近頃のカフェの光景を眺めつつ想うこと

新型コロナウィルスの影響で、いま私たちの生活は弥が上にも変化を強いられている。

アフターコロナなんて用語も出現して、盛んにライフスタイルの見直しを煽り立てるマスコ

ミや評論家。

わたしの中では日本をはじめ多くの国々で終息の見通しがたっていないのに、

アフターコロナなんて議論はまだまだ先の話に思えるのだが・・・


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と、そんな硬い話ではなくて、今日お話ししたいのは近頃のカフェについて。

そう、わたしがよく行くみなとみらいのスタバはコロナ禍にも関わらずいつも満席。

当然コロナ対策をした上での営業なのだろうが(独りおきに座るなどして)。


そんな状況下であっても居ました居ました、ノマドワーカー気取り(*)の人たち。

何年か前からその存在が注目され出したノマドワーカーという仕事スタイル。

それを形だけ模倣したのがノマドワーカー気取りの人たち。

*「ノマドワーカー気取りの人」はわたし独自の用語


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数冊の書籍と筆記具を傍らに、そしてお決まりのスマホとノートパソコン。

コレが彼らにとっての必須アイテム。

試験勉強か、ネットの閲覧か、あるいは本当のお仕事か?

何れにしても、無言。

仲間らしき人がいてもほとんど会話はない。(単独のケースが断然多い)

そして最も特徴的なのは、まわりを殆ど気にしないこと。

自分の周辺にどんな人がいるのか心配ではないのか?

まったくの警戒心ゼロ!わたしには信じられない。

思うに、パソコンを操作しながら、キョロキョロとあたりを気にしているようでは、

「ノマドワーカー気取り」はまだまだ本物ではないのだろう。


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ところで、わたしたちの時代を振り返ると、「カフェ」という響きは高級なイメージがあっ

て、そう名乗れるのは銀座辺りの喫茶店、パーラーに限定されていたような・・・

それよりも「喫茶店」略して「サテン」という響きの方が我々には身近に感じる。

自由が丘、渋谷、原宿、池袋など若者が好きな駅周辺にあって、ほとんどが狭い間口で

階段を地下に降りるか、あるいは二階に上がって行くのが定番だった。

そして、奥に進むと薄暗い店内が広がっているというのがサテンのイメージだ。

これが当時の流行だったのだろう、そんな構造の店が多かったように思う。

蛇足ながらレスカ(レモンスカッシュのこと)がなぜか大人気だったな〜〜。


店内は薄暗くても、おしゃべりや笑い声は絶えず、とにかく店全体が賑やかだった。

更に、その騒がしさに加えて有線放送がかかっていたのが特徴だ。

そこが今のカフェとの決定的な違いだろう。

一見すると、最近のカフェはあまりに静かなため「ここは図書館か?」と錯覚するほどだ。

逆に、今どきの図書館は図書館独自の方針で、「おしゃべりOK」というところもあるよう

で、なんともややこしいご時世だ。


大学生の頃は、数人集まれば話題は絶えなかったし、議論も大いに弾んだ。

その傍らで友達から借りた授業のノートを必死に写す仲間もいたりして。

一見、バラバラなようだけど、それでいて暗黙の了解的にまとまっていたと思う。


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わたしの場合は「ノート写しなんて悪事?はやっていない!」と言い切りたいところだが、

当時、貴重なノートを気前よく貸してくれた友人の手前、わたし自身も悪事メンバーの一人

だったことを潔く認めよう。

そんな慈悲深い友人たちには今も感謝の気持ちでイッパイだ。

しかしながら、こうした行為もAさんからBさんへといつも一方的だった訳ではなく、相互扶

助的に行われていたことだけは誤解のないよう付け加えておきたい。


ところで、ノート写しに関しては専らジャズ喫茶の片隅で静かにというのがわたし流で、

自称「ジャズ喫茶派」だったことに若干の拘りと誇り(?)を持っている。

じっくりとジャズに傾聴するときもあったけど、そうかと言ってジャズ一筋なんて自慢でき

るようなオーセンティックなファンでもなかった。

当時からジャズのゆったりした雰囲気と軽いノリが好きだったから、ノート写しにはジャズ

が一番ふさわしいと今でも思う。(そうでないジャズもたくさんあるけど)


そうした環境でのわたし流ノート写しは、

写しながらその内容も同時に頭に入れる

というものだったから実に効率的だった。





そうそう、この頃から「ナガラ族」なんて呼ばれる人種がマスコミなどで注目されだし、

ステイタスとして一定の市民権を認められていたようだ。

しかしながら、当時は決してよい意味で呼ばれていた訳ではない。

その背景には「二兎を追うものは・・・」の戒めがあったからだろう。

だが、現在はナガラ族のことなんて当たり前のこととして話題にもならない(私はこうして

話題にしているが)。


あることをしながら、別のことを同時に行う。

こういったスタイルがナガラ族の定義だ。

その意味では、わたしも立派にそのメンバーの一人だった言えよう。

ナガラに関してこんな思い出がある。


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高校生のころ、例によって深夜

放送を聞きながら勉強している

ザ・フォーク・クルセダーズ

「帰って来たヨッパライ」

いう何ともふざけた(?)曲が

突然ラジオから流れた。



今までにない斬新な曲調、ユニークな歌詞とすべてが初めて体験する新しさだった。

そしてこの不真面目な楽曲は話題となり、空前の大ヒット曲となった。

あの時だけはさすがのナガラも手を止めて聴き入ったほどの途轍もない衝撃を受けた。

60年代後半、深夜放送黎明期の出来事だ。


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「オールナイトニッポン」をはじめとした各ラジオ局の深夜放送を聞きながら、

日頃の予習・復習あるいは中間、期末の試験勉強をするのが、当時のわたしたち

ナガラ族の日常だった。

そして翌朝、眠い目をこすりながら教室で、学食で、そしてサテンで、前日(正しくは

その日)の深夜放送を話題に大いに語り合ったものだ。

パソコンもスマホもない貧しい時代だったけど、毎日が楽しかった。

何よりワクワクする未来があの頃にはあった。

今仁哲夫、糸井五郎、野沢那智、そして落合恵子など、そうそうたるディスクジョッキーの

名が懐かしい。


<編集後記>

本文の中で「ノートを写しながらその内容も同時に頭に入れるから実に効率的」という内容の一節がある。
これは見方を変えればナガラをしていなければ2倍の勉強量、あるいは半分の時間で同結果を得られたということにもなり、当時は実にご都合主義的な考え方だったと大いに反省している。

今でもジャズやバロック系の音楽をかけながら、何か作業をするという習慣は健在だが、ここぞというときは、何もかけずに作業に集中するよう心がけている。

from JDA  2020.09.27

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