「ラベンダー・ミストの女」に誘発されて

「ラベンダー・ミストの女」

Richard Wyands Trio  リチャード・ワイアンズ・トリオ


Ri ButovによるPixabayからの画像



僕はレコード、CDを買うときは所謂「ジャケ買い」が多いと,かねてからこのサイトで言ってきました。

それは今も変わりないことですが、今回紹介するアルバムもそんな流れから購入した一枚だったかも知れません。

リチャード・ワイアンズ・トリオの「ラベンダー・ミストの女」
正直、いつ頃購入したかという記憶は残念ながらありません。

「そんな無責任な・・・」と思われるかも知れませんが、当時は、一枚をじっくり聴き込むというよりも、「コレクションする」という意味合いの方が強かったので、一枚一枚の印象が薄かったのです。

言い訳がましいと思われる方もいらっしゃると思うので、ここで、アルバムの紹介に入る前に、僕のレコード、CDとの接し方、想い、遍歴について若干お話ししておいた方が分かりやすいと思うので述べておきます。


僕の場合、学生時代=レコードの時代になるのですが、その頃は少ない小遣いの中からレコードを買っていましたから、そうたくさんは買えません。
ですから、当時は貴重な一枚を何度も聴き込んだモノでした。
(「レコードの溝がすり減るほど」といったオーバーな常套句もありました。)

ところが、社会人になり、多少なりともお金に余裕(?)ができてくると、良いか悪いかは別にして、次第に「聴く」から、「集める」の方に意識がシフトしていきました。

新しいアルバムを買えばひとまずはレコードラックへ。
これが一つのパターンでした。
思えば買ってから一度しか聴いていないCDが何枚もあったのも事実です。

とにかく、好なアーチストのCDは出来不出来はどうであれ、欠かさず購入することが当時の僕の信条だったのです。(今問題になっている宗教的洗脳に近いようなものでしょうか)
ユーミンやサンタナはある時点までは買い続けました。
クラシックのアルゲリッチもそうでした。
欠番(盤)があることは、自身の中では許されないことだったのです。

なんとも、信じ難いことですが、あの頃はこうした経験のある人は、僕だけではなくて沢山いたと思います。
余談ですが、こうした傾向が出始めたのは、僕が思うにビートルズのレコードからだと思います。

勿体ないと思う反面、「たかがCD(レコード),されどCD(レコード)」だったのです。

これもまた、青春です。



StockSnapによるPixabayからの画像

「青春は残酷」といったフレーズを聞いたことがありますが、あの頃のアルバムに対する仕打ちは確かに残酷だったと思います。

そんな反省からか、近頃は以前買ったCDを今一度聴き直してみるという試みを行なっています。今流行りの言い回しなら「**活」といったところでしょうか。
僕は勝手に「マイコレクションを今一度聴き直す」運動と呼んでいますが。


「以前買ったCDを聴き直す」ことになったのは、実はもう一つ別の理由があります。

それは、最近の新譜には僕好みのCDが少なくなったからです。
残念ながら、買うCDのほとんどに納得いかないのが現状です。

別に最近のミュージシャンの演奏スタイルや技術が云々と言っている訳ではありません。
ただ単に、好みの問題かと。
ジャズ系に限って言えば、近頃の若手ミュージシャンが取り上げるナンバーや音楽志向、演奏スタイルなどが、僕のような古い人間のそれとはかなりの隔たりがあると感じるのです。

こんな例えを揚げたらお叱りを受けてしまうかも知れませんが、あのマイルス・デイヴィスがフージョンに傾いて行った頃の、ファンの心理、いわゆる落胆と失望感みたいなものに似ている気がします。

或いは僕が、単なる「昔はよかった」的な懐古主義から抜けきれず、いつまでも現状維持を望んでいるコンサバ人間だからでしょうか。
どうしても昔スタイルに拘ってしまうのです。

と、そんないくつかの理由、プラス「勿体ない」の省エネ・省資源の精神から、「マイコレクションを今一度聴き直す」運動(?)を思いついた次第です。


前置きがながくなってしまいましたが、そんな訳で、持っているアルバム(レコード、CD問わず)を聴き直してみようという単なる思いつきから、何げにラックから取り出したCDが、今回取り上げるリチャード・ワイアンズ・トリオの「ラベンダー・ミストの女」(画像1)です。
正直、完全に埋もれていた一枚でした。


画像1 アルバム「ラベンダー・ミストの女」

ヴィーナスレコードお得意の魅力的な女性をヒューチャーしたアルバムジャケットは、僕らに中身(演奏の質)への期待を膨らませ、悪戯に興味を掻き立てる効果を持っています。

このアルバムもそんな一枚。


しかしながら、このアルバムはそんな僕の期待を裏切るようなことは決してありませんでした。「ジャケット良ければ、中身良し(?)」の典型例です。


久々に聴いてみれば、遥か昔の懐かしのジャズ喫茶の雰囲気を思い起こさせてくれる佳作です。中でもお薦めは4番目のお馴染みの「ソー・イン・ラブ」

この曲はスローテンポでジックリと聴かせる演奏が多い中、リチャード・ワイアンズ・トリオの演奏はかなりアップテンポで、メロディーラインも最小限残されていて、数ある「ソー・イン・ラブ」の演奏の中でも異質で存在感ありです。
テンポ、リズム、ノリの良さ、すべて言うことなしのご機嫌な演奏になっています。
更に付け加えるとこのCD、2002年のリリースとのことですが、全体で7曲43分というCDの能力を考えると余裕の録音。当時としては贅沢な収録です。


Rosalia RicottaによるPixabayからの画像


ところで、リチャード・ワイアンズは1950年、60年代に活躍したジャズ・ピアニストですが、当初はサイドマン(スタジオ・ミュージシャン)としての活動が主で、カーメン・マクレイのバックやチャールズ・ミンガス、ケニー・バレルなどとの共演もあり経験も豊富です。

更に、以前採り上げたビリー・テイラー同様地味な存在ですが、群雄割拠のジャズ界にあって、音楽の学位をもつアーチストで、作曲家でもあるという実力派のアーチストです。
経験豊かでブレない演奏の持ち主でありながら、一世を風靡するほどのジャズ・ジャイアンツになれなかった点など、ビリー・テイラーに共通しています。


今回、僕のCDライブラリーから何気なく取り出し、
聴きてみたアルバム「ラベンダー・ミストの女」。
このアルバムの心地良さに誘発されて、僕が持っていないリチャード・ワイアンズのアルバムを「Apple Music」で探して、数枚聴いてみましたが、どれも優劣つけ難い好アルバムで、クオリティーの高さには脱帽です。
自宅でジャズ喫茶の雰囲気を是非味わってください。

参考までに2枚のアルバムのジャケット画像を添えておきます。


GET OUT OF TOWN

Reunited

どちらのアルバムもPeter Washington(b),Kenny Washington(ds)との掛け合いもピッタリで、聞き応え充分です。



2023年3月13日(月)の夕焼け
この記事を書いているとき西の空がこんな感じだったので、
撮影しました。


JDA 2023.03.13

<追記>

クラシックのコンサートなどで演奏終了と同時に、どこからともなく発せられる
あの「ブラボー!」の雄叫び。

雄叫びなので文字通り、そのフレーズを発するのは男性です。

そう、考えてみればこれまでに女性が「ブラボー!」と発しているのを聞いたことは、
確かにありません。
「ブラボー!」は男性の専売特許(?)だったのをこのとき初めて知りました。

正直、コンサートのあの慣習は僕はあまり好きではありませんが、当該記事を書いていて思いついたのですが、この記事の終盤で僕自身が使った「脱帽」と「ブラボー!」って、似ていませんか。

発音、音色、意味、そして使われるシチュエーションなど、どれをとっても類似していると思うのですが・・・
言語学、言葉の起源といった面から如何なものでしょうか。

僕の徒然なる疑問はさておき、最後までお読みいただきありがとうございました。

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