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とにかく、それはベルリンのイエス・キリスト教会内に響き渡り、まるで天まで届くような圧倒的な演奏だった。勿論、わたしは教会内に実際にいた訳ではない。
しかしながら、その演奏はわたし自身が恰も教会内にいるかのような圧倒的な迫力と緊張感を、わたしに感じさせてくれたのだ。

その演奏とはカラヤン、ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第9番だった。それもイエス・キリスト教会で録音されたレコード盤でのものだ。この第9番はブルックナーの交響曲の中で私が最も好きな交響曲だから、何人かの指揮者のCDをもっているし、何度も何度も聴いてきた曲だが、このカラヤンのそれは一味も二味も別格だった。否、そのときは別格に感じられたのだ。


カラヤン、ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第9番
1966年3月 
イエス・キリスト教会にて録音


実はつい最近、CDプレイヤーとアンプが相次いで故障したために、取り敢えず別機器の接続を試みたが、アンプはあるがCDプレイヤーの方がない。やむなくレコードプレーヤーを接続し試聴となったのだが、これが思わぬ感動に導いてくれたのだ。
その感動のひとつがレコード盤の底力というか素晴らしさを再発見したことだった。
しかし、それ以上に感動したのが、このところその名前も話題もご無沙汰のカラヤン、ベルリン・フィルの唯一無二とも言える重厚な演奏だった。接続テストの意味で掛けたのだが、その再生音の素晴らしさと緊張感ある演奏に全曲を聴いてしまった。私がもっている廉価なオーディオ機器でも優れた演奏は聴き分けることができるのだと思った。

そのとき思わず出たのが「やっぱり、カラヤンはいい!」のフレーズだった。

今回は、そんなヘルベルト・フォン・カラヤンについて、多少の独断と偏見が入るが、この際お許しいただき、これまでの私説をお話しよう。

📌蛇足ながら、上記でふれた「レコード盤の底力と素晴らしさ再発見」について関心のある方は、下記の筆者別ブログ投稿を参照いただきたい。
「やっぱり、レコードはいい!」


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ところで、このカラヤンのブルックナー交響曲第9番を聴くのも、尚且つレコード盤で聴くのも数十年ぶりのことだった。確か、このレコードを買ったのは高校生の時だったと思う。学生の小遣いで2,000円の出費は当時はたいそうな痛手だったから、大袈裟ではなく一大決意をもって購入したことを覚えている。それくらい思い入れがあった一枚だったはずだ。

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それにも拘らず、購入後のこのレコードの印象は、正直なところ薄かったようだ。

一方で、アルゲリッチとアバードによるショパンのピアノ協奏曲のアルバムも当時同じような思いで購入した一枚だったが、こちらの方は当時から現在に至るまで感動の余韻は色褪せず、定期的に聴く一枚になっている。それではカラヤンのブルックナー第9番は当時のインパクトはなぜ弱かったのか。

想像するに、ブルックナーの交響曲、その中でも第9番は高校生にとってはあまりに長い曲で難解だったのかも知れない。 

そんなことを考えていたら思い出したことがある。それはクラシック音楽は一般的に曲が長いことに対抗して「どんな曲でも全曲を聴き切る」というつまらない挑戦というかポリシーを当時のわたしはもっていたということだ。 

今に思えばバカげたことと笑われそうだが、自分なりの信念で社会人になるまで、このポリシーを貫いた。(今はそんな根性はまったくないが)

 

さて、ブルックナーの交響曲第9番の件だが、レコード盤の傷み具合から考えても、当時それほど聴き込んでいなかったと想像できる。要するに印象が薄かったのはカラヤンの演奏が云々ではなく、未熟故の私サイドの問題だったのだ。


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そう言えば、あのころはカラヤンの新譜が出るというと、音楽雑誌やFM放送番組などはすぐに特集を組んだものだった。常に話題が先行し、注目度は当時の現役指揮者の中では抜群だったから、カラヤンの新譜は「内容や出来はともかくとして、先ずは押さえておかないと」というのが当時のセオリーだった。一種の保険的意味合いがあったのだろう。
言い換えれば、カラヤンの新譜は当時は無視できなかったということである。

これは当時のクラシック愛好家全般、特に音楽評論家などプロの方は誰しも感じていた強迫観念のようなもので、クラシック業界の中には確実にあった空気感だと、私自身は感じていた。

こうした感じ方に対し、当然異論のある方もおられるだろうが、それ程にカラヤンの存在は当時は絶大だったのである。それはまるで「カラヤンという魔法」に罹ったように、業界全体が操られ、人々は無条件に「右に倣え」だったのだ。

自分自身を振り返ってみても、カラヤンの動向は気になったし、カラヤン中心にレコード、CDを集めていたと言っても過言ではない。

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そのため、例えばカラヤンの指揮ではじめて知った楽曲は、そのカラヤンの演奏がお手本になり、別の指揮者の演奏を評価(比較)するという傾向がわたしの中に多分にあったと思う。
ブルックナーやブラームスの交響曲などは、特にその傾向は強かった。
かと言って、カラヤン一辺倒という訳でもなかったのだが、いつの間にか私の聴覚と意識はそうなってしまっていたようだ。

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このように、そのころの日本ではカラヤンは絶大な人気と影響力をもっていて「楽団の帝王」と呼ばれ、レコード、CDのセールスでは常にトップだった。これはわが国特有の現象ではなくて、欧米でも同様のことが言えたのだろうが、意外というか当然というか日本にはカラヤンを評価しない人たち(音楽評論家や一般のクラシック音楽ファンの中に)、いわゆるアンチカラヤン派が存在したことも事実である。

この現象はわが国では当然といえば当然のことで、理解することは容易だ。
それは日本人の気質や文化を考えれば理解しやすい。
つまり、日本は昔から「出る杭は打たれる」的な考え方が社会全体に浸透していて、この考えは一種の戒めと同様だったから、人々は「出しゃばらず控え目であろう」と常に心がける傾向にあった。いわゆる、「謙譲の美徳」を良しとする価値観である。


お意気に入りのレコード
指揮:カラヤン ピアノ:ゲザ・アンダ
ブラームスのピアノ協奏曲第2番

そのため、自分と相反するタイプの人間に出会うと、極端に嫌ったり、違和感を感じたりするのだろう。カラヤンは「出る杭」の典型的なタイプで自己アピールの強い人間だったから、嫌われても当然だった。最近は分からないが、カラヤンが健在だった1980年代頃までのわが国では、カラヤンのCD、レコードは売れても、彼をよく思わない人たちがいたのだ。

一方で、目立つことも、自己アピールも不得手だった日本人の中には、カラヤンの積極性や自己顕示欲、バイタリティーに憧れを抱く人たちがいたことも事実である。

このように、カラヤンの評価は一般のクラシック音楽ファンと音楽評論家、つまり業界のプロの人たちとは、大きな隔たりがあったのではないかと思う。
専門家は業界の諸事情、しがらみなどから、カラヤンを評価する人たち(=評価せざるを得なかった人たち)が多かったように推察できる。相手は「帝王」と呼ばれている人物である、「長い物には巻かれろ」に倣い、彼らは本音が言えなかったのだろう。

一般の素人ファンはどれだけカラヤン或いはカラヤンの演奏を貶しても、何の問題もないが、プロの方は失うものが多かっただろうから、妥協も致し方なかったのだろう。(注)

しかしながら、当時でもカラヤンを酷評する気骨な評論家の方も少なからずいたが、正直なところメジャーな評論家の中には、本音を言える勇気のある(?)方はいなかったように思う。
どこの業界も社会も同じようなことが言える訳で、昨今のテレビ等でコメンテーターのコメントを聞いていても、上と同じように無難な意見ばかりで、面白みがない。(余談だが)。

まあ、このようにカラヤンの周辺は利害関係、人間関係が複雑に絡んでいたから、実態把握は極めて難しかったと言えるのだ。


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では、どうしてカラヤン本人及びカラヤンの演奏は嫌われたのだろうか。
当時、代表的な見解として、楽曲の楽曲以上の演奏、言い換えれば作曲家の意図を超えた派手な演奏や、音響重視の演奏スタイルをカラヤンが好んだことあたりが指摘されている。
この点で当時よく引き合いに出されたのがカール・ベームである。彼の指揮は派手さはないが、堅実なところが評価され、評論家の間では信頼性に於いて最も高い評価を得ていた。

Wolfgang GerthによるPixabayからの画像


このように玄人受けするベームに対し、カラヤンは一般大衆受けする演奏を目指していたのだろう。そのためか、ひたすらスケールの大きな迫力ある演奏をオーケストラに求めたということらしい。俗に言う、商業ベースにのった、お金儲けを念頭においた演出だと揶揄されたことも多々あった。
また、カラヤンの指揮スタイルは必要最小限の身体の動きと、瞑想するかのように目を閉じた独特のスタイルが話題で、視覚的にも惹きつける魅力を充分にもっていた。

そうした派手なパフォーマンスも見方を変えれば、低調だったクラシック音楽界に、少しでも目を向けてもらうための手段としては致し方なかったとも言える。私自身もカラヤンをそんなところから知り、入っていったように記憶しているから。

こうした彼の目立つ演奏スタイルから、管弦楽やオペラなどでは高く評価されたが、作曲家の抒情性の表現を強く求められる交響曲の分野に於いては、その演奏スタイルは評価が分かれた。

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また、初期。中期、後期など、その時代によってもカラヤンの評価は分かれる傾向がある。
若さいっぱいの新鋭の時代と円熟の後期の時代では、経験豊富な後期の方が評価されるのが一般的だが、カラヤンの場合は初期のフィルハーモニア管弦楽団やウィーン交響楽団との演奏を高く評価する評論家が多い。これもカラヤン特有のケースと言える。

これは彼がベルリン・フィルの常任指揮者になった1955年以降、クラシック音楽界の中心的存在になったことや、そこから派生する絶対的影響力(権力)を得たことと無関係ではないと私は考える。文字通り日本という環境に於いて「出る杭は打たれる」の傾向から、悪者扱いされ評価が下がったのは当然であろう。

このように、音楽という芸術の分野に政治的要素(帝王に付随する権力など)を持ち込んだということでも印象を悪くしたと考えられる。たとえそれがカラヤン自身の意図ではないにしても、人はクラシック音楽界での彼の権力と彼がもつ純粋な音楽性を、偏見なく公平に評価することはできなかっただろうから。
もはや帝王と呼ばれるようになったカラヤンの演奏に対する反応では、嫉妬や偏見や恨み辛みなど入り混じって、純粋に評価される状況ではなかったのだ。後期の演奏が嫌われる要因は、カラヤン自身ではどうしようもないことだったのかも知れない。

わたし自身は、これまで述べてきたことを簡潔に申し上げるとすれば、カラヤンに対する「偏見」がすべてだったのだと思っている。


ΠαῦλοςによるPixabayからの画像


それともう一つカラヤンにとってマイナスだったのが、カラヤン来日時のコンサートチケットの値段が飛びぬけて高額だった問題である。現に1973年の場合は世間から批判を浴びている。これにはいろいろな原因・要素が絡んで一概には判断できないのだが、当時、学生の身分だったわたしなど気軽に買えるような金額でなかったのは確かだ。

このような金額設定が、カラヤン本人の意向だったのか、それとも彼を取り巻く利害関係者たちによるものだったのかは、私などが知る由もないことだが、営利本位であったことは否めない。

参考までに、当時の社会情勢を知る数字として、こんな例があるので紹介しておこう。

わたしの記憶では、73年当時、喫茶店のコーヒーが一杯180円ほどだったのに対し、カラヤンのコンサート代は公になっている金額でも約20,000円だったから100倍以上だ。

それに対し現在は、名の通った名門オーケストラのコンサートは20,000円程度だから、現在のコーヒーの値段を500円程度とすると40倍である。

 上記比較をみても、如何にカラヤンのコンサート代が高額だったかは推察できるだろう。
この点に関しては、私のカラヤン評価もマイナス評価である。


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上記のような、権力主義、商業主義といった、カラヤンを取り巻く内情を知らないクラシックファンにとっては、指揮台の彼の容姿容貌の魅力と、音の響きを重視した判りやすい彼の演奏は一般受けしたはずである。
私もそんな一般クラシックファンとしてカラヤンに惹かれていった一人だから、よく理解できる。

ところで、「カリスマ性」とか「マエストロ」といった称賛の言葉は、1960年代、70年代は今ほど使われていなかったように記憶する。当時使うとしたら既に故人だった「フルトヴェングラー」や「トスカニーニ」レベルの指揮者でないと名前負けしたはずだ。
当時のカラヤンでようやく合格点と思えるほど重量感のある形容だったのだ。


Anindita Erina KhalilによるPixabayからの画像


昨今はこうした「カリスマ性」とか「マエストロ」といった賞賛の言葉が、全般的に安易に使われすぎている傾向がある。わが国では、チョッと活躍した指揮者に対し「マエストロ」の敬称を付けて紹介する場面をテレビなどでよく見かけるが、本来の「マエストロ」とは巨匠、大家レベルに与えられる称号で、軽々しく使うべきでないと私は思っている。
将来を嘱望される若手アーチストを励ますことは良いことだが、そうかと言って「マエストロ」はまだまだ時期尚早、尚且つ本人のためにもならないことだと個人的には思う。

話をもとに戻すと、良くも悪くもカラヤンは「マエストロ」に相応しい指揮者だと当時も今も思っている。私自身が若かった当時は、ネットなどなかったから上記で触れたようにカラヤンの情報などは、つまり雑誌やラジオ等でしか知ることはできなかった。

そのため彼の音楽性や美学まで深く知ることはできなかったから、ある意味、盲目的にカラヤンを支持していたのだ。

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さて、当時は「カラヤンのファン」ということを表面に出しづらい雰囲気が、「クラシック仲間には少なからずあったように記憶している。その点、前述のベームやチェリビダッケなどは「ベームのモーツァルトがいいネ!」とか「チェリビダッケが好き!」なんて言うと一目置かれ、音楽談義では都合の良い指揮者だったが、カラヤンの名はタブーだった。

この心理って、今はよくわかるような気がする。つまり、野球の話題で「どのチームが好き?」という質問に、「巨人が好き」とは言いづらく阪神とか広島と言ってしまうのと共通の心理だ。


このように賛否両論入り混じったカラヤンだったが、残念なことに彼が逝去した1989年以降、クラシック音楽界から賛否の「賛」だけが消えてしまったように私は感じている。
世界的にどうだったかはわからないが、少なくともわが国に於いてはカラヤンの話題は極端に減ったように感じられる。「帝王なき今、恐いものはもういない、敢えて亡き人を讃える必要もない」の心境なのだろうか。


こうして見てくると、死後のカラヤンは悪役そのもののようだ。生前彼が行ってきた数々の功績は、わたしがここで申し上げるまでもないことで、敢えて繰り返さないが、そうした彼の功績はすべて忘れ去られた感がある。
つまり、わが国ではまさしく「出る杭は打たれたのである」。


わたしは生まれながらの「へそ曲がり」なので、そんなカラヤンを気の毒に思う。
こんな状況は残念でならない。
仮に、作曲家の意向に沿はない演奏だからと言って酷評するひとたちは、何をもって作曲家の意向と判断するのだろうか。わたしは楽典、音楽理論に関しては素人だから、偉そうなことは言えないが、作曲家の意向が重要視されるなら、「この演奏こそ作曲家の意向通りの演奏」というサンプルを私たちに提示してほしいものである。

音楽鑑賞って、特にわたしのような素人リスナーにとっては、絶対的なものではないと兼ねてより思っていた。

なので例えば、同じCDやレコードを何度か聴いたとしても、その時々のリスナーの肉体的、精神的コンディションは一定でないだろうから、感じ方、受け止め方もさまざまなはずである。
それがコンサートともなれば尚のこと、演奏者側のコンディションも自身のそれも異なるだろうからバリエーションは無限に拡がる。
だから逆に、すべての人に感動を与えるような演奏はないとも言えるのかも知れない。

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むしろ、わたしは音楽の感じ方は相対的だと思っている。
その認識を踏まえた上で、「あの時聴いただれだれ演奏のベートーヴェンの『運命』は良かった」、それに対して「僕はそうは思わない」といった会話が成り立つのだろうと思う。
逆に、それでよいのだと思っている。
わたし(音楽の聴き手)にとっては、曲を聴いてたとえ感動に至らなくても「楽しかった、嬉しかった、気分転換になった、気分が落ち着いた」などの感想を持つことで充分だと思っている。
私は現在までそのようにして、音楽と接してきたつもりだ。
なので、作曲家の意向に沿はない演奏だからといって、攻められる必要はまったくないのだと思う。

冒頭で述べた、カラヤン、ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第9番のレコードは、あの時あの瞬間、わたしの思いとシンクロしてあのような感想になったのだと分析する。
あれがバーンスタイン(この際、バーンスタインと彼のファンには悪いが)とウィーン・フィルのあのスローテンポだったら、冒頭述べたように私の思いと音楽がシンクロしたかどうかは自信がもてない。

その意味でいえば、もう一度1966年のカラヤン、ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第9番のレコードを聴いたとしても、あの感動が得られる保証はどこにもないということだ。だから音楽(特に演奏)は相対的で、だからこそ音楽は楽しいし、ワクワクするのだと思う。

さあ!この際、堅苦しい理屈は抜きにして、カラヤンが記録として残してくれた数々の演奏を楽しもうではないか。一期に一度の感動を求めて。

私の場合、音楽鑑賞ってそのような心構えで充分だと思っている。

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA

(注)カラヤンの評価については、当時の評論家の方たちのご苦労は想像に難くないが、
その一つの現れとして、カラヤンの逝去後、カラヤンに対する本音のコメントが多くなったことと、逆に話題にのぼることが少なくなったことなどから推察できる。これは一貫して根強い人気のフルトヴェングラーとは大きな違いだと思う。

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