ショーン・コネリー氏を悼む

 先日(2020.10.31)、007シリーズのジェームズボンド役でお馴染み(?)のショーン・コネリー氏が亡くなった。

90歳だったという。

2006年に引退宣言をしていたけど、いつかまた映画「アンタッチャブル」のようなサポート役でスクリーンに現れてくれると信じていたのだけれど・・・
そうか、90歳になっていたんだ。とても意外だった。
そして引退からすでに14年も経っていたのかと、時の流れの速さに思わずタメ息が。

ここ最近スクリーンで見かけないこと(引退したのだから当然なんだけど)に、物足りなさと寂しさを感じていた。
「ショーン・コネリーのような大物俳優の存在感ってやはり映画には必要だよ」なんて、昨今の映画の物足りなさを嘆きつつ、映画作りの原点復古をひとり勝手に唱えていたわたし。
訃報を知ったときは、まさしく不意を突かれた思いだった。

年齢も年齢だし悠々自適の生活を送っているのだろうと、あまり深刻に考えていなかったのが正直なところ。

また一人、わたしのノスタルジー領域からヒーローが消え去った思いがする。

007 初代ボンド役のショーン・コネリー
初代ボンド役のショーン・コネリー


思い起こせば、007シリーズ4作目の「サンダーボール作戦」でショーン・コネリーを知る。
それまで、前作3作品のポスターなどでショーン・コネリーの顔はわかっていたが、映画として観るのはこの作品が初めてだった。
ポスターの顔は子供から見るとチョッと怖い印象だったが、映画を見てその印象は一変。
背が高くて、スーツが似合う、本当にカッコいい俳優だと思った。
このシリーズが世界的に大ヒットしているのが直ぐに納得できた。
それはイアン・フレミングの原作の魅力もさることながら、ボンド役がショーン・コネリーだったことが大きな要因だろう。
それまでの二枚目俳優の常識を覆す、型破りな魅力が彼にはあったからだ。


ショーン・コネリーはボンド役を演じることによって、彼自身の隠れた魅力が新たに引き出されたのかもしれない。
007に抜擢されるまでの彼は、スコットランド出身ということ(英語の訛など)がハンデとなり、相当苦労したと伝えられている。


だが、ある時、そんな適任だったボンド役を以外にもシリーズの全盛期に、彼が降りるというニュースを耳にする。
私たち映画ファンにとっては、突然の出来事で信じ難く残念なことだった。

われわれ凡人は人気作品の絶頂期に何故ボンド役を降りてしまうのかと理解しがたいところがあるが、冷静に考えてみると、わたしたちもまた同じようなことを、日常の中で繰り返し行っていることに気が付く。
いわゆる、壁にぶつかったときだ。

例えば、人間だれしも陥りがちなことだが、同じことを繰り返していると現状に飽き足らなくなる。
具体例をあげれば、サラリーマンがある時、自分に課せられたルーチン業務に疑問を抱くのと同じだ。いや、業務に対してではなく、そうした自分自身に疑問を抱くといった方が正しいのかもしれない。
「果たして自分はこのままでいいのだろうか?」と。
この点では、スーパースターもわたしたちと同じレベルなのだ。


しかしながら、当時まだまだ稚拙だった私にとっては、このような物事の機微を理解できる筈がない。
大人になって考えてみれば、あの当時のショーン・コネリーもこれと同じ心境だったに違いないと想像することができる。
恐らく、彼の中には「留まるべきか去るべきか」の相当な葛藤があったのだろう。
(何作目で降りたいという心境になったのかも興味深いところだが・・・)

そして1971年の「007 ダイヤモンドは永遠に」を最後に、彼はボンド役を去ることになる。
1962年「007 ドクター・ノオ」から数えて計6作品目でのことだ。


ところが、これには続きがあり1983年に「ネバーセイ・ネバーアゲイン」という作品でショーン・コネリーは再度ボンド役を演じることになる。
だが、この作品は映画の専門筋からすると、007シリーズの番外編として位置づけられている。
それは、複雑な映画の世界の権利関係や作品に対するスタッフ間の意見の相違など、諸事情入り混じるなかで、シリーズ当初の系譜を継ぐ制作人と新たな制作人との対立を経て作られた作品だからである。

ネバーセイ・ネバーアゲイン


あまりに個性が強いキャラクターを演じてしまうと、そのお陰でメジャーになった反面、そこから抜け出し更なるステップアップを図る際に苦労するというのは、映画界では以前からよく聞く話である。

古くはターザン役を演じたジョニー・ワイズミューラーやスーパーマン役のジョージ・リーブス(2代目とテレビシリーズで)などは、演じたキャラクターのイメージが強すぎて、その後仕事の面でスランプに陥ったという悪い前例があった。
余談だが、ジョージ・リーブスにいたっては自宅で自殺(他殺という見方もある)という悲劇にまで発展した。

当時、幼かった私はそのニュースを聞き、「あの最強のスーパーマンが死んじゃった」と現実、非現実が錯綜し、身近な人が亡くなった時のような寂しさと悲しみと、なんとも言えぬ虚しい気持ちになったことを覚えている。

話は横道に逸れたが、こうした悪い前例をショーン・コネリーが知らなかったことはあり得ないし、意識していなかったということも考えにくい。
彼としては役者人生を考えるうえで、この人生の分かれ道に立たされたとき、この葛藤には相当に神経を費やしたことと想像できる。


今回の訃報を知り、真っ先に頭に浮かんだのはこのことだっだ。
結果的に、この難問は彼に重くのしかかり、苦しめ、彼が一生をかけて問い続けなければならなかったテーマだったのだろうと勝手に推察した。

最も嫌いな作品は「007シリーズのすべて」といろいろなインタビューに彼は応えていたけれど、一生を懸けて拘ったのも「007シリーズのすべて」だったのではないかとわたしは思いたい。
言い換えれば、若かりし頃の僅か10年ほどの007シリーズとの関わりが、良くも悪くも、その後の彼の人生に影響し続け、ある意味決定づけたのだから。


確かに、007を去った後の彼の出演作品には007を上回るヒット作品はなかった。
唯一、1975年のキャンディス・バーゲンと共演した「風とライオン」が注目されたにとどまる。

風とライオン ショーン・コネリー キャンディス・バーゲン


しかし、先に述べた「ネバーセイ・ネバーアゲイン」の出演後は、ある意味、気持ち的に吹っ切れたのかヒット作品が続く。

「薔薇の名前」「アンタッチャブル」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「ザ・ロック」など話題作、質の高い作品に出演し年齢に相応しい渋い演技をわたしたちに見せてくれた。

特に、主役に固執せず脇役に徹しながらも自身の存在感を示したところは流石。
若いころには見ることができなかった寛容さと余裕をこの時期感じた。

薔薇の名前 The Name of The Rose
薔薇の名前 The Name of The Rose


惜しまれるのは賞に恵まれなかったことだ。
先にあげた「アンタッチャブル」でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の助演男優賞をそれぞれ受賞しているが、主演男優賞はとっていない。
このことは華やかな彼の経歴からすれば、意外以外のなにものでもない。


007シリーズなどの娯楽映画ではアカデミー賞はとれないという考えもあって、ボンド役を降りたという推測もできなくはないが、その後の大作に出演しながら、主演男優賞をとれなかったのは、どうしてだったのか。
この頃、明らかに彼はこの賞を狙って(目指して)いたと思う。
想像は尽きないが、いずれにしても悲運の大スターだったことは確かだ。

余談だが、アカデミー賞を運営する映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の彼に対する今後の動向に注目したい。


最後に、「ネバーセイ・ネバーアゲイン」にまつわる興味深いエピソードをここに紹介しておこう。
映画の最後、例によって事件解決後のボンドガールとの寛ぎのシーンで、ショーン・コネリーことボンドが組織の使いから「任務を続けてほしい」という依頼メッセージを受ける場面がある。
その時ボンドは「ネバーアゲイン(二度とご免だ)」という台詞とともにウィンクをして画面から消えていく意味深なエンディングがあるのだが、これはまさしくショーン・コネリーの本音なのか、それとも本音とは裏腹の言葉だったのか。
この映画のできるまでの経緯を知っていると、実に興味深いワンシーンである。
今となっては永遠のミステリーになってしまったのだが・・・

ご冥福をお祈りいたします。


追伸

  • 日本ではショーン・コネリー氏の訃報は、新聞やテレビでは意外にも大きく取り上げられることはなかった。残念である。この記事の冒頭に「ジェームズボンド役でお馴染みの」の部分に(?)クエッションマークを付けたのはそんな意味合いからだ。
    007は知ってても、ショーン・コネリーはもう過去の人になってしまったということなのか。
    「昭和は遠くになりにけり」を思わず実感。

  • 中学生位までの子供のころ、気取った友達のことを「カッコマン」と僕たちは呼んでいたことがある。冷やかしの言葉だったが、実は本当にカッコいい人にしか使わない言葉でもあった。
    そんな時代、ジェームズボンド役のショーン・コネリーは、まさしく僕の「カッコマン」ヒーローだった。
    「ロシアより愛をこめて」のときのショーン・コネリーが一番気に入っている。
    憧れの「カッコマン」永遠に!

2020.11.17 JDA

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