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名曲紹介、こんな名曲がこのアルバムに・・・ :南佳孝「ホリゾント」

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 今回紹介する「ホリゾント」は南佳孝の6枚目のアルバム「SILK SCREEN」の中の4番目の曲です。 このアルバム「SILK SCREEN」では、2曲目の片岡義男原作の同名映画主題曲「スローなブギにしてくれ(I want you)」が断然有名ですが、今回の「ホリゾント」の方がわたし好みでお奨めです。 全体を通して暗い曲調のため、アルバムの代表曲にできなかったのでしょうが、一度聴いたら忘れられない印象深い曲です。 アルバムを買って以来、ズッと愛聴している曲の一つです。 不遇な名曲として 今回紹介します。 南佳孝 1981年、6枚目のアルバム「SILK SCREEN」 ホリゾントとは「地平、地平線」が一般的意味ですが、この南佳孝の曲中での意味合いは「舞台などで使われる背景用の布製の幕、壁あるいはそれを照らす照明」であり、演劇用語として捉えるのが妥当でしょう。 Clker-Free-Vector-Images による Pixabay からの画像 旋律もさることながら、歌詞もまた素晴らしく、歌詞に映像が添付されたかのように、聴き手の目の前に光景が映し出されます。 わたしはこれまで音楽はメロディー重視で聴いてきました。歌詞についてはあまり気にしていなかったと言えます。 「なんとも、もったいない事を!」と後悔しています。 この曲は、そんな大事なこと(当たり前のことなのに)を気づかせてくれた曲でもあるのです。 それ以来、反省し歌詞も味わうように努めています。 言い訳を申し上げるなら、わたしの音楽鑑賞のスタイルは、従来から「ながら」が多かったため、歌詞を味わうことが疎かになったように思います。 南佳孝のアルバムには、正直なところメロディーラインが不安定で、その後の展開が予想しずらい曲があると個人的には感じています。それはどこかで聴いたような、ありふれた曲よりはマシですが、まさしく「ミナミヨシタカ節」で個性が強すぎてどうも馴染めないところがあるのです。 ところが、一旦形にハマると、彼の旋律はどこまでも澱みなく美しいのです。 一言でいうなら「カッコいい曲」と言えます。それが一歩間違うとアクの強い不自然な曲になってしまい、その点が残念でなりません。 しかしながら、「ホリゾント」は、彼の作品の中でも最高傑作だと言えます。 あれこれ思案した上で出来上がった曲ではなく、まさに一発で決...

田中一村 展 <不屈の情熱の軌跡>を観て感じたこと

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今年の9月19日から開催された「田中一村 展」も昨日の12月1日が最終日でした。 マスコミ等の報道をみると、連日盛況だったようです。 それもそのはず、展示会開催期間中にもNHKをはじめテレビ等でも田中一村に関する番組が急遽、複数も組まれるという反響ぶりだったのですから。 展示会の開催前から、確かに「田中一村 展」はかなり話題で注目されていた訳ですが、それ以上の主催者の意図を上回る盛況ぶりだったはずです。 わたしも熱狂ぶりがほとぼり冷めたころを狙い、開催から3週間ほどして訪れたのですが、それでも混雑ぶりは大変なものでしたから。 🔷 改めて、去る10月10日(木)、「田中一村 展」を観に上野の東京都美術館へ行ってきました。 実際に観に行ってからこの投稿までにかなりの日数がかかったのは、わたし自身の実生活がドタバタしていたことと、怠慢(?)によるものと反省しております。 そのため、どうせ遅れるのなら展示会の終了に合わせての投稿にしようと思った次第です。 東京都美術館正面入り口 10月に入っても、一向に秋らしい晴天に恵まれない昨今でしたが、当日は曇り空とは言えマズマズの天候。週間天気予報によれば次の11日が快晴とあり、混雑が予想されるのでその日を避けて10日としたのですが、思惑とは裏腹に美術館は大混雑でした。 田中一村がここまで人気だとは、どうやらわたしの考えが甘かったようです。 ところで、東京都美術館を訪れるのはかなり久しぶりで調べてみると、なんと12年ぶりでした。2012年8月にオランダの「マウリッツハイス美術館」展を観に行った時以来ということで、いつの間にかそんな月日が経ったのかと、毎度のことながら時の流れの速さに一喜一憂しているところです。 フェルメール <真珠の耳飾りの少女> この間、上野公園には何度も訪れていたので、そこまでご無沙汰とは思っていませんでした。 このときの一番の注目作品がフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」でした。 そのため、このときも会場は連日大混雑で、「真珠の耳飾りの少女」の部屋では入場制限が出たように記憶しています。 東京芸大へ向かう途中にある上島珈琲店 そう、この頃から美術館を訪れる人たちが俄かに増え始めたように感じました。 わたしが学生の頃(半世紀ほど前!?)は、ゴッホや印象派の展覧会でなければ、優雅に鑑賞できるほど会場は空いていたので...

虫捕り

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今年の夏は本当に暑かった。記録尽くめの夏だったようだが、記録はドジャースの大谷君だけで充分だ。 Gerd Altmann による Pixabay からの画像 そう!思い返すだけで暑さが戻ってきそうでゾッとするが、そんな夏にチョッとした懐かしく微笑ましい出来事があったので紹介しよう。 それは今年の夏の初めのことだった。最近ではほぼ見かけなくなった珍しい光景に遭遇したのだ。そして鬼面仏心さながらに、思わず笑みがこぼれたのを思い出した。それはあまりに無邪気で懐かしい光景だったからだ。見たところ幼稚園か小学一年生ほどの小さな男女二人が、虫とり網と虫籠を下げて歩いている光景だった。 どうやら、その虫籠には何も入ってないようで、釣果ならぬ虫果(チュウカ?)は今のところ残念ながらゼロのようであった。 Ralph による Pixabay からの画像 かつて、数十年前の自分も、この時期(7月中旬ころ)には網と虫籠をブラ下げて、野山を駆け回っていた姿が目に浮かぶ。 いまと違って当時は、野山をひと回りすればセミや蝶やトンボを捕まえることが容易にできた時代だ。と言うか、そもそも現代の都会には野山自体がほとんど存在しないから、虫とりもそう簡単ではない。件の幼子たちを含め、現代の子どもたちはなんとも可哀想だ。 Markéta Klimešová による Pixabay からの画像 かの幼な子二人は、いったいどんな虫を捕りたかったのだろう。 そして、あの虫とり網はどこで買ったのだろうか。 それすらも今のボクには分からないことが、チョッと淋しく情けなかった。 ボクらの時代は近所の駄菓子屋へ行けば網も虫籠もいつでも買うことができた。 そして、その網にさらに竹竿をつなげて超ロングの虫とり網を作ったものだ。 これなら高い木にとまった蝉も捕まえることがでるし、何より仲間に自慢もできた。 あの頃は物が十分になかった時代だから、逆に何でも工夫して自分たちで作ったのだ。 いまの時代は子供が虫とりをしないから、ボクの家の裏山ではニイニイセミ、アブラゼミ、ミンミンゼミそしたクマゼミまでが我が物顔(?)で合唱している。 WaSZI による Pixabay からの画像 セミに関しては、昔よりも今の方が断然たくさん鳴いているように思う。 因みに、クマゼミは10数年前までは関東には生息していなかったが、いまではこの辺の主(...

忘れかけていたわたしたちの季節感

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 みなさんはヴィヴァルディの4つのヴァイオリン協奏曲「四季」という曲をご存知ですか? そうですよネ! クラシックファンでなくても、一度は聞いたことのある親しみあるメロディー。 ご存知の方も多いことと思います。 世界的に有名な曲ですが、日本は特にそのファンが多いようです。 そんな「四季」ですが、その存在を知られたのは意外に最近で、第二次大戦後と言われています。 わたしも、1960年代ごろからイ・ムジチ合奏団(フェリックス・アーヨ)の演奏によるLPレコードがベストセラーを長年続けていたことを当時リアルタイムで知っていました。 当時、新発見だったこの曲が楽曲的にも優れていたこともあり、あれ程の反響があったのだと思います。 楽曲は当然、作曲者ヴィヴァルディの故郷ヴェネチアの四季をイメージしている訳ですが、四季折々の風光が魅力の日本で、爆発的な人気が出たのは当然のことと言えましょう。 そんな四季ですが、最近わたしたちが抱く季節感は、一昔前に比べて薄れてきていると感じないでしょうか。 差し当たり、食物の観点から考えてみました。 OpenClipart-Vectors による Pixabay からの画像 極論すれば、いまの時代、お金さえ惜しまなければ、時期、季節に関係なくどんな食物でも食べることができるのかも知れません。それほどに現代は、技術が進み、私たちの生活は便利になり、そして贅沢になっています。 確かに昔は、例えば夏にりんご、冬にトマトは食べることができなかったはずです。 しかし、いまは野菜や果物のほとんどを一年中食べることができる時代です。 ただ、こうした「いつでも、誰でも、何でも、食べることができる」と言う状況には、二つの世の中の変化があったからだと思います。 まず一つ目は科学の進歩、技術の進歩です。野菜や果物の品種改良、魚類などの養殖技術、環境の改善、或いは外国からの輸入など、人間の努力と工夫で上記のような便利な状況を実現してきたのです。これは正しく 人類の英知の結晶による恩恵 に違いありません。 二つ目はわたしたちの生活習慣、風習などの変化、或いは大袈裟に言えば文化の変遷(乱れ?)によるものです。 minami1777 による Pixabay からの画像 例えば、お餅などはわたしの知る限り、お正月に食べるものでした。でも、いまはスーパーへ行けば一年中お餅のパ...

アラン・ドロンと映画について

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 わたしは幼少の頃から、映画が大好きだった。映画少年と呼べるほどではなかったけれど、それでも周りの友達よりは数多くの映画を観ていたと思う。 昭和30年代後半ごろ、うる覚えだがフジテレビで午後3時頃に「名画座」(?)という番組があって、ヨーロッパ映画を主に放送していた。「鉄道員」や「自転車泥棒」などの古典名作が放送され、外国映画を知ったのもこの番組だった。わたしがまだ小学生の頃の話だ。 そんな遠い昔のことを思い出したのは、さる8月19日のネットのニュースで俳優のアラン・ドロンが亡くなった事を知ったときだ。かつてのおぼろげだった「名画座」の記憶がそのとき甦った。 その名画座でドロンの代表作「太陽がいっぱい」を観たのかどうかは自信がないが、なぜか名画座と「太陽がいっぱい」がわたしの記憶の中で重なるのだった。 ドロンの代表作「太陽がいっぱい」 この作品は私が繰り返し観た映画のひとつだが、初めて観たとき(恐らく小学生の頃)はこの作品の登場人物の深層心理など、どこまで理解できていたことか。 全体のストーリーを含め、エンディングのあの有名なシーンが何を意味していたのか、果たしてあの頃の自分は理解できていたのか、いま思うと疑わしいところだ(笑)。 でも、この作品の衝撃的なエンディングとニーノ・ロータ作曲のタイトル曲の魅力が、 その後のわたしを映画少年へと導くことになる。 この作品以降、映画は「太陽がいっぱい」のように、観客を「アッ!」と言わせるようなエンディングが必ず用意されているのだと勝手に信じていた時期があった。 こうしたわたしの勝手な解釈(思い込み)は、その後観た映画では実際には無くて失望した。 その代わりに007シリーズでの粋なエンディングに感動し勇気づけられたことを覚えている。今は亡き映画評論家の水野晴郎さんの「いやァ!映画って本当にいいもんですね」の、あのオーバーな決め台詞がいまとなっては懐かしく素直に頷ける。 当時は理屈っぽく批判的だった自分も、最近ではめっぽう丸くなり、水戸黄門に代表されるワンパターンのエンディングがたまらなく恋しく思えるようになった。 所詮は自分も「日本のお茶の間で育った人間なんだな〜!」と尖っていた当時を自省。 ところで、いまの映画やドラマは正直何を言いたいのか理解に苦しむ作品が多いと思う。 単純明快な作品は時代遅れで低級といった安易な風...

伊勢ブラ

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伊勢崎町商店街入口 かつて、伊勢ブラという言葉が横浜界隈で一世を風靡した時代があったとか。 伊勢ブラとは伊勢崎町商店街を優雅にショッピングしブラつくことだ。 東京の銀ブラに準えての造語だったのだろうが、当時の横浜の人には豊かさに対するひとつのステイタスだったにちがいない。 わたしたちの親の世代、つまり昭和初期の遠い昔の話だ。 しかしながら、わたしの幼少のころでもそうしたお決まりの習わしは残っていたし、わたし自身もかろうじて体験しているひとりだ。 松屋(?)、野沢屋、高島屋(規模は現在よりずっと小さかった)といったデパートが、伊勢崎町商店街入り口から連なり、その向かいには大型書店の有隣堂がドッシリと構えていた。 大型とはいえ5階建て程度のビルだったが、当時は本町通りを除けばそうした高いビルはあまりなかった時代だ。 有隣堂は今も健在だが、ほかのデパートは高島屋(横浜駅へ)以外、残念ながらいまに至っていない。 クリスマスのシーズンともなれば、横浜で一番華やいだ街だった。 当時は飾りつけも今よりズッと豪華だったし、クリスマスソングが次から次と商店街に響き渡っていた。 いまも健在、有隣堂本店 洋菓子とレストランの不二家での食事は、わたしたち子供にとっては年に1、2度のご褒美であり最高の贅沢だった。色とりどりのお菓子が詰まったサンタのブーツは、クリスマスプレゼントの定番で親にねだったものだ。 そんな風習は遠い昔のお話。今の若い人たちにとっては特別騒ぐようなことではないし、至ってクールなクリスマスのように思えるが、果たしてどうなのだろう。 Frauke Riether による Pixabay からの画像 このように不二家での食事がステイタスだったのは、当時の日本全体が貧しかったからで、外国から入ってきたケーキ、ドーナツ、アイスクリームそしてチョコレートなどすべてが物珍しく、貴重なものと思い込んでいたからだ。 実際、あの頃は日本のお菓子よりは数段美味し感じたものだ。 でも、現代の人たちにとって、洋菓子やレストランでの食事が年中行事の最大の楽しみと思えないのは、おそらく豊かさとか景気云々の問題だけではないような気がする。 確かに、いまはものが溢れ、豪華で洒落たレストランが周りにはいくつもある時代だから、特別なこととは思わないのは当たり前である。 恐らく、この理屈はスマホやPCやSNS...

「小さな村の物語 イタリア」の番組から学ぶこと

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昨今は新聞を見てもテレビのニュースを見ても、目につくのは人を騙し金儲けをする詐欺の話題ばかり。わが家にもそうした類の電話、パソコン・スマホにも怪しいメールが頻繁に届く。 その他、政治家の金の問題、企業の不正や改竄など、挙げればキリがない。 街に出れば、歩きスマホや暴走自転車、道の真ん中で何の臆面もなく立ち話をしている人たち、そんな光景に出くわす。こちらもある程度の緊張感と覚悟を持って歩かないと、思わぬトラブルに巻き込まれそうだ。 マナーや常識はどこへ行ってしまったのか。本当に情けない世の中になったものだ。 そんな中、わたしにとって心やすらぐことが一つある。「小さな村の物語 イタリア」というテレビ番組だ。 一昔前まで日本人の美徳だった誠実、実直、勤勉の神話が危うくなっている今、わたしたちに「忘れかけた何か」を教えてくれるのがこの番組だ。 今回はこの番組「小さな村の物語 イタリア」をご紹介しよう。 今更と思われる方もいるだろうが、色褪せないその魅力は特筆に値する。 番組「小さな村の物語 イタリア」との出会い Stefan Schweihofer による Pixabay からの画像 実は、最近はほんとうにテレビを見なくなった。とは言っても連続ものや毎週欠かさず見ている番組が少なくなったということで、完全にシャットアウトということではない。 見なくなった主な理由は「番組が面白くない、マンネリ、コマーシャルが多い」である。 さらに、長時間番組が多く、各局の個性・ポリシーが感じられないなど。 そんな中、数少ないわたしの視聴番組で、いちばん好感を持っている番組がBS日テレの「小さな村の物語 イタリア」だ。 もう「小さな村の物語 イタリア」を見始めて何年になるだろうか。はっきり覚えていない。 そんなことでネットで調べてみたら、この番組は2007年10月から放送開始とあったので、流石にはじめから見ていたわけではないから、見始めたのは14、15年くらい前からになるだろうか。 思えばかなりの長寿番組だが、それは一度見れば頷けることだ。番組ではイタリアの有名観光地が出てくるわけではないし、ブランド品や有名レストランの紹介があるわけでもない。 そう、旅情報番組ではないのだ。 文字通りイタリアの小さな村の物語だ。そして、そんな番組がわたしたちの心を掴むのは、ナビゲーターの三上博史氏の番組冒頭に...

小澤征爾さん、そしてあの時代に想いを馳せる

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今年(2024年)2月6日に指揮者の小澤征爾さんが心不全で亡くなられた。 心からのご冥福をお祈りいたします。 月並みですが、これまでの小澤さんの功績に対し敬意と感謝、 そしてクラシック音楽を愛した一人として、僭越ながらこの投稿の場で 小澤さんへの想いとあの時代のことを語らせていただきたいと思います。 まず、語るにあたり小澤さんの敬称を ” 氏 ” にするか迷いましたが、親しみを込めた ” さん ” にしました。 それは小澤さんの人柄に相応しいと思ったからです。 それに合わせ、今回は筆者も”ボク”とさせていただきました。 ボクにとっての偉大な人とは? 一般に、偉大な人というのは「その人がどんな業績を残したか」に注目されがちですが、もちろんそのことは重要ですが、その人が如何に生き、人々にどれほどの影響を与えたかも忘れてはいけない要素だと思っています。 その意味で、小澤さんはボクにとっても極めて偉大な人のひとりであるかをこれからお話しします。 成功は必然そのもの さて、小澤さんの訃報を私たちが知るのは、亡くなられてから数日経ってのことでした。 こんなことを書くと不謹慎と思われるかも知れませんが、ここ1、2年はボクの中では少なからず小澤さんのことを気にかけていました。 ご承知の通り2000年以降、指揮者の職業病とも言える腰痛や、体調の衰えとともに幾つかの病との戦いが続いていたからです。車椅子の小澤さんもボクとしては信じられない光景でした。 若くして欧米の地で小澤さんの指揮が認められ、日本に凱旋した頃の溌剌としたかつての姿とその時代を思い起こすと、自分を含め「経年」の冷酷さと年月の儚さを痛感せざるを得ませんでした。 宇宙の歴史を思えば、人間の一生なんてほんの一瞬でゼロのようなものでしょうが、人生後半に至るとぼくを含め誰しも1日が長くあって欲しいと思うはずです。 秒針の動きがヤケに速く思えるのはその所為でしょうか。 しかしいくら悪足掻きをしても、所詮ボクのような凡人は何の成果もなく、歴史の闇に跡形もなく消えてゆくのでしょう。 幸い、小澤さんは努力と情熱の人だから、クラシックの歴史に輝かしい1ページを刻むことができました。 いや、”幸い”は正しい表現ではありませんね。 努力と情熱をもって成し得たことは、単なるラッキー(幸い)や偶然ではなく、目指し勝ち取った成功なので、「必然の賜物...