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ロングテールは何処へやら

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かつてeコマースが華々しくネット上にデビューしたころ、盛んにアピールされたのが 「 ロングテール 」という何とも耳慣れない業界用語、IT用語でした。 ロングテールの詳しい内容については、私たちの強い味方 wikipedia さんにお任せするとして、ここではその概要だけ簡単に説明し本題に入りたいと思います。 図1のグラフように縦軸を売り上げ、横軸を商品構成とした場合、売り上げと商品構成の関係は図のような右肩下りの曲線を描きます。 図1 ロングテール図 これは左側のグリーンの部分がヒット商品の売り上げであり、右側レッド部分がマイナー商品の売り上げを表しています。 そして右側の長く伸びた部分が恐竜のシッポのように見えることから「ロングテール」と呼ばれています。 従来型の実店舗であれば、この左側の20%の商品で全体の売り上げの80%を確保ていれば、まずまずの売り上げ実績と考えられ、健全な経営と判断されていました。 そして、マーケティングの世界ではこの考え方がそれまでの通説だったようです。 これがいわゆる 2:8の法則(パレートの法則) というもので、「上位の2割で全体の8割を稼ぐ」というものです。 この法則はロングテールを考える上でベースになるのですが、この他にも、ネットにおけるサイトとアクセス数の関係や労働力と成果の関係など、あらゆる関係に当てはまる法則でビジネスの世界では経済動向やマーケティングの分析などに使われているようです。 ちなみに、この法則は社会現象に限らず自然現象においても言えるようですが、過度に当てはめることには異論もあるようです。 そんな中、この2:8の法則という限界を打ち破り、ロングテールに注目し大きな成果をあげたのがご存知Amazonに代表されるネットショップ大手だった訳です。 実店舗では物理的に不可能だったマイナー商品を、ネットの仮想店舗に陳列することにより大きな成果に結びつけたのです。あまり売れない商品でも多くの商品を長期間取り扱っていれば実績に結びつくという現象です。 つまり、これまでの限界を打ち破り、マイナー商品でも商売(勝負)ができるということをネットの世界で証明した訳です。 購買層の薄いマニアックな商品を多種多様に取り揃えておくことは、スペースが限られた実店舗では無理であり、よって最近...

IN MY OPINION:「やはりそうだったか、日展」

恐れていたことが現実となった。先般、11月1日付けの記事IN MY OPINION:「日展の問題から見えてきた審査の本質」で採り上げた日展の不正審査の問題。書道の一部から露呈したこの組織の不正は案の定、洋画や工芸美術の分野にまで及んでいたようである。 更に深刻なのは、日展の現理事長・副理事長が所属するそれぞれの会で半世紀近くこの「不正らしき行為」が行われてきたという事実だろう。 その中で今回特に問題になっているのが、長年に亘りその分野で慣行化していた「日展審査員による事前指導」という奇妙な「下見会」の存在である。(事の詳細は2013年11月20日の朝日新聞朝刊第一面を参照願いたい) 驚くことに、先の理事長、副理事長含め彼らの「下見会」に対する言い分は「作家を育てるためにやっており・・・」や「純粋な勉強会と考えている。」といった事の是非を正当化する発言に終始し、反省の気持ちなどその文面からは到底読み取ることができないものであった。 更に、彼らが強調するのが、「慣例で問題ないと思った・・・」という情けない発言である。 この発言を聞いて先ず思い出すのは、よくある入社式の社長挨拶の常套句である。 例えば、新入職員を前にした入社式での社長挨拶で「現状に満足することなく・・・」や「何事にも疑問の気持ちをもって・・・」などのフレーズである。どれも慣例を鵜呑みにせず、常に否定の気持ちが大切だといった内容で、新人を迎える言葉としては如何にももっともらしい。いま流行りの「イノベーション」を念頭に置いた挨拶なのだろうが、日展のお偉方の言い訳を聞いていると、彼らにこそこのフレーズが最も相応しいのではないかと思ってしまう。 ある意味、滑稽としか言いようがないが、彼らとてその程度の人間なのだと思うと多少諦めもつくが、純粋な気持ちで応募し続けてきた一般応募者の熱意を思うと、他人事とは言えず怒りさえこみ上げてくる。「厳正なる審査の結果、貴殿は不合格」や「不採用」と言った通知の無念さをできることならこうした審査委員らにも味わってもらいたいものである。そう思うと、一般応募者を長年に亘り騙し続けた公益法人「日展」という組織の罪の重さは計り知れない。 前回の記事では日展の新たな健全化のスタートを切に願ったが、今回の新聞記事を読みその期待も虚しく崩れ去ってしまった。ハッキリ言って、この...

やはり「Word ワード」は日本語環境に弱かったのか、そしてマイクロソフトに新たな脅威が・・・

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最近、書店へ行く度に思うことがある。それはiPhoneをはじめとしたスマートフォン関連の書籍が、雑誌も含め極めて目立つようになったことだ。それに対し、パソコン関連書籍は何処へやらと言った感じである。わたし自身はiPhoneを持っているが、そのあまりの多機能さに、その機能を十分に使いこなせていないというのが正直なところ。 その意味ではiPhoneのマニュアル本は必携なのだろうが、ここまで多種多様なマニュアル本が出回っていると、どれを選べばと更に悩まされてしまう。別機種のマニュアル本も含めるとチョッとした棚では収まらず、どこの書店も家電量販店も一大特設コーナーを開設している。 これまでわが国では、こうした同様のブームが何度となく繰り返されてきたことを思うと、「このブームもいつまで続くのやら」とため息ばかりが出てしまうのだが・・・ さて、今回はそんなスマートフォンブームに逆らうかのごとく、パソコン関連の話題である。 実はわたし、iPhoneもiPad miniも両方持っているが、それでも一応現状はパソコン派である。 そのためか、街に出て先述のようなスマートフォン全盛の光景を目の当たりにすると、幾ばくの悲哀を味わっているのが現状である。パソコン全盛期はWindows系の雑誌だけでも数十種類あったであろう状況が、今では悲しきかな数えるほどしか見かけなくなったのが残念でならない。 さて、前置きが長くなりましたが、この手の話題を語ると切りがないので、この辺で本題に入ろう。 今回はパソコン関連の話題と言っても、パソコンソフトであるマイクロソフトの「ワード」の話題である。 そう、あの表計算ソフト「エクセル」と人気、性能、使い易さで双璧をなすソフトウェア界のベストセラー「ワード」にも弱点があり完璧ではないと言うことと、近い将来その歴史上最も厳しい試練が待っているのではと言ったお話である。 日頃、業務でもプライベートでも重宝しているマイクロソフトのワープロソフト「ワード」。 その昔、ワープロ専用機全盛時、わたしは富士通の「OASYS オアシス」を愛用していた。 その当時はNECや東芝など多くのメーカーからもワープロ専用機は販売されていたが、どのメーカーでもドル箱的商品だったと思う。 その専用機もWindows95の出現とともにパソコンの多機能化に圧倒さ...

IN MY OPINION:「日展の問題から見えてきた審査の本質」

阪急阪神ホテルズのレストランメニュー偽装問題が報道されて以降、同じような事例が各地で次々と発覚しているという。かつて牛肉の国内外産の産地偽装や賞味期限・消費期限改ざんの問題など、悪質な食に関する偽装が大きな社会問題として世の中を騒がせたことがあったにも拘らず、同様の事件が繰り返されるということは、殆ど過去の教訓が活かされていないということだ。 哀れな人間の情けない性(サガ)と言ってしまえばそれまでだが、その背景には自分さえ良ければといった利己主義と儲けたいという貪欲さが必ずと言ってよいほど見え隠れしていて、只々呆れるばかりである。こんなことでは隣国の「著作権を無視したコピー問題」などを批判することはできないだろう。事の本質は両者それ程違っていないように思える、節操のなさである。 だが、この問題、問題の本筋以上にいただけなかったのが、その後の謝罪会見である。謝罪会見であったかどうかも疑わしいほどに挑戦的だった出崎社長の一貫した「誤表記」を主張する表情態度は、名立たる組織の最高責任者とは到底思えぬ信じ難いものだった。その無責任さは部外者の我々でさえ腹立たしく感じたのだから、永年使えてきた当該ホテルの従業員の方たちにとっては、到底許し難く信じ難い光景であったに違いない。彼らの心境を考えると、気の毒でならない。 だが、その矢先、この問題に勝るとも劣らぬ情けない事件が新聞の一面を飾っているのに目を疑った。 2013年10月30日の朝日新聞朝刊のトップ記事「日展書道、入選を事前配分」である。事件の詳細については当該新聞等の記事を参照されたいが、要は日展の5つある科の「書」科内で、有力会派での入選数を事前に割り振る不正が行われていたという内容である。簡単に言えば、応募の段階で入選者は既に決まっていたというストーリーである。 事の発端は、2009年度の審査の際、ある日展顧問による「天の声」により、有力8会派に入選者が配分されたという不正審査の実態が内部告発的に明らかになったことだ。 だが、この記事を読んで不正の問題以上に腹立たしかったのは、この時の審査で「8会派に属していない人はひとりも入選しなかった」という悲しい事実である。曲がりなりにも真に才能ある実力者が入選できる道筋が多少なりとも残されていたならばまだしも、最初から道が閉ざされているところに、わざわざ一万...

IN MY OPINION:「クルム伊達、観客のため息に切れる」それに対し当日駆け付けた観客は怒らないのか?

先日、:「クルム伊達、観客のため息に切れる」という記事を読み、とても残念だった。また、正直なところ腹が立った。誰に腹が立ったのかと言えば、当然のことながらクルム伊達に対してである。 当日、有明コロシアムの試合を観戦していた訳ではないので、偉そうなことは言えないが、テレビのニュースや複数のサイトの記事を読む限り、伊達自身に非があるようにわたしには思えた。 テニスや卓球を経験した人ならお分かりだろうが、長いラリーの末、自らのミスでネットなどしてプレーが途切れた時などは、思わず「ため息」が出るものである。それが大きな大会なら尚のこと、その落胆の度合いも大きいはずである。それは試合観戦の場合も同様ではないだろうか。そんな状況下で「ため息を止めろ」とは甚だ無理な話である。 問題のシーンはタイブレークの接戦の下での伊達のダブルフォルトに端を発し、その瞬間観客から一斉に件の「ため息」が発せられ、その際思わず上記のフレーズを彼女が叫んだという。最もこれ以前から彼女は観客のため息に対しては必要以上にナーバスになっていたらしいが。 これまで自分自身の不甲斐ないプレーに対し、自身を鼓舞するかのように大声で叫ぶプレーヤーを見たことはあったが、今回のようなケースは前代未聞ではないだろうか。 本来、自分を応援してくれる観客に対し敵意をむき出しにしては、その時点で勝敗の行方は伊達側には向いてこないのは当り前。サーブの際に観客が叫んだり、動いたりといったマナー違反があったのならともかく、「惜しい」とか「残念」の意を含んだ「ため息」が観客から出たからと言って、観客の所為にするのは問題をはき違えているとしか思えない。 彼女は自身のブログの中で、「どうして日本人の応援って悪いときはこもる感じになるんだろう??」と述べているが、その受け取り方は自分自身に問題があるからではないだろうか。確かに外国の観客はそれ程「こもらない」かも知れない。それは裏を返せば外国人の応援は日本人ほどクルム伊達を応援していないから「こもる」度合いも小さいし、「ため息」も出ないのだと思う。彼女にとってそれほどに日本人の応援は有難いはずである。そのことを彼女は冷静に考えてほしいと思う。 引退前の現役時代、伊達は、アスリートとしても人間的にも素晴らしい選手だったと思う。 現役復帰後も、かつての若さと力強さを頭...

プーシキン美術館展 フランス絵画300年 個人のマナーと開催運営に問題あり

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2013年7月6日から9月16日まで横浜みなとみらい地区にある横浜美術館でプーシキン美術館展が開かれています。 わたしが出かけたのが9月3日(火)。午前11時に着いたが、開催も終盤のためかチケット売り場は長蛇の列。夏休みの混雑を避けるため9月を狙ったが、どうやら裏目に出たようである。 横浜美術館 正面入り口 横浜美術館と並行してあるのが 最近オープンした「MARK IS みなとみらい」 美術館スタッフに尋ねると、40分待ちとのこと。この後、最終日まで恐らく連日混雑だろうということで、やむを得ず列の最後尾へ。結果的には20分程度でチケットを購入できたが、この間に二度も不快な思いをしたのには呆れるばかりである。 その一つが、列が進む度に後ろのお客からカカトへ再三のキックを受けたこと。もう一つは、いざ購入という時に、順番を守らずわたしを押しのけて行こうとした掟破りのお客がいたことである。実は待ち列は2列で並んでいたのだが、わたしのすぐ後ろの客が偶然にも揃って非常識なお客だったのである。それも所謂「おばさん」と呼べる年代の人たち。ただその二人はどうやら「お仲間」ではなかったようである。あのような状況では、車の渋滞と同じで焦ってもどうしようもないのに、何故アクセクするのだろうか。公共の場でのマナーの悪さが最近目立つが、小中学校の集団ならいざ知らず、実に情けない光景だった。 チケット売り場の列 そうこうしている間に、何とかチケットをゲットし展示会場に向かった。ところが一難去ってまた一難、今度は展示会場入口がお客で溢れているではないか。会場内は秩序というものはほとんどなく、無法地帯そのもの。作品の前でジッと立ち止まり動かないお客。そのため列らしきものはあっても、実態はほとんど進まない。大袈裟な言い方ではなく、実際に会場内を人に触れずに移動することはほとんど不可能な状況だった。その上、ここでも強引に人を押しのけて行く「おばさんパワー」が健在だったことは言うまでもない。 当日券チケット 一般1500円  係員らしき人を何人か見かけたが、誘導どころか、お客に圧倒されているといった方が正解かも知れない。あのような状況では、入場制限が妥当だと思うのだが、残念ながらその気配はほとんど感じられなかった。 美術館というチョッ...

IN MY OPINION:外来語乱用問題とNHKの放送に期待すること

かつて、NHKの放送には「こだわり」と「ポリシー(信条)」があったように思う。 ところが、最近の放送を見ていると残念ながら、そうした自負はほとんど感じられない。 その昔、長髪を理由に「グループサウンズ」が紅白歌合戦に出演できなかったことがあった。当時としては画期的な決断だったのであろうが、その毅然とした姿勢はNHKの「こだわり」と同時に好感を与えるものだった。そうした決断は当時の社会的状況からすると勇気ある行動であり、まさしく逆風だった筈である。しかしながら、そうした行動こそNHKが自身の立ち位置をわきまえた、放送に対し目指すべき姿勢ではないかと思う。 それでは、NHKのこうした姿勢は時代とともにどうして軟化してしまったのだろうか。 先ず思いつくのは、NHK 内部の不祥事問題と視聴率至上主義である。 NHKアナウサーによる暴行事件やプロデューサーの番組制作費不正支出など例を挙げれば切りがないが、そうした不祥事が立て続けに起こった。一方、番組の「やらせ」問題や「プロジェクトX」という番組での事実と異なる放送などが同時多発的に起きた。 一連のこうした事件は当然のことながらNHKの立場を悪くし、やがてその汚点をカバーするために視聴率至上主義という間違った方向を選択したのだろう。こうしたシナリオが容易に考えられる。 ただ、不祥事問題に関して言えは、それが一職員による単独の事件であるとしたら、それは致し方ないことだと思うのだが。数ある職員の中にはそうした良からぬ輩は少なからずいるはずである。それに対し組織として一定の責任をとることは確かにケジメだろうが、それによって組織の方針まで変える必要はないと考えるのは甘過ぎるだろうか。 個人的にはNHKに同情的である。当時、謝罪の特別番組なども放送し改革の姿勢を示したが、それよりも番組の内容で償ってほしかったと思う。 それ以来、NHKは視聴者に対し必要以上に媚を売っているように思えてならない。 その最たる具体例が民放化現象である。お笑いタレントの起用、食べ物を扱った番組構成、民放顔負けの「番宣」攻勢など。そう考えると、そもそもNHKは問題をはき違えているのではないかと思えてくる。独自路線を忘れ、民放の比較的視聴率の取れる番組内容を模倣するような安易な番組制作の道を選んだNHKに、輝かしい未来は見えてこない。...

IN MY OPINION:「世界陸上モスクワ」の放送から感じること

モウクワで現在行なわれている「陸上世界選手権 第14回モスクワ大会」 このところの日本の猛暑ほどではないにしても、それでもモスクワのこの時期としては異例の暑さが続くなかでの競技と聞く。世界のトップアスリートのこと、熱中症なんて心配する必要はないのだろうが、過酷な状況下での各選手の集中力は驚異的である。そんな世界のアスリートの連日の真剣勝負に対しては只々頭が下がる思いだ。改めてご苦労様と言いたい。 それに対し、リラックスムードでテレビ観戦を楽しむことができるこの環境に私たちは感謝しなければならないだろう。そして熱戦を繰り広げるアスリートたちに対しても。 だが、そんな熱い闘いムードをシラケさせることがひとつあることにみなさんは気が付いただろうか。そう、放送の仕方である。コマーシャルが長く多いのはTBSという民放なので致し方ないとしても、あの織田裕二のコメントはいただけない。彼の暴走を何とかコントロールしている中井美穂アナを毎回毎回気の毒に思っているが、観ていて気持ちの良いものではない。これまでの評判から番組進行役を降板する、あるいはさせられるのではと密かに期待していたのだが、スタートしてみれば続投ということでわたし自身大変ショックだった。それならば、少しは過去を反省して多少なりとも自分自身の感情(ペース)をセーブするのかと期待したが、ここ数日の放送を観ている限り一向にその気配は無いようである。 過去の織田氏の世界陸上の放送を観た方はお分かりだろうが、放送中の彼はまるで酒気帯びかと疑うほどのハイテンションかと思えば、急に下を向き考え込んだようになるなど落ち着きがない。番組中の彼の行動はまさにやりたい放題である。仮に、それが役者として番組を盛り上げようとするパフォーマンスだと弁解されても、視聴者側からすれば空回りとしか見えないし、鬱陶しく思えるだけで納得できない。 念のためここで確認しておくが、いま私たち(少なくとも私)視聴者は織田裕二主演の「踊る大捜査線」を観たいと思ってテレビのスイッチを入れた訳ではない。世界の超一流アスリートのパフォーマンスを純粋に観たいと思っているのである。これから始まる筋書きのないスポーツドラマに只々注目したいだけで、そこに変な小細工や演出は必要ないのだ。率直なところ、彼の話は何の役にも立たないし、彼でなければという必然性も何ひと...

IN MY OPINION:「ネット選挙」という言葉がイメージするものとは

米グーグルの日本法人の発表によると、今回の参議院選挙で各政党の公式インターネットサイトを閲覧した有権者の割合は、最高数字の自民党でさえ1%代だったそうである。 つまり、今回の選挙で政党の公式インターネットサイトを参考にし、投票に活かした有権者は非常に少なかったということである。「ネット選挙」元年だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、人々の反応や認識からいろいろのことが見えてきたように思う。 解禁後、初めての選挙と言うことで、当局をはじめマスコミ報道関係者の間では大変注目されていた「ネット選挙」だったが、ふたを開けてみれば一般有権者の関心はそれ程でもなかったようである。このネット選挙に関しては、議員のブログ等の活用に対する是非が解禁以前から問題視されていて、この間かなり議論がなされその成り行きが注目されていた。だが、関係者の盛り上がりだけが目立ち、周りは白けムードだったことが図らずもこの選挙で明らかになった形である。 もっとも選挙戦中盤、あるテレビ曲の放送で「ネット選挙とは?」という街頭での問いかけに「ネットで投票ができるんでしょ」と回答する人が意外に多かったのを見ても、こうしたグーグルの調査結果の数値はある程度想像できたのだが・・・ 確かに、投票率低下の問題や今回のようなネット選挙に対する関心、認識の低さは憂うべき問題に違いないが、今回私が問題にするのは「ネット選挙ではネットから投票ができる」という多くの人たちの認識に対してである。言い換えれば、「ネットは万能」と言ったネットへの過信(依存)に対する警鐘である。 かつて、インターネットがまったく極々一部の人たちのコミュニケーションツールであった頃、一般の人びとはインターネットの極々一部の機能を知っただけで驚愕の関心を示したものだった。当時の参考書などを見ると、「自宅に居ながらにして米国のホワイトハウスの概要がわかる」的な表現があり、まさしくホームページのことを言っていたのであろうが、そのホワイトハウスの画像がパソコンのディスプレイ上に徐々に表れる様を固唾を呑んで見守ったものである。そう、あの頃はインターネットのすべてが新鮮であり、感動的だったのである。それまで見慣れない不格好な形をしたパソコンケースは、ある意味触るのが怖かったし、取っつきにくい存在だったが、その圧倒的なパワーは感動的であり、...

また、また新コーナー!「How's everything? COFFEE BREAK」 まえがき

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まえがき オオインコアナナスを育ててから、もう何年になるだろうか。これまで1年にひとつしか目を出さなかった苞が、今年は4つも同時に見ることができ、とても賑やかだ。これから苞の間から咲き出すであろう黄色い花は短命だが鮮紅色の苞に鮮やかなコントラストを作り出してくれる。 一方、2回の冬を越したハイビスカスは小さいながらもしっかりとした紅色の花を咲かせてくれた。葉の間を遠慮がちに咲いているその姿が何とも健気である。猛暑を前に我が家のベランダはいつになく活気づいている。 ところで、最近皆さんはCDショップへ行っただろうか。そこでまず気がつくのは来客が少なく以前のような活況がないこと。そして驚かされるのは映画のBlu-RayやDVDなどの扱われ方である。 ワゴンに並べられたこうした商品は、バナナの叩売りのごとく極端な廉価で売られているからだ。その中にはかつての名画名作が含まれており、当時の栄光は見る影もない有様で、なんとも悲しい光景を目にすることになる。我々顧客にとって、値段が安いことにこしたことはないが、ここまで低価格で売られていると、落ちぶれた名優や挫折したアスリートを見ているようでなんとも耐え難く、複雑な心境にさせられる。 音楽CDとて映像メディアほどではないにしても、傾向としては同じである。 しかし、それ以上に悲惨なのはそもそもそうしたメディアを扱うショップ自体がなくなってしまう現実ではないかと思う。定期的に通っていたHMVが数年前、横浜のビブレから撤退し、この夏、TOWER RECORDSの2店舗もクローズするという。わたしの身の回りでも確実にこうした現象が起こっているのである。言うまでもなくネットショッピングの台頭による影響なのだろうが、それにしてもそのテンポの速さに圧倒されるばかりである。一顧客としてもとても寂しい現実だが、経営者側はじめ店舗スタッフの心境を察するとその落胆ぶりはわたしなどの比ではないだろう。 アナログがデジタルに変わり、CDやDVDなどのメディア媒体を店頭で販売するという昔ながらの方法がiTunesに代表されるネットからのダウンロードという形態にとって代ろうとしている。そのお蔭で、具体的な例を挙げるまでもなく、私たちのミュージックライフはあらゆる点で格段に便利になった。私自身もその恩恵を大いに享受している一員であるが...

Windows8「スタートボタン」をなくしたのは一時の気まぐれですか?

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2012年10月26日のWindows8発売から暫くして、世のトレンドに遅れまい(?)と愛機の一台をアップグレードしてみた。これまでのWindowsのアップグレードの中では最も革新的との各メディアの前評判で期待していたのだが、インストール後の使い勝手は最悪だった。その最たるものが「スタートボタン」の廃止である。インターネットの閲覧程度ならほとんど気にならないが、いろいろな連続操作をしていくと、その流れの中で、「スタートボタン」がないことの不便さを痛感。「革新」とは少なくとも「良い方向に変化すること」という私の素朴な認識はアッという間に砕け散った。 それ以降はパソコン操作はストレス以外の何物でもなく、その当時はwindows7に戻すことを真剣に考えたくらいだった。(実は元に戻すのはかなり厄介) Windows8のスタート画面 「タイル」と呼ばれるパネルで構成されている。 そんな折、登録中のメルマガ日経「PC Online」の4月23日付け記事の中に「マイクロソフトがスタートボタン復活も」という記事を発見した。それによるとマイクロソフトのPeter Klein最高財務責任者(CFO)が決算報告の中で独自の小型タブレットの開発・発売に向け動いていることと、Windows8のスタートボタン復活を複数の海外メディアにほのめかしたとある。 2012年10月26日の発売以来、Windows8の売上げ実績はハッキリ言って芳しくないことはメディア等で伝えられている。その中で当該のマイクロソフトは不振の原因をタッチパネルの普及の遅れやスマホ、タブレットに押されていることなどと分析しているが、ハッキリいって的外れで現状を直視していない(あるいは直視できない)不充分な分析だと思う。 ユーザーの一人として考えれば、現在の業績不振は当然の結果だと思う。2011年5月にこのブログにアップした「マイクロソフトさん、もうですか?」で指摘した通り、先代のOS「Windows7」から僅か3年程度でのバージョンアップは時期尚早なのである。繰り返すが、個人はもとより企業や学校にとっては、数百台、数千台の規模でPCを入れ替えることとなる。コスト面でも手間暇の面でも負担が大きすぎるのだ。更に現状が安定しているシステムをできるだけいじくりたくないというのもシステム担当者側の本音である...

有名俳優、タレントがナレーションをすることについて

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石丸謙二郎氏のナレーションでお馴染みの「世界の車窓から」は私の数少ないお気に入り番組のひとつです。コマーシャル含め5分ほどの短い番組ですが世界の美しい景色と珍しい機関車や列車が紹介され、心休まるひとときを過ごさせていただきました。番組が終了していないのに「・・・いただきました。」と過去形なのは実は以前は毎回欠かさず見ていたのですが、番組放送の時間帯が変わったことや自身の生活パターンの変化などで、残念ながら最近はご無沙汰気味だからです(すいません)。   「世界の車窓から」VHS 表面 1992年 非売品 調べてみるとこの番組、1987年に放送がスタートし、およそ四半世紀の歴史がある長寿番組とのこと。これも石丸氏のナレーションとコンテンツの素晴らしさに由るところが大きいと納得している次第です。頼りない私の記憶では、もっと以前から放送していたのではと錯覚するほどです。番組では、世界各地を訪れ、そこで活躍している様々な鉄道車輛を楽しむことができ、旅行ファンも鉄道ファンも楽しめる番組構成です。 でも、放送開始当初から番組が一貫して伝えようとしているのは、自然の美しさであり、そこに暮らす人々の優しさであり、人生の素晴らしさではないかと私は思っています。 なかでも石丸氏のナレーションには心惹かれるところがあり、いつも注目しています。 その声は決して美声とは言えませんが、嫌みのない心地よいナレーションです。 淡々とした飾り気のない彼の語り口は、ともするとクールに感じられるかも知れませんが、反面、ナレーターはかくあるべきと主張しているかのようです。 こうした番組にはいたずらにウケを狙ったり「オチャラケ」は必要ないのです。 ところで、最近は有名俳優やタレントがアニメの声優をやったり、ドキュメンタリー番組のナレーションをやったりと、声優やナレーターの職域を侵害しているのが目立ちます。と言うよりは流行にすらなっているようです。番組制作側の意図は充分察しがつきますが、果たしてその効果はというと疑わしいものです。こうした傾向を私はそんな風に冷やかに見ています。 最近ご無沙汰気味の石丸謙二郎氏の「世界の車窓から」を思い出したのは、そんな昨今の由々しき状況を残念に思うからです。 そして、いずれは本来の秩序ある体制に戻るものと信じていますが、それには私...

ロジクールの対応に失望

キーボードやマウス、無線機器などのパソコン周辺機器メーカーとして知られるロジクール。 先般この会社のトラブル対応には非常にがっかりした。 ことの発端は2011年11月にネットにてゲーム用ハンドル「ドライビングフォースGT」を購入したところまで遡る。息子がプレステ3のF1ゲーム用に買ったものである。 ところが使用から3ヶ月ほどでシフトの上げ下げをするボタンが機能しなくなった。 (その当時ゲーム仲間にも同じ場所が故障したというケースを聞いてはいたのだが・・・) その時は当該メーカーのカスタマーリレーションセンターとのメールのやりとりで、修理ではなく新しい製品との交換という対応をしてもらった。 この時は製品そのものに多少の不信感はあったものの、敏速な対応にこちらもある程度好感を持った。 だが、そうした感情も長くは続かなかった。その時送ってもらった代替品がまた保証期間の一年経たずして再度壊れたのである。 それも以前とまったく同じ部分がである。 実際の車の世界なら当然「リコール」対象ではないかと思わせるほどのズサンな製品である。 以前の息子の友人の話が思い出され、非常に腹立たしかった。 早速、カスタマーリレーションセンターに電話連絡したが、この手の電話にありがちな待たされ状態が続いたため、以前同様メールでの問い合わせに切り替えた。 ところが、返ってきたメールの回答を読み呆れ果てた。 その返信メールには通り一辺倒の簡単なお詫びの後、次のような文面(先方から送られた文面そのものを記載)が続いた。 【ロジクールは、正規品の当初の購入者に対し、購入日から、製品パッケージ および/または保証書に記載されている保証期間につき、ロジクールのハード ウエア製品の材料および仕上がりに欠陥がないことを保証します。】 とありますように、当初のご購入日よりの起算になります。 2011年11月7日ご購入でございますので、今回は保証対応させて頂けません ので、ご了承願えればと存じます。 以上が回答だった。 確かに、購入日から2回目の故障までを通算すれば1年4ヶ月ほど経過していることはこちらも承知の上である。 その意味では多少「虫のいい話」と思いつつ、今回の問い合わせに至ったが、こちらが問題にしているのはそんなこと(今回のケースが1年を経過しているかどうか)で...

アップルのサポートページが印刷できないのは・・・

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日頃、参考にしているアップルのサポートページ。 これまでは、画面上の閲覧で何とか問題を解決できていたので気が付かなかったが、 実はwindowsの標準ブラウザであるインターネット・エクスプローラ(以下IE)で開いた場合、このページを印刷できないことが分かった。 はじめはPCの操作タイミングが悪かったのか、何かの加減でエラーになったのではと思い、何度か同じページの印刷を試みたが結果は同じ。 PCの再起動も試したけれど、同じエラー画面(図1)が出て、それ以降はこのエラー画面さえクローズできない状態になってしまう、何ともタチの悪いトラブルに見舞われた。 (図1 印刷ボタンを押すと出るエラー) この現象、すべての方に当てはまるのかどうかわからないが、私のケースに限って言えば、原因は「IE」にあるようだ。一部にアップルのサポートページの作りが悪いという考え方があるようだが、それは的外れのように思う。 何故ならグーグルの「Google Chrome」や「Firefox」などのWEBブラウザで開いた場合には、正常に印刷できるからだ。 勿論アップル製の「Safari」は問題なく印刷でるだろう、と安心していたら私のiMacは例のレインボウマークがクルクルと回り出し何やら怪しい雲行き。でも、印刷までにしばらく時間はかかったものの無事印刷はできた次第。 その他のブラウザでは試していないが、少なくとも3種類のブラウザで印刷できたのだから、この事実は重く受け止めるべきだと思う。 ところで、このようなWindowsとMacが絡むトラブルの場合、どちらに改善を求めるべきなのだろうか。「そもそもMacに関する調べごとをWindowsのPCで調べるな!」といったご批判の声が聞こえてきそうだが、私同様に両社のPCを愛用しているユーザーはたくさんいるはずだ。 こうしたケースは決してレアケースではないと思うのだが、如何なものでしょうか。 この種のトラブルを検索するとかなりの数ヒットする。そして、それらを見るとかなり前からの根深い問題のようで、現状は一向に解決されていないようだ。 この間「IE」もこまかなアップグレードがされているはずなのに、この件に関しては残念ながらスルーされているようだ。アップル側も、「IE」に対応するようなサイトの改善をいっこうに試みていな...

小林可夢偉、モナコで5位に入賞したが・・・

5月29日のF1モナコグランプリで日本人ドライバーの小林可夢偉が5位に入賞した。 ジャッキー・スチュワート、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダの時代からF1レースに関心があった私としては嬉しかった。 これまで、中島悟に始まり何人かの日本人F1ドライバーが挑んだものの、 その市街地サーキットの難しさにことごとく敗れたモノコ。 これまでの記録では、中島悟の息子である中島一貴が2008年にマークした7位が最高位だった。 こうしてみると、過酷な難コース、モナコでの小林可夢偉の5位は確かに立派な記録である。 ただ、素直に喜べないことが放送中にあった。

マイクロソフトさん もうですか?

「Windows8は2012年にリリースへ ― バルマー氏が名言」 2011年5月24日のMSNトピックスにこんな記事が載っていた。 Windowsといえば、Windows7が2009年7月にリリースされたばかり。 動作が遅いことで悪評だったWindows Vistaに代わり、満を持してリリースされたWindows7が 僅か3年で交代とは・・・

財団法人日本相撲協会へ緊急提言

財団法人日本相撲協会が今やるべきこと 「3/17の理事会で財団法人日本相撲協会は日本赤十字社を通じて 5000万円を寄附することを決定」と当協会公式サイトのトップページに大きく載っていた。 金額をとやかく言うつもりはないが、 これまでに個人単独で5000万円以上の寄付をされている著名人はたくさんいる。 本来、寄附やボランティア活動とは身分相応の額、ないし行動をすれば良いのだと思うが、 今の社会全体の状況、及び同協会の現状を考えたとき、 「天下の日本相撲協会が・・・」と云われても致し方ないのではないか。 だが、この場で言いたいのはそんなことではない。 この間、野球賭博や八百長問題などたくさんの問題を引き起こし、 社会を騒がせ、相撲ファンを裏切ってきた同協会。 現状、真っ先にやるべきことはもっと他にあるのでは・・・ということである。 社会的信用を極限まで失墜させた彼らが今やるべきこと。 それは持前の体力を活かすことではないか。 例えば弟子、力士、親方衆が一丸となって、いずれかの被災地に出向き ボランティア活動を自主的に行なうのも選択肢の一つと考える。、 中途半端な寄附金とは比べものにならない程の好感を持たれるのではないだろうか。 今は、単なるお金での支援よりも、上記のようなわが身を削った触れ合いの活動の方が、 同協会には求められているのではないだろうか。 チャンコを作ることは彼らの得意技だし、彼らには一般人にはない圧倒的な体格がある。 東北地方出身の力士は多いはず、彼ら自身のためにも必要なことだと思う。 11日以降、震災関係のニュースの陰に隠れた大相撲八百長問題。 同協会はこれを幸いと思ってはいけない。 当協会にとって今こそ表舞台に出る時である。 信用回復の最大のチャンスは今をおいて他にないことを、同協会は自覚すべきである。 折角、三月場所中止の決定をしたのだから・・・