何時も、わたしのミュージックライフの中心にアルゲリッチはいた

やはりアルゲリッチについて語らねば

Ri ButovによるPixabayからの画像

わたしがマルタ・アルゲリッチを初めて知ったのは、音楽之友社から出ている「レコード芸術」という音楽雑誌の誌上でだったと思う。

その頃、わたしは中学生で、正直なところこの雑誌は中学生にとっては高価だったはずだ。

そんな理由からかどうかわからないが、わたしは今は亡き母親からこの雑誌の件で酷く叱られた記憶がある。

雑誌の内容が原因で怒られたとは考えられないから、恐らく中学生には高価すぎて「無駄遣いをするな」と言う理由だったのだろう。

だが、今となっては正確な理由は闇の中だが・・・


そのときの「レコード芸術」誌上に載っていたのは、クラウディオ・アバドとプロコフィエフのピアノ協奏曲(図2)のレコーディングを行ったというレコードリリースの話題だったと思う。
それは彼女が1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールで第1位になってから、数年経っての出来事だと思う。


図2 プロコフィエフのピアの協奏曲


そのときのグラビア写真には、長い黒髪に、どこか東洋的な雰囲気を漂わせたアルゲリッチがあったが、その近寄り難い神秘的魅力とは相反して、何故か親近感を覚えた記憶がある。
これまで彼女が日本人に愛され続けているのも、そんなところからくるのかも知れない。

さて、そのグラビア写真にはこんなコメントが添えられていた。

「若冠 *27歳の彼女はまだあどけなさをとどめている」

これについては執筆者とアルゲリッチと読者(この場合、わたし)の年齢によって、印象というか見方は如何様にも感じ取れる訳で、わたしの感想は、彼女の方が年上なので「あどけなさ」ではなく「年齢以上の大人の女性」だった。

自分とは一回りほどしか違わない年齢差でありながら、アルゲリッチは中学生のわたしから見ると、数段年上のお姉さんに当時は思えたのだ。

そして、この時からわたしのレコード収集という旅はアルゲリッチ中心となり、その長い旅はここからスタートすることになる。

更には、ブルーノ・ワルターやカラヤンなど指揮者を視点にしてきたこれまでのわたしのレコード選びが、この時から演奏者を重視する考え方に変わるターニングポイントにもなった。


「じゃっかん」の漢字には他にも「弱冠」や「若干」など諸説があり、この投稿では当  時の雑誌記事表記をそのまま記載しました。



思い起こせば、当時はCDがまだなかった時代で、クラシック音楽は直径30cmのLP(ロングプレイ)レコードで販売されていた。

アルゲリッチのレコードで最初に買ったのは、クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団との共演になるショパンのピアノ協奏曲第1番(図3)だった。


図3 ショパンのピアノ協奏曲第1番



後に知ることになるが、ショパンコンクール第1位に輝く以前から、彼女は当時の音楽界の話題の人で、あの名門ドイツグラモフォンと特例の契約を結んでいたとのこと。

それは、選曲、録音時期などにおいて彼女にとって非常に柔軟な(恵まれた)契約内容で、ドイツグラモフォンがリリースを保証するという内容だったようだ。

当時彼女が如何に注目されていたかが、このエピソードからもわかる。


エピソードと言えば、彼女にまつわるエピソードは数限りなくあるようだが、その中でも特にインパクトがあるのが、1980年の第10回大会でのボゴレリチ事件ではないだろうか。


その事件の概要は次のようなものだ。

第二次審査まで圧倒的なテクニックと個性で、順調に勝ち抜いていたユーゴスラビア(当時)生まれのピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチが第三次審査通過者のリストから突如名前が消えたという一連の騒動である。

その最大の理由が、ボゴレリチのショパンのピアノ曲に対する解釈、表現の問題とボゴレリチ自身の身なり服装に関する賛否だったようだ。


バッハ:イギリス組曲第2番、第3番/スカルラッティ:ソナタ集

ポゴレリチ



この事件にふれた書籍等をいくつか読んでみると、ボゴレリチの型破りな演奏はこのコンクール以前から知られていて、その話題性、前評判が審査では不利にはたらいてしまったのではという見方がある。

そして、ボゴレリチの独特の個性は、審査項目の一項目がマイナスという評価に止まらず、全体の評価を左右するほどのマイナス要素に拡大解釈されたのだ。


この件に関しては、わたしにも持論があるが、「まったくの音楽素人が生意気なことを」と思われることを承知の上で申し上げると、以下のような内容になる。


当時は「ショパンの曲はこう演奏すべし」という保守的な考え方が、特に審査員の中では体勢を占めていて、そうした体制が「ボゴレリチのショパン」を排除したというのが大方の見方で一般的に伝わっている理由である。

だが、それ以上に強く働いた要素は、ボゴレリチの服装や身だしなみといった外見的要因だったと思っている。

確かにコンテストに臨む際、「ボサボサな髪型」「革製のズボン」など、従来にない奇抜な服装ではあったと、わたしが読んだ本の中には書かれていた。

音楽的解釈云々よりも、規律が何よりも重要視されたのだと、僕は個人的には考えている。
予選の段階で、ボゴレリチがどれほどの演奏をしようが「結論ありき」だったのではと、わたしは推察する。

当時は伝統を重視した保守的な考え方が体勢を占めていたから、結果は絶対だったのだろう。

簡単に言えば、コンクールに際しては、男性はこうした身なり服装、女性はこうしたドレスといった既成概念が絶対視されていた訳です。



これに真っ先に反応したのがこの大会の審査員の一人だったアルゲリッチだった。

「彼は天才よ!」と言う彼女の抗議は有名で、この時のゴタゴタを機に彼女はこの大会の審査員を辞退している。

しかしながら、結果は覆ることはなかった。



この一件からも、彼女の多情多感ぶりと己の信念を貫く意志の強さは、ピアノ演奏の時だけではなく、私生活、そして人生全般を通じて首尾一貫していることがわかる。

その辺りは、ドイツグラモフォンから出ている彼女の初期のレコードジャケット写真からも、片鱗を窺うことができる。


更に、彼女の信念の強さを示すもう一つの事象として、僕が思っているのが「彼女のレパートリー」だ。

彼女のディスコグラフィー(全てではない)を調べてみると、長いキャリアにあってピアニストとしての主要なレパートリーは達成されているのに、何故かブラームスの協奏曲2曲とベートーベンの協奏曲第5番<皇帝>がないことだ。


この問題に気づき、不思議に思っている方はわたし以外にも、たくさんいらっしゃると思うのだが、まとまった記述で適格に述べられているものはおそらく無いと思う。


彼女のファンとしてこれまでに何度も期待していたレパートリーだったが、残念ながら実現しないまま現在に至っている。

また、彼女の最近の活動をみても、ピアノ・デュオやトリオなど小規模な演奏に熱心で、協奏曲は期待できそうにない。


少女期には練習曲や伴奏(バックパート)として弾いたことはあったようだが、一説には、トラウマ説や信条的な理由などいくつかの要因が出ているが、真相は定かではない。

当然、彼女の力量をして演奏不可能ということではないだろうから、実に不思議なことであり興味深いテーマである。

期待薄ではあるが、気長に待つことにしよう。



ところで、わたしは昨年(2022年)の11月に「マルタ・アルゲリッチ&海老彰子 デュオ・リサイタル」に足を運んだ。

お恥ずかしいことだが、この時が初めての「アルゲリッチ」だった。

これまでに何度かコンサートに行く機会はあったが、諸々の事情で叶わなかったが、漸くにして実現できた次第だ。


このリサイタルは「横浜市招待国際ピアノ演奏会第40回記念特別講演」として、
新装なった「みなとみらいホール」で行われた。


待ちに待ったアルゲリッチ、わたしのひ弱な胸は高鳴るばかりだったが、控えのドアが開き彼女がステージに現れたその瞬間、あの中学生の頃のおぼろげな記憶が鮮やかに甦った。

雑誌で見たあの時のアルゲリッチの若々しい姿はないものの、表情は紛れも無くアルゲリッチその人だったことにただただ感動だった。

トレードマークの黒髪は最近CDジャケットなどで見かける白髪混じりになってはいたものの、凛々しさは衰えてはいなかった。


その日の演奏について、わたし如きど素人が云々するのは控えるが、前半のモーツァルト、ラフマニノフは楽しませてもらいました。後半はわたしが苦手なラヴェルだったので正直なところなんとも言えません。


しかしながら、あの当時、アイドルを見るかのような目線で見惚れていたアルゲリッチを、いま10メートルほど先に見ることができるという、夢のようなひとときにとても満足だった。


デュオ・リサイタルのチラシ表面

デュオ・リサイタルのチラシ裏面


思えば、このデュオ・リサイタル、パートナーの海老彰子はあのショパンコンクール第10回大会の出場者の一人で、アルゲリッチがその時の審査員という、二人の間には何とも奇遇な関係があったのだ。

僕たち聴衆にとっては何とも興味深い組み合わせに思えるが、決して偶然ではなかったのだろう。

ちなみに、海老彰子はそのとき第5位に入っている。


コンサートの間、わたしは「あの第10回ショパンコンクールのとき、アルゲリッチと海老彰子との間には途轍もない距離があったのに、それが二人の距離は今ここまで近づいたのか」と時の悪戯と流れの速さをしみじみと痛感していた。


過去のお二人のコメントや記述の中に、デュオ結成の経緯について触れられているかどうかは、勉強不足のわたしにはわからないが、第10回大会後のことやデュオ結成のキッカケなど本音トークを是非聞きたいところだ。


かつて、ミステリアスで黒一色のイメージがトレードマークだった彼女(少なくとも僕の中では)も、黒白のモノトーン柄を採り入れるなど外見の変化を見せているが、ステージに立つ前の緊張感は相変わらずだという。


そんなアルゲリッチにエールを送り、同時にブラームスのコンチェルト録音を願いつつ、

これからの彼女の更なる活躍に期待しよう。


アルゲリッチについてはまだまだ語り尽くせていませんが、気がつけば今回の投稿もロング・バージョンになってしまい大変申し訳なく思っています。
そのため、後半は駆け足になってしまいました。

近々第二弾を出す予定です。



最後までお読みいただきありがとうございました。

JDA 2023.03.06

JDA 2023.02.28

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