろうが、このような些細なことにもマイクロソフトは耳を傾け、ユーザーを大切にする企業姿勢を見せてほしいものである。
何故なら、現在グーグルやアップルなどクラウド系勢力がハード・ソフトの両面から魅力的なサービスを提供していている上に、更にユーザーにとってはこの上ないアプリを中心としたソフトの無料化の動きが最近あるからだ。
これまでのマイクロソフトはキーボードやマウスなどの一部ハードウェアを製造販売していたものの、あくまでも主力製品はウィンドウズOS、オフィースソフトなどのソフトウェアである。その別勢力のこうした動きに対し、ソフトウェアメーカーのマイクロソフトがどう対応していくのか。
ソフトウェアメーカーがソフトを無料にするのは致命的である。それに代わる何かが無ければ無謀としか言いようがない。最近は「Surface」などのタブレット兼用のパソコンなども販売していて好調とは聞くが、マイクロソフトが後れを取っていて、その状況が厳しいことは誰の目から見ても明確である。今後、ソフトの取り扱いをどうして行くのかなどマイクロソフトの動向には大いに注目したい。
これまで、いくつかの無料オフィース系ソフトがMicrosoft Office(マイクロソフトオフィース)に挑戦したが、その圧倒的シェアーを一変するほどに侵蝕することはできなかった。
例によって、その圧倒的パワーで今回も撥ね退けてしまうのか、だが、今回の敵はこれまでにない強敵である。
今はっきり言えることは、どのような方法手段を取ろうともその対応策の根底に「ユーザーを大切にする」という精神がなければユーザー離れは加速するということである。
「史記」の中に「愚者も一得*」ということわざがあるが、わたしのこの指摘がことわざ通りになれば幸いである。
* 愚かな者も、時には名案を出すことがあるということ。
出典「ポケット判 ことわざ新辞典 日向 一雅 監修 高橋書店」
その意味ではiPhoneのマニュアル本は必携なのだろうが、ここまで多種多様なマニュアル本が出回っていると、どれを選べばと更に悩まされてしまう。別機種のマニュアル本も含めるとチョッとした棚では収まらず、どこの書店も家電量販店も一大特設コーナーを開設している。
これまでわが国では、こうした同様のブームが何度となく繰り返されてきたことを思うと、「このブームもいつまで続くのやら」とため息ばかりが出てしまうのだが・・・
さて、今回はそんなスマートフォンブームに逆らうかのごとく、パソコン関連の話題である。
実はわたし、iPhoneもiPad miniも両方持っているが、それでも一応現状はパソコン派である。
そのためか、街に出て先述のようなスマートフォン全盛の光景を目の当たりにすると、幾ばくの悲哀を味わっているのが現状である。パソコン全盛期はWindows系の雑誌だけでも数十種類あったであろう状況が、今では悲しきかな数えるほどしか見かけなくなったのが残念でならない。
さて、前置きが長くなりましたが、この手の話題を語ると切りがないので、この辺で本題に入ろう。
今回はパソコン関連の話題と言っても、パソコンソフトであるマイクロソフトの「ワード」の話題である。
そう、あの表計算ソフト「エクセル」と人気、性能、使い易さで双璧をなすソフトウェア界のベストセラー「ワード」にも弱点があり完璧ではないと言うことと、近い将来その歴史上最も厳しい試練が待っているのではと言ったお話である。
日頃、業務でもプライベートでも重宝しているマイクロソフトのワープロソフト「ワード」。
その昔、ワープロ専用機全盛時、わたしは富士通の「OASYS オアシス」を愛用していた。
その当時はNECや東芝など多くのメーカーからもワープロ専用機は販売されていたが、どのメーカーでもドル箱的商品だったと思う。
その専用機もWindows95の出現とともにパソコンの多機能化に圧倒され、やがてその姿を消していった。わたしとてその流れに逆らうことなくパソコンへと移行していったひとりだが、その頃のワープロソフトといえばジャストシステムの「一太郎」だった。今でも官庁関係では使っているのか、それとも過去資産活用のために必要としているのか詳しいことは分からないが、それ程に「一太郎」が絶大な人気で主流だったのである。因みにその当時の表計算シフトの主流は「エクセル」ではなくロータスの「Lotus 123」というソフトだった。
そんな既存の絶対的ワープロソフト「一太郎」を米国のソフトメーカーであるマイクロソフトが、その圧倒的なマイクロソフト・マジックパワーで首位の座から引き摺り下ろしたのである。その後の同社の快進撃は誰もが知るところだが、そんな中、一部で囁かれていたのが日本語特有の縦書き等に「ワード」の弱点ありという指摘だった。だが寧ろ、我々使用者側が「縦書き」をあまり必要としないことなどもあって、その弱点は「ワード」にとってそれ程の痛手にはならなかったようである。
また、日本語変換に於いても「ワード」の「IME」よりも「一太郎」の「ATOK」の方が断然変換性能は優れていたが、「IME」はバージョンを重ねる中でかなりのレベルまで変換性能を向上させ「ワード」の牙城を崩すほどの決定的要因にはならなかった。すべては「負け犬の遠吠え」のごとく思えるに過ぎなかった。
そんな無敵のソフト「ワード」だが、最近わたしは思わぬところで、「ワード」の新たな弱点を知ることになる。
それは、「ワード」に付随する「テンプレート」に於いてだ。
今年8月、父親が亡くなったことで先日、新年のあいさつを失礼する「喪中はがき」を作成していた際のことである。
以前来た友人の挨拶状などを参考にしながら文面を考えていたが、そんな時「ワード」にそうした例文のテンプレートがあることを思い出し、それを利用することにした。
早速ネットから背景画像をダウンロードし、文面は「ワード」のテンプレートから借用。
特別凝った文章ではなく、極々一般的な文面でよいと思い、はじめの方に出ている例文を背景にコピー&ペーストし、ところどころをアレンジして全体を確認し印刷完成に至った。
この手の印刷業者泣かせの簡単さで「挨拶状」は作成できた。
と喜んだ瞬間、ある個所に気が付き目が点になった。
だが、それは決定的な誤りなのかどうか一瞬では判断できない微妙な言い回しだったのである。
利用したテンプレートは図1である。
図1 赤字部分が問題の箇所 (*赤色は筆者による) |
問題の言い回しとはこの「年始年末」という言葉である。単純に「年末年始」の間違いなのか、どうなのか。少なくとも、こうした時期のあいさつ文として相応しい言い回しなのかどうかも判断がつかない。あれこれ考えているよりも平凡なものに手直しする方が妥当と考え、はがきを買い直し作成し直すことにした。
無駄になった枚数16枚。
印刷前に文面を一字一句確認しなかった自分自身に非があることは認めるが、それにしても天下のマイクロソフトのワードである。思い込みが如何に危険かを実体験をもって知ることとなったが、テンプレートに「年始年末」はないだろうと呆れもした。仮にこうしたケースで「年始年末」が通用したとしても、テンプレート例文に載せるべきではないと思うのだが、どうだろう。
こうした何気ないところに「ワード」が日本語に馴染まない所以があるのだと実感した次第である。
今回わたしが利用したのは「ワード」のバージョン2010だが、このことがあって別パソコンにインストールしてあるワード2007でも確認したが、やはりそこにも図1と同じ例文が載っていた。テンプレートというのは古くはソフト自体に組み込まれているものが多かったが、ソフトの軽量化のためか最近のソフトはそのソフトの当該リンクサイトを参照して気に入ったものをダウンロードする形式のものが多くなった。最近のワードは後者の形式をとっているようで、それならそれでサーバー側を修正しておくべきだろう。更に驚いたことには、このテンプレートの評価が☆4つで、わたしが参照した時点で645票の評価を受けていたことだ。
これ以上遡って検証はしなかったが、かなり以前から同例文が使われていたことは確かだ。
指摘されないままここまで来たのか、あるいは立派に通用する「年始年末」の挨拶例文として高評価を受けてきたのかはわたしには分からないが、多くの人たちが参考にすることが予想できるテンプレートならこそ、特殊な言い回しよりも慣用句を優先してもらいたいものである。
こうした指摘も「大海に落とした一滴のインク」のごとく跡形もなく消滅してしまうのだろうが、このような些細なことにもマイクロソフトは耳を傾け、ユーザーを大切にする企業姿勢を見せてほしいものである。
何故なら、現在グーグルやアップルなどクラウド系勢力がハード・ソフトの両面から魅力的なサービスを提供していている上に、更にユーザーにとってはこの上ないアプリを中心としたソフトの無料化の動きが最近あるからだ。
これまでのマイクロソフトはキーボードやマウスなどの一部ハードウェアを製造販売していたものの、あくまでも主力製品はウィンドウズOS、オフィースソフトなどのソフトウェアである。その別勢力のこうした動きに対し、ソフトウェアメーカーのマイクロソフトがどう対応していくのか。
ソフトウェアメーカーがソフトを無料にするのは致命的である。それに代わる何かが無ければ無謀としか言いようがない。最近は「Surface」などのタブレット兼用のパソコンなども販売していて好調とは聞くが、マイクロソフトが後れを取っていて、その状況が厳しいことは誰の目から見ても明確である。今後、ソフトの取り扱いをどうして行くのかなどマイクロソフトの動向には大いに注目したい。
これまで、いくつかの無料オフィース系ソフトがMicrosoft Office(マイクロソフトオフィース)に挑戦したが、その圧倒的シェアーを一変するほどに侵蝕することはできなかった。
例によって、その圧倒的パワーで今回も撥ね退けてしまうのか、だが、今回の敵はこれまでにない強敵である。
今はっきり言えることは、どのような方法手段を取ろうともその対応策の根底に「ユーザーを大切にする」という精神がなければユーザー離れは加速するということである。
「史記」の中に「愚者も一得*」ということわざがあるが、わたしのこの指摘がことわざ通りになれば幸いである。
* 愚かな者も、時には名案を出すことがあるということ。
出典「ポケット判 ことわざ新辞典 日向 一雅 監修 高橋書店」
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