再びWindows8 スタートボタンの話題 「Windows8.1 Preview」版体験記のはずが…
以前から話題になっていたWindows8のアップデート版「Windows8.1」の試験版(Preview版)が6月26日からインターネット経由でダウンロードが可能になった。
この件に関しては「Windows8「スタートボタン」をなくしたのは一時の気まぐれですか?」という表題で、近々マイクロソフト側から何らかの対応と「スタートボタン」の復活がある旨をお知らせしたが、ようやくマイクロソフトからの具体的な動きがでてきたようだ。
それにしても、繰り返すようだが「スタートボタン」をWindows8で廃止したマイクロソフトの意図が未だに分からない。イノベーションやソルーションといった単語を使うことが昨今のトレンドのようだが、使うことへの違和感は特別ないが、使われ方に対する違和感は大いにある。
本来、イノベーション、レボリューションといった単語は「変化」という意味合いが根底にあり、そこから「革新」「変革」「革命」といった意味に拡がっている。その前提には「調子が悪い」「不便」「無駄」といったマイナス要素(現状に対する不満)が必ずあるはずだ。「悪いもの」を改良してこそ真のイノベーション、レボリューションと言えるのではないだろうか。
ところが、Windowsの「スタートボタン」に関して言えば、私たちはそれ自体に対しこれまで何の不便も感じていなかったし無駄なボタンとも思っていなかった。むしろ昔からの馴染みで使い慣れていたので重宝していたくらいだ。改めて感想を求められれば、「空気のような存在として普段は意識しないが、無くては困る存在」と評価の回答をするだろう。
にもかかわらず、Windows8になって突然の廃止である。必要なものを無くして「イノベーション」を叫んでも説得力はない。こうしたユーザー無視の企業姿勢を続けていけば、やがてはユーザー離れにつながることは必至である。
今回の試験版の発表でも、マイクロソフトはその非を素直に認めていない印象を受けた。それはダウンロードサイトを見ても明らかだ。サイトの概要はアップデート版「Windows8.1」に付随する追加機能の優れた点を強調することに終始し、肝心の「スタートボタン」が何故復活したのかについての言及は皆無である。発売から現在に至る期間、「スタートボタン」が無いがために私たちは相当の不便を強いられてきた。それに対するお詫び的なコメントがあって当然と思うのだが。そのため、アップデート版のダウンロード画面に辿り着くのにも一苦労する次第である。今回のような極めて重要なお知らせ(新聞紙上でも大きく掲載された)については分かりやすく目立つようにページ構成するのが誠意ある対応だと思うのだが。
こうした「さり気なく元に戻してしまえ」的な繕い方は、どう見ても「子供の悪戯隠し」と同レベルである。
以上、Windows8自体への不満やマイクロソフトの対応姿勢について言及してきたが、それにも増しての今回の最大の不満はサイトの指示通りにやっても下図のようなメッセージが最終段階で出て、結果的に「Windows8.1」へアップデートできなかったことである。アップデート作業中、別処理を並行して行なっても可というメッセージは出るが、アップデート作業の途中経過に注目したいというのが人情であり、その上、このような不安定な状況では恐ろしくて並行作業など到底できる話ではない。
この間の所要時間、約1時間。あの時間はいったい何だったのだろうと虚しさだけが残るばかりである。ちなみに筆者、この作業を2度行ったが結果はまったく同じだった。敢えて、違いを言えば、2度目のときは上記のメッセージ画面の後、システムが回復されWindows8は一応起動した。その後、この投稿作業を行っていたのだが、突然「問題が発生しました。再起動が必要・・・」と言った内容のメッセージ画面がでてマウスカーソルは消え、操作不能の状態になったことである。その時の画面を残そうと「PrintScreen」キーを押したが、作用せず残念ながら残せなかった。
この投稿でアップデート版「Windows8.1」の体験記をのせる予定だったが、予想外の展開に只々呆れ怒れるばかりである。
何とか今はWindows8として起動しているのが何よりの救いであるが・・・
今回のマイクロソフトのツマズキの発端は早すぎた「Windows8」の導入であり、「スタートボタン」の廃止にあったと私は思っている。アップルやグーグルによるタブレット端末攻勢などに対抗するための焦る心のなせる業としか思えない。マイクロソフトが「スタートボタン」を廃止したことを「イノベーション」と真剣に考えているとは思わないが、流行りの用語を羅列し、本来のものよりも優れているかのような錯覚を与える姑息な手段が目立つ昨今である。どんなにコマーシャルで宣伝しても、使ってみればすぐにわかること。ユーザーを欺くことはできないのである。
横文字を並べ、訳の分からぬコピーの宣伝文句で、自社の製品を格調高く見せるような騙し絵的な商法に振り回されるのは正直もうウンザリである。
この件に関しては「Windows8「スタートボタン」をなくしたのは一時の気まぐれですか?」という表題で、近々マイクロソフト側から何らかの対応と「スタートボタン」の復活がある旨をお知らせしたが、ようやくマイクロソフトからの具体的な動きがでてきたようだ。
それにしても、繰り返すようだが「スタートボタン」をWindows8で廃止したマイクロソフトの意図が未だに分からない。イノベーションやソルーションといった単語を使うことが昨今のトレンドのようだが、使うことへの違和感は特別ないが、使われ方に対する違和感は大いにある。
本来、イノベーション、レボリューションといった単語は「変化」という意味合いが根底にあり、そこから「革新」「変革」「革命」といった意味に拡がっている。その前提には「調子が悪い」「不便」「無駄」といったマイナス要素(現状に対する不満)が必ずあるはずだ。「悪いもの」を改良してこそ真のイノベーション、レボリューションと言えるのではないだろうか。
ところが、Windowsの「スタートボタン」に関して言えば、私たちはそれ自体に対しこれまで何の不便も感じていなかったし無駄なボタンとも思っていなかった。むしろ昔からの馴染みで使い慣れていたので重宝していたくらいだ。改めて感想を求められれば、「空気のような存在として普段は意識しないが、無くては困る存在」と評価の回答をするだろう。
にもかかわらず、Windows8になって突然の廃止である。必要なものを無くして「イノベーション」を叫んでも説得力はない。こうしたユーザー無視の企業姿勢を続けていけば、やがてはユーザー離れにつながることは必至である。
今回の試験版の発表でも、マイクロソフトはその非を素直に認めていない印象を受けた。それはダウンロードサイトを見ても明らかだ。サイトの概要はアップデート版「Windows8.1」に付随する追加機能の優れた点を強調することに終始し、肝心の「スタートボタン」が何故復活したのかについての言及は皆無である。発売から現在に至る期間、「スタートボタン」が無いがために私たちは相当の不便を強いられてきた。それに対するお詫び的なコメントがあって当然と思うのだが。そのため、アップデート版のダウンロード画面に辿り着くのにも一苦労する次第である。今回のような極めて重要なお知らせ(新聞紙上でも大きく掲載された)については分かりやすく目立つようにページ構成するのが誠意ある対応だと思うのだが。
こうした「さり気なく元に戻してしまえ」的な繕い方は、どう見ても「子供の悪戯隠し」と同レベルである。
以上、Windows8自体への不満やマイクロソフトの対応姿勢について言及してきたが、それにも増しての今回の最大の不満はサイトの指示通りにやっても下図のようなメッセージが最終段階で出て、結果的に「Windows8.1」へアップデートできなかったことである。アップデート作業中、別処理を並行して行なっても可というメッセージは出るが、アップデート作業の途中経過に注目したいというのが人情であり、その上、このような不安定な状況では恐ろしくて並行作業など到底できる話ではない。
アップデート作業は正常に終了したかに見えたが、その後以前のバージョンのWindowsに戻す
メッセージが表示されるなどして、最終段階でこのメッセージが表示される。
システムは復元され、Windows8には戻るが、何が原因で更新できなかったのかなど一切なしである。
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この間の所要時間、約1時間。あの時間はいったい何だったのだろうと虚しさだけが残るばかりである。ちなみに筆者、この作業を2度行ったが結果はまったく同じだった。敢えて、違いを言えば、2度目のときは上記のメッセージ画面の後、システムが回復されWindows8は一応起動した。その後、この投稿作業を行っていたのだが、突然「問題が発生しました。再起動が必要・・・」と言った内容のメッセージ画面がでてマウスカーソルは消え、操作不能の状態になったことである。その時の画面を残そうと「PrintScreen」キーを押したが、作用せず残念ながら残せなかった。
この投稿でアップデート版「Windows8.1」の体験記をのせる予定だったが、予想外の展開に只々呆れ怒れるばかりである。
何とか今はWindows8として起動しているのが何よりの救いであるが・・・
今回のマイクロソフトのツマズキの発端は早すぎた「Windows8」の導入であり、「スタートボタン」の廃止にあったと私は思っている。アップルやグーグルによるタブレット端末攻勢などに対抗するための焦る心のなせる業としか思えない。マイクロソフトが「スタートボタン」を廃止したことを「イノベーション」と真剣に考えているとは思わないが、流行りの用語を羅列し、本来のものよりも優れているかのような錯覚を与える姑息な手段が目立つ昨今である。どんなにコマーシャルで宣伝しても、使ってみればすぐにわかること。ユーザーを欺くことはできないのである。
横文字を並べ、訳の分からぬコピーの宣伝文句で、自社の製品を格調高く見せるような騙し絵的な商法に振り回されるのは正直もうウンザリである。
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