そんなやさき、某お弁当チェーンのエイプリルフール絡みの新聞記事を読み、遅ればせの投稿にいたった次第である。
その記事によれば、昨今のお米の品薄と価格高騰の煽りで「本日よりライスを販売停止します。」という内容の投稿が当該チェーン店の公式アカウントでSNS上に載ったという内容だった。ここまでなら特段のニュースにはならなかったのだろうが、その後の店のコメント、対応が問題になったのだ。
それは「本日よりライスを販売停止します。」の投稿自体がエイプリルフールの嘘だったというのである。投稿にはハッシュタグ「#エイプリルフール」が記載されていたとはいえ、世の中が「お米」に対して殊のほか神経質になっている最中である。あまりにタイミングが悪いというか、当該チェーン店にしてみれば、4月1日が絶好のタイミングと判断したのだろうが、エイプリルフールネタとしては最悪だったようだ。
この記事を読み始めたときは、よくあるフェイクかと早合点したのだが、全体を読んでみて何とも軽率な対応に呆れた。安易な状況判断が、多くの人たちの神経を逆撫でする結果となり、企業イメージも著しくマイナスになったはずだ。
当該の新聞記事を読み終えた後、自らのこととして受け止め、襟を正す思いがした。
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さて、本来のエイプリルフールに話を戻そう。
冒頭でも触れたように、エイプリルフールという用語自体、わたしたちの意識から完全に忘れ去られたように、わたし個人は考えているが、果たして世間一般としてはどうなのだろうか。
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marian anbu juwanによるPixabayからの画像 |
エイプリルフールという響き自体が、今年話題の「昭和」の香りがプンプンしているように思う。昭和30年代、日本は一般庶民の生活はまだまだ貧しくて、大人の娯楽も子供の遊びもそれほどたくさんあった訳ではないから、目新しいことがあるとボクらはすぐに飛びついた時代である。エイプリルフールもその一つだった。
古くは「ダッコちゃん人形」「フラフープ」「ホッピング」などの遊具や「ナポリタン」
古くは「ダッコちゃん人形」「フラフープ」「ホッピング」などの遊具や「ナポリタン」
「クリームソーダ」「菓子パン」などの食べ物、そして衣類ではジーンズが人々の間に広まっていった。いまのようにSNSなどなかったから、口コミでどんどん情報が拡散していった時代だ。「ダッコちゃん人形」は長蛇の列で、品切れで買えない人もたくさんいたのだ。
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Abigail TanによるPixabayからの画像 |
なかでも、印象深いのが繊維メーカーの帝人が出した「ホンコン・シャツ」と言う半袖シャツである。半袖の袖口に中国服のように小さなスリットが入っているのが唯一の特徴だった。いまに思えば極々単純なデザインのシャツだったのだが、これが当時爆発的に売れたのである。
一着一着が紙製の箱に丁寧に入っていて、如何にも高級品を思わせた。その割にお手頃価格だった記憶があるが、それでも平均よりは高かったと思う。
そんな訳で、人々は新しい物、新しい情報に飢えていた時代である。
そんな状況下、チョッとした悪戯としてエイプリルフールは効果抜群だったのだ。
わたし自身も小学生のころ、友達に悪戯を仕掛けたことも、仕掛けられたこともあったが、すべては「エッ、そうなの?」「アッハッハー!」とお互いに笑い転げて一件落着というのがいつもの結末だった。
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marian anbu juwanによるPixabayからの画像 |
当時は、子供ながらに仕掛けて大丈夫な友だち、ダメな友だちの区分けがそれなりにできていたように思う。だから、大事に至らなかったし、爆笑で終えることもできたのだ。
みんな冗談の限度がわかっていたし、ケジメがあったのである。
いまの時代は「程度(限度)を知らない」とよく言われる。
例えば、チョッとした口論が、取り返しのつかない結末に至ってしまったという内容の記事を新聞等でよく見かけが、これも「限度を知らない」ということの現れなのだろう。
そう考えると、昨今はエイプリルフール的な冗談が、言い辛い時代になってしまったのかも知れない。
昭和のあの時代、エイプリルフールがブームだった頃にはそれなりの時代背景があり、流行る理由があったのかも知れない。逆に、エイプリルフールがさほど囁かれない現代に於いては、囁けないそれなりの必然性がそこに潜んでいるのだ。それこそ、人間関係が殺伐としていて、信頼関係が希薄な現代社会の特徴なのかもしれない。エイプリルフールに冗談の一つや二つを言えるよいな雰囲気が、学校や会社のなかにあってほしいと思う。
あの昭和の時代、いわゆる「いじめっ子」も「いじめられる子」も、いまと同様に確かに存在していたが、それでも、その内容は今ほど陰湿で辛辣ではなかったはずだ。新聞やテレビのニュースに採り上げられるような極端な事例は極々稀だった。
正直、エイプリルフールという外来の風習を初めて知った時、小学生のわたしは嫌な風習だなというのが第一印象で、クリスマスのような良いイメージはもてなかった。
「他人をからかって喜んでいるなんて悪趣味だ!」と感じた。
「他人をからかって喜んでいるなんて悪趣味だ!」と感じた。
しかしながら、そんなことを思い出しつつ、この投稿を書いていると、エイプリルフールを仕掛けた方も仕掛けられた方も、両者の間にはそれなりの信頼関係があったからこそ、あの当時は「騙し騙されても」平穏に収まっていたのだということが次第にわかってきた。
どこかの大統領のように毎日がエイプリルフールというのも迷惑だが、年に一度ぐらいエイプリルフールのような日があっても良いと思う。ほどほどの冗談が冗談として通用するようなおおらかな世の中になってほしいものだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA
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