音楽について感じたこと<続編> 音楽の力について一言 


音楽の力って何だろう?
最近、テレビで元YMOメンバーの坂本龍一氏が、東日本大震災の被災地慰問等でこの間多くの人たちが口にしていた「音楽の力」について、嫌う発言をしていたけれど、坂本氏らしいコメントだと思った。
そのインタビューのなかで「音楽が人々を救う」的な意識はおこがましいというようなことを言っていたように僕自身は受け取った。
実際のところ検証した訳ではないのでハッキリしたことは言えないが、音楽によって救われたとは言えないまでも、勇気づけられた人たちは被災地ではたくさんいたのではないかと思う。


坂本氏の発言は、当然そういったことを踏まえた上での、ミュージシャンとしての謙った言葉だと解釈したい。
当然に実績ある演奏家の彼だからこそ、発言できた許されるコメントだったのだと思う。

当時、ボランティア的発想で積極的に現地を訪問した芸能人やミュージシャンがいた中で売名行為と囁かれた人たちがいたことも確かだ。そうした混乱のなかでの彼らの行動は人々に明るい光を与えてくれたことは言うまでもないが、その一方で「音楽の力」のフレーズが異様なほどに繰り返されていたのも気になったところでとても残念だ。

最近の坂本氏の発言の背景にあるのは、ミュージシャンが異口同音に発した「音楽の力」の発言が時として「上から目線」的なニュアンスに受け取られかねないことに対する警鐘だったのだと思う。


「われわれはやってあげてるのだ」という微妙な驕りの心理が見え隠れしているのを坂本氏は察知し、それを嫌ったのかもしれない。




余談だが、昨今の日本のスポーツ界で多くの選手が口にする「試合を楽しみたい」というフレーズにも、上の「音楽の力」同様に僕としては違和感を感じてしまう。
元々は外国の選手がインタビューの際に口にしたフレーズだったのだろうが、本番に弱い日本の選手にとっては絶好の「おまじない」的救いの言葉だったのだろう。
当然のこととして、みな飛びついたのだ。
そこには「緊張せずリラックスして」といった意味合いが込められているのだろうが、「言うは易く行うは難し」で、実践されなければそれこそカッコ悪い。
これもまた、音楽界同様にスポーツ界に蔓延しているトレンド用語で、誰もが使ってしまうと滑稽としか思えない。

話を本題に戻すことにしよう。
確かに、これまで多くのミュージシャンが一応に口にした「音楽の力」というフレーズに坂本氏が違和感を覚えたのも頷ける。

要は、自分なりのユニークな言葉では表現できず、今そこにある流行語でことを済ませようとして自分なりの個性を出そうとしない(出せない)日本人ばかりなのが問題なのだ。
ここ最近では政治家の「~~ファースト」や「ワンチームになって・・・」など然りだ。

 2020.03.05 JDA

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