表情から見る人間の本質 ~村木厚子さんの事件に思う~
今日(2013年7月3日)の朝日新聞朝刊の38面に「一生懸命やれば道開く」という表題で、厚労省の村木厚子さんが事務次官に就任したという記事が載っていた。
郵政不正事件の渦中で、テレビドラマ顔負けの信じがたい陰謀の犠牲になりながら、勇気ある行動で無罪判決を勝ち取った村木さんには只々頭が下がる思いだ。
当時、マスコミ各社は彼女を虚偽の公文書を発行した中心と、なかば容疑を決めつけたスタンスで連日報道を繰り返し、彼女は一瞬にして時の人となった。
ふり返ると、この事件は一障害団体による虚偽の申請に基づく公文書により、郵便料金の割引恩恵を長年にわたり受けていたという内容だったが、その虚偽の公文書発行に主に加担したというのが村木さんの容疑だった。ここまでなら、よくある平凡な(よくあっては困るのだが)詐欺事件程度のことだったかもしれないが、この事件の信じがたく許しがたいことは検察側の強引な取り調べと証拠改ざんというオマケがついたことだった。そのため、事件の概要が明らかになってからのマスコミ報道の取り上げ方、話題性から考えると、寧ろオマケの方が発端の事件以上にショッキングであった印象を受ける。
ただ、この件では私自身も偉そうなことは言えないと反省している。
それはテレビに映る村木さんの表情から、「なるほど」と自身の中で安易に容疑を決めつけたことだ。
その時点では何も明らかではなく証明もされていないのに、一瞬とは言え中立な立場をとれなかった当時の自分を情けなく思っている。
見かけで人を判断してはならないとは、昔から言われている教えだが、反面人間の本質もまた表情に表れるというのもまったくの誤りではない。ただ、あの時の村木さんの表情の裏には、私たちの想像を絶するような恐怖心や不信感や怒りなどの様々な感情が占有していたために、あのような硬く厳しい表情になっていたこととは知らず、マスコミ報道のままに体制に傾倒し軽はずみな判断をしたことは、心の片隅でのこととは言え恥ずべきことと思っている。
弁解がましいが、以前から人相を読むというか人の顔を見極めることなどに関しては、ある程度自身があった。例えば、幼いころの写真から現在の有名俳優を推察するようなことや、映画の中で髭をつけたり、特殊メークで変装していても本人を割り当てることなどは比較的自信があったが、今回のこうした判断はそうした類のものとはまったく異質なものであることが痛いほど分かった。
新聞紙上であれ、あのような不条理な体験にもかかわらず力強く生きている村木さんの健在ぶりを拝見し、正直ホッとした気持ちである。この場を借りてお詫びしたいと思う。
厚労省の事務次官という役職がどのようなものなのか私にはまったくわからないが、与えられた職務には全力で臨みたいといった内容の前向きな村木さんらしいコメントを聞き安心した。今はただ心からのエールを送りたいという思いでいっぱいである。
郵政不正事件の渦中で、テレビドラマ顔負けの信じがたい陰謀の犠牲になりながら、勇気ある行動で無罪判決を勝ち取った村木さんには只々頭が下がる思いだ。
当時、マスコミ各社は彼女を虚偽の公文書を発行した中心と、なかば容疑を決めつけたスタンスで連日報道を繰り返し、彼女は一瞬にして時の人となった。
ふり返ると、この事件は一障害団体による虚偽の申請に基づく公文書により、郵便料金の割引恩恵を長年にわたり受けていたという内容だったが、その虚偽の公文書発行に主に加担したというのが村木さんの容疑だった。ここまでなら、よくある平凡な(よくあっては困るのだが)詐欺事件程度のことだったかもしれないが、この事件の信じがたく許しがたいことは検察側の強引な取り調べと証拠改ざんというオマケがついたことだった。そのため、事件の概要が明らかになってからのマスコミ報道の取り上げ方、話題性から考えると、寧ろオマケの方が発端の事件以上にショッキングであった印象を受ける。
ただ、この件では私自身も偉そうなことは言えないと反省している。
それはテレビに映る村木さんの表情から、「なるほど」と自身の中で安易に容疑を決めつけたことだ。
その時点では何も明らかではなく証明もされていないのに、一瞬とは言え中立な立場をとれなかった当時の自分を情けなく思っている。
見かけで人を判断してはならないとは、昔から言われている教えだが、反面人間の本質もまた表情に表れるというのもまったくの誤りではない。ただ、あの時の村木さんの表情の裏には、私たちの想像を絶するような恐怖心や不信感や怒りなどの様々な感情が占有していたために、あのような硬く厳しい表情になっていたこととは知らず、マスコミ報道のままに体制に傾倒し軽はずみな判断をしたことは、心の片隅でのこととは言え恥ずべきことと思っている。
弁解がましいが、以前から人相を読むというか人の顔を見極めることなどに関しては、ある程度自身があった。例えば、幼いころの写真から現在の有名俳優を推察するようなことや、映画の中で髭をつけたり、特殊メークで変装していても本人を割り当てることなどは比較的自信があったが、今回のこうした判断はそうした類のものとはまったく異質なものであることが痛いほど分かった。
新聞紙上であれ、あのような不条理な体験にもかかわらず力強く生きている村木さんの健在ぶりを拝見し、正直ホッとした気持ちである。この場を借りてお詫びしたいと思う。
厚労省の事務次官という役職がどのようなものなのか私にはまったくわからないが、与えられた職務には全力で臨みたいといった内容の前向きな村木さんらしいコメントを聞き安心した。今はただ心からのエールを送りたいという思いでいっぱいである。
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