2013年4月24日水曜日

有名俳優、タレントがナレーションをすることについて

石丸謙二郎氏のナレーションでお馴染みの「世界の車窓から」は私の数少ないお気に入り番組のひとつです。コマーシャル含め5分ほどの短い番組ですが世界の美しい景色と珍しい機関車や列車が紹介され、心休まるひとときを過ごさせていただきました。番組が終了していないのに「・・・いただきました。」と過去形なのは実は以前は毎回欠かさず見ていたのですが、番組放送の時間帯が変わったことや自身の生活パターンの変化などで、残念ながら最近はご無沙汰気味だからです(すいません)。

 
「世界の車窓から」VHS 表面
1992年 非売品
調べてみるとこの番組、1987年に放送がスタートし、およそ四半世紀の歴史がある長寿番組とのこと。これも石丸氏のナレーションとコンテンツの素晴らしさに由るところが大きいと納得している次第です。頼りない私の記憶では、もっと以前から放送していたのではと錯覚するほどです。番組では、世界各地を訪れ、そこで活躍している様々な鉄道車輛を楽しむことができ、旅行ファンも鉄道ファンも楽しめる番組構成です。
でも、放送開始当初から番組が一貫して伝えようとしているのは、自然の美しさであり、そこに暮らす人々の優しさであり、人生の素晴らしさではないかと私は思っています。

なかでも石丸氏のナレーションには心惹かれるところがあり、いつも注目しています。
その声は決して美声とは言えませんが、嫌みのない心地よいナレーションです。
淡々とした飾り気のない彼の語り口は、ともするとクールに感じられるかも知れませんが、反面、ナレーターはかくあるべきと主張しているかのようです。
こうした番組にはいたずらにウケを狙ったり「オチャラケ」は必要ないのです。

ところで、最近は有名俳優やタレントがアニメの声優をやったり、ドキュメンタリー番組のナレーションをやったりと、声優やナレーターの職域を侵害しているのが目立ちます。と言うよりは流行にすらなっているようです。番組制作側の意図は充分察しがつきますが、果たしてその効果はというと疑わしいものです。こうした傾向を私はそんな風に冷やかに見ています。
最近ご無沙汰気味の石丸謙二郎氏の「世界の車窓から」を思い出したのは、そんな昨今の由々しき状況を残念に思うからです。
そして、いずれは本来の秩序ある体制に戻るものと信じていますが、それには私たち一人ひとりが「No!」というハッキリとした意思表示をしていかなければなりません。
それは次のような理由で質の低下につながっているからです。

まず、俳優やタレントのイメージが先行し、アニメの主人公がはじめから声の俳優、タレントのイメージに重なってしまい、観る側の想像の妨げになるだけで逆効果になっていることです。たとえそれがお気に入りの俳優、タレントだったとしても結果は同じことで、嫌いな俳優、タレントだったら尚のこと最悪です。
はじめのうちは、物珍しさで「ウケる」のでしょうが、所詮は俄雨のように長続きはしないものです。個性の強い有名人は本来の自分のテリトリーで本領発揮していただき、副業的なことは控えるべきだと思います。
ドキュメンタリー番組、例えば美術展を紹介するような教養番組や新作アニメのような場合には特にナレーターや声優の選出には注意が必要です。

さらに、このことは突き詰めていくと「私たちが払う代償は甚だ大きい。」という問題に関連してきます。具体的に言うと、私たち(少なくとも私)は、ナレーションや声優にそんな有名タレントを望んでいないし、必要とも思っていないです。仮に無名の声優でもその作品が素晴らしければ私たちは充分に堪能できるでしょう。有名俳優、タレントにわざわざ高額のギャラを払って、みすみす作品を台無しにするよりは、無名でもその分野のプロに仕事場を与えてあげる方がよっぽど有意義です。
そうなれば、映画やDVDに我々が支払うお金は、今よりは少額で済むはずです。

「世界の車窓から」VHS 裏面
今から20年ほど前に
職場のクリスマスパーティーの
抽選で当たったもの。


チョッと話は逸れますが、テレビの黎明期、我が国ではテレビ俳優と映画俳優とはハッキリと一線を画していた時代があったようです。
石原裕次郎、浅丘ルリ子、萬屋錦之助(中村錦之助)などは映画俳優の代表格だったようですが、
テレビ俳優に関しては今では誰も名前が出てきません。それほどにテレビ俳優の方はマイナーな存在だったのです。やがて、映画産業が斜陽をむかえると、名優と呼ばれる人たちは続々とテレビの方へ進出、占領し現在のようになっていったのです。
その当時のテレビ俳優の心境や如何にと想像したところで始まりませんが、現在のナレーター、声優の人たちも同じ悲哀を味わっているように私には思えます。

規制や慣習は発展の妨げになるという考え方があります。それは、自由な発想や行動を妨げる規制や慣習を打ち破ってこそ、優れた作品が創造され、進歩があるのだという論理でしょう。
しかし、何でもかんでもという考え方にはついて行けません。ときには程度、節操、配慮といった冷静な判断、言い換えるなら一歩退く「勇気ある後退」が必要な時もあるはずです。

「石丸謙二郎はもともとは俳優で、お前が批判してきた連中の一人にすぎない。今で言うマルチタレントじゃないか。」との反論があるかもしれません。ただ私がここで問題にしているのは大したキャリアもないままに、時期尚早の主役をはっているような俳優、タレントのことです。石丸氏はながい経験と実績をもち、ナレーションも役者も本物です。「世界の車窓から」のナレーションを始めた87年は、デビューして約10年ほど経っていたが、無名に近い将来の方向性も定まらない彼にとっては必死な時代だったと思います。まだまだ、自分の領域で修行が必要にもかかわらず、「隣の庭は...」的な安易で欲張った行動をとっている俄か俳優とはその点がちがいます。
私が異を唱えるのはそうした未熟な連中に対してです。とは言っても、役者本人の意思というよりは所属プロダクションの意向が強いのでしょうが...

海外ドラマ、特に米国の作品を見ているとテレビ俳優とスクリーン俳優とは一部の例外を除いて、今でもはっきり分かれているようです。過去にはスティーブ・マックインやクリント・イーストウッドのようにテレビで活躍しスクリーンへステップアップした例もありますが、分相応にテレビ界に留まる俳優も少なくないようです。(そうした人たちもチャンスがあればいずれはと考えているのかも知れませんが...)それでも、何でもありの米国で、ある程度の良識とケジメ的なものを見た思いです。
だからこそ今、ハリウッド映画よりも海外テレビドラマの方が面白いのかも知れません。


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