Windows8「スタートボタン」をなくしたのは一時の気まぐれですか?
2012年10月26日のWindows8発売から暫くして、世のトレンドに遅れまい(?)と愛機の一台をアップグレードしてみた。これまでのWindowsのアップグレードの中では最も革新的との各メディアの前評判で期待していたのだが、インストール後の使い勝手は最悪だった。その最たるものが「スタートボタン」の廃止である。インターネットの閲覧程度ならほとんど気にならないが、いろいろな連続操作をしていくと、その流れの中で、「スタートボタン」がないことの不便さを痛感。「革新」とは少なくとも「良い方向に変化すること」という私の素朴な認識はアッという間に砕け散った。
それ以降はパソコン操作はストレス以外の何物でもなく、その当時はwindows7に戻すことを真剣に考えたくらいだった。(実は元に戻すのはかなり厄介)
そんな折、登録中のメルマガ日経「PC Online」の4月23日付け記事の中に「マイクロソフトがスタートボタン復活も」という記事を発見した。それによるとマイクロソフトのPeter Klein最高財務責任者(CFO)が決算報告の中で独自の小型タブレットの開発・発売に向け動いていることと、Windows8のスタートボタン復活を複数の海外メディアにほのめかしたとある。
2012年10月26日の発売以来、Windows8の売上げ実績はハッキリ言って芳しくないことはメディア等で伝えられている。その中で当該のマイクロソフトは不振の原因をタッチパネルの普及の遅れやスマホ、タブレットに押されていることなどと分析しているが、ハッキリいって的外れで現状を直視していない(あるいは直視できない)不充分な分析だと思う。
ユーザーの一人として考えれば、現在の業績不振は当然の結果だと思う。2011年5月にこのブログにアップした「マイクロソフトさん、もうですか?」で指摘した通り、先代のOS「Windows7」から僅か3年程度でのバージョンアップは時期尚早なのである。繰り返すが、個人はもとより企業や学校にとっては、数百台、数千台の規模でPCを入れ替えることとなる。コスト面でも手間暇の面でも負担が大きすぎるのだ。更に現状が安定しているシステムをできるだけいじくりたくないというのもシステム担当者側の本音である。新OSが出たからといって、そう簡単に移行できないことなど百も承知のはずである。それにも拘らず、敢えて新OSを売出すということは、市場分析の甘さというよりもマイクロソフトの傲慢さとライバル企業からの遅れを取り戻すための愚かな焦りとしか思えないのだが。
更に、ビスタのときのように先代のWindows7は欠陥OSではなく、むしろ起動の速さ、安定感では比較的評判は良かったにも拘らず、短期間でWindows8を投入するということは、ユーザーから見れば単にマイクロソフトの貪欲的な姿勢しかイメージできないのである。その上、こうした経済的に厳しい状況の中、敢えて投入した(マイクロソフトとしては自信をもって投入した)Windows8の使い勝手の悪さを考えると、不振の原因はもっと根が深いように思えた。
今回、WindowsのUI(ユーザーインターフェイス)から「スタートボタン」をなくすという発想は、完全にスマホ、タブレットを意識してのことだろう。しかし、これは最大の致命的ミステイクだったと思う。
この「スタートボタン」がなくなったことで、我々ユーザーが受ける恩恵は何かと考えてみると、何も浮かんでこない。画面スペースが広くなった訳でも、デザイン的に見た目が良くなった訳でもない。従来「スタートボタン」があった位置にはチャッカリとIE(インターネット・エクスプローラー)のアイコンが鎮座しているではないか。
これに対し、「スタートボタン」がなくなったことによる我々ユーザーのデメリットは計り知れない。くどくどと事例を書き連ねる気はないが、「不便」の一言に尽きる。
そう考えると、マイクロソフトが「スタートボタン」を廃止した明確な意図は見えてこず、敢えてPC操作を一昔前のように判りづらくしているに過ぎないように思えるのだが。
ワードやエクセルなどオフィースの「リボン」導入のときもそうだったが、長い期間をかけてようやく浸透してきたメニューバーを「リボン」に大々的に変更し、一時の混乱を招いたという過去の苦い経験は活かされておらず、「またまたやってくれました。」という呆れた思いでいっぱいである。
もう定かな記憶ではないが、Windows95が華々しくデビューした時のことだったと思う。そのときのマイクロソフトのキャッチコピーのひとつが「Windowsはスタートボタンから始まる。」だった。
あれから凡そ20年の歳月が流れ、パソコンという至ってマイナーな機械が世代を超え、多くの人たちに受け入れられた。私たちの生活・仕事は劇的に改善され、パソコンは必要不可欠の存在となった。その原点ともいえる「スタートボタン」がWindows8の代で姿を消した。windows8の業績不振がこの「スタートボタン」廃止に直接起因しているとは思わないが、何というタイミングの悪さだろう。
それにしても、不思議なことは新OSの開発の各段階でβ版(ベーター版)が一部のユーザーに無償提供された後、モニターされているはずなのに、その中に「スタートボタン」に関する賛否の意見等がなかったのかということである。
いずれにしても信じ難いことだが、マイクロソフトの市場分析の甘さがここへきて気になる。
甚だ原始的手段だが、「この際、初心に戻りアンケート調査でも実施したら」と言いたいくらいである。最近の動向を見ているとユーザーに目を向けているというよりは、ライバル企業の動向を気にし過ぎて先走っているようにしか思えないのだが...
真にPCを愛する人間なら、パソコンがタブレット端末より一定の分野においては格段に優れていることぐらい理解している。また、現代社会において確固としたステータスを持っていることも。タブレット端末がパソコンにとって代ることなどこの先も不可能なのである。出荷台数、販売台数は将来ある程度下がるであろうが、絶対的需要は必ずあり、ロングテール現象のグラフのように右下がりに減って行くことなど決してないと信じている。
IT界の横綱マイクロソフトにはどっしりと構え、正々堂々と四つ相撲でライバル企業の挑戦を撥ね退けてほしい。ユーザーがマイクロソフトに期待しているのは、操作し易く堅牢なOSの開発に邁進することである。数少ないOSの開発販売企業としての独自性とプライドをもって、ITの王道を歩んでいってほしい。
そして、まずは「スタートボタン復活も」の情報を信じ、マイクロソフトからの今後のバージョンアップ情報に注目することとしよう。
それ以降はパソコン操作はストレス以外の何物でもなく、その当時はwindows7に戻すことを真剣に考えたくらいだった。(実は元に戻すのはかなり厄介)
Windows8のスタート画面 「タイル」と呼ばれるパネルで構成されている。 |
そんな折、登録中のメルマガ日経「PC Online」の4月23日付け記事の中に「マイクロソフトがスタートボタン復活も」という記事を発見した。それによるとマイクロソフトのPeter Klein最高財務責任者(CFO)が決算報告の中で独自の小型タブレットの開発・発売に向け動いていることと、Windows8のスタートボタン復活を複数の海外メディアにほのめかしたとある。
2012年10月26日の発売以来、Windows8の売上げ実績はハッキリ言って芳しくないことはメディア等で伝えられている。その中で当該のマイクロソフトは不振の原因をタッチパネルの普及の遅れやスマホ、タブレットに押されていることなどと分析しているが、ハッキリいって的外れで現状を直視していない(あるいは直視できない)不充分な分析だと思う。
ユーザーの一人として考えれば、現在の業績不振は当然の結果だと思う。2011年5月にこのブログにアップした「マイクロソフトさん、もうですか?」で指摘した通り、先代のOS「Windows7」から僅か3年程度でのバージョンアップは時期尚早なのである。繰り返すが、個人はもとより企業や学校にとっては、数百台、数千台の規模でPCを入れ替えることとなる。コスト面でも手間暇の面でも負担が大きすぎるのだ。更に現状が安定しているシステムをできるだけいじくりたくないというのもシステム担当者側の本音である。新OSが出たからといって、そう簡単に移行できないことなど百も承知のはずである。それにも拘らず、敢えて新OSを売出すということは、市場分析の甘さというよりもマイクロソフトの傲慢さとライバル企業からの遅れを取り戻すための愚かな焦りとしか思えないのだが。
更に、ビスタのときのように先代のWindows7は欠陥OSではなく、むしろ起動の速さ、安定感では比較的評判は良かったにも拘らず、短期間でWindows8を投入するということは、ユーザーから見れば単にマイクロソフトの貪欲的な姿勢しかイメージできないのである。その上、こうした経済的に厳しい状況の中、敢えて投入した(マイクロソフトとしては自信をもって投入した)Windows8の使い勝手の悪さを考えると、不振の原因はもっと根が深いように思えた。
今回、WindowsのUI(ユーザーインターフェイス)から「スタートボタン」をなくすという発想は、完全にスマホ、タブレットを意識してのことだろう。しかし、これは最大の致命的ミステイクだったと思う。
この「スタートボタン」がなくなったことで、我々ユーザーが受ける恩恵は何かと考えてみると、何も浮かんでこない。画面スペースが広くなった訳でも、デザイン的に見た目が良くなった訳でもない。従来「スタートボタン」があった位置にはチャッカリとIE(インターネット・エクスプローラー)のアイコンが鎮座しているではないか。
デスクトップモードの画面に切り替えると、 従来のスタートボタンの位置にはIEのアイコンがある。 |
これに対し、「スタートボタン」がなくなったことによる我々ユーザーのデメリットは計り知れない。くどくどと事例を書き連ねる気はないが、「不便」の一言に尽きる。
そう考えると、マイクロソフトが「スタートボタン」を廃止した明確な意図は見えてこず、敢えてPC操作を一昔前のように判りづらくしているに過ぎないように思えるのだが。
ワードやエクセルなどオフィースの「リボン」導入のときもそうだったが、長い期間をかけてようやく浸透してきたメニューバーを「リボン」に大々的に変更し、一時の混乱を招いたという過去の苦い経験は活かされておらず、「またまたやってくれました。」という呆れた思いでいっぱいである。
もう定かな記憶ではないが、Windows95が華々しくデビューした時のことだったと思う。そのときのマイクロソフトのキャッチコピーのひとつが「Windowsはスタートボタンから始まる。」だった。
あれから凡そ20年の歳月が流れ、パソコンという至ってマイナーな機械が世代を超え、多くの人たちに受け入れられた。私たちの生活・仕事は劇的に改善され、パソコンは必要不可欠の存在となった。その原点ともいえる「スタートボタン」がWindows8の代で姿を消した。windows8の業績不振がこの「スタートボタン」廃止に直接起因しているとは思わないが、何というタイミングの悪さだろう。
それにしても、不思議なことは新OSの開発の各段階でβ版(ベーター版)が一部のユーザーに無償提供された後、モニターされているはずなのに、その中に「スタートボタン」に関する賛否の意見等がなかったのかということである。
いずれにしても信じ難いことだが、マイクロソフトの市場分析の甘さがここへきて気になる。
甚だ原始的手段だが、「この際、初心に戻りアンケート調査でも実施したら」と言いたいくらいである。最近の動向を見ているとユーザーに目を向けているというよりは、ライバル企業の動向を気にし過ぎて先走っているようにしか思えないのだが...
真にPCを愛する人間なら、パソコンがタブレット端末より一定の分野においては格段に優れていることぐらい理解している。また、現代社会において確固としたステータスを持っていることも。タブレット端末がパソコンにとって代ることなどこの先も不可能なのである。出荷台数、販売台数は将来ある程度下がるであろうが、絶対的需要は必ずあり、ロングテール現象のグラフのように右下がりに減って行くことなど決してないと信じている。
IT界の横綱マイクロソフトにはどっしりと構え、正々堂々と四つ相撲でライバル企業の挑戦を撥ね退けてほしい。ユーザーがマイクロソフトに期待しているのは、操作し易く堅牢なOSの開発に邁進することである。数少ないOSの開発販売企業としての独自性とプライドをもって、ITの王道を歩んでいってほしい。
そして、まずは「スタートボタン復活も」の情報を信じ、マイクロソフトからの今後のバージョンアップ情報に注目することとしよう。
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