モハメド・アリの思い出

6月3日、元世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ氏が亡くなった。
アリの名前を聞いて思い出すのは、やはり当時無敵と言われていたジョージ・フォアマンと対戦した「ザイール(キンシャサ)の奇跡」と呼ばれているあの試合である。

当時、大学生だった私は数人の仲間と友人宅でテレビ観戦したのをいまでもハッキリと憶えている。
圧倒的なハードパンチをもつフォアマンに対し、既に全盛期を過ぎたアリは絶対的に不利というのが大方の予想だった。

私自身も、さすがのアリもフォアマンの前では一溜りもないのではと不安な気持ちで観戦していた。

テレビの画面では、無敗の王者に挑むアリの勇気だけが無謀に独り歩きしているように思えた。
私には、それはまるでお釈迦様に挑む愚かな孫悟空のように見えた。
しかしながら、その勇気が何とか彼の面目を保っているかにも感じられた。
僅かな期待感はあったのである。

試合の前半は予想通りアリはフォアマンのパンチに圧倒され、防戦一方だった。
誰もがアリの勝利はないと思ったに違いない。
そんな中、8ラウンドに奇跡が起きる。
明らかに打ち疲れしたフォアマンにアリは襲い掛かった。
それは一瞬の出来事だった。
フォアマンはマットに沈み、レフェリーの10カウントが数えられ、アリは勝利したのである。
それは信じ難い光景だった。

こうした彼の試合スタイルや生き方に感化されないファンが果たしていただろうか。
とにかく、カッコよかった。誰もが彼に憧れた。
彼が一時代を築き、その時代の最大のヒーローだったことは確かだ。


そんな彼には「ザイール(キンシャサ)の奇跡」とともに語り継がれている伝説がもうひとつある。
それは、ローマオリンピックで金メダル獲得しアメリカに凱旋した際、
黒人に出す食事はないとレストランで入店拒否され、
首にかけた金メダルは何の役にもたたなかったとオハイオ川にメダルを投げてしまった事件。

これはあまりにも有名なエピソードだが、実は作り話だったという。
しかし、アリを以ってすると作り話が真実以上に真実味があるのだから不思議だ。

このエピソード(その時は少なくとも実際の出来事と思っていた)は、私にとって衝撃だった。
大袈裟なようだが、その後のわたしのものの考え方や生き方に大きく影響したといってもいい。

ところで、少年期までカシアス・クレイ(粘土、土)と名乗っていた本名は、黒人奴隷の象徴的な名前であったようである。
恐らくその頃の彼にとっては耐え難い名前だったに違いない。
そのため、白人社会(キリスト教)と決別するために彼はイスラム教に改宗し、
モハメド・アリと改名するが、その精神は現代社会に存在している一部の歪んだイスラム教とは異質の、まったくの純粋な考え方だったに相違ない。

ベトナム戦争の徴兵拒否(反戦)や人種差別反対など彼がとった一連の言動は、
まさしく母国アメリカを敵に回す行為で、当初はアメリカ社会の批判を浴びたが、
彼の粘り強い活動で理解者を増やしていったという。
彼がアトランタ五輪で最終聖火ランナーに選ばれたのも、そのひとつの現れといえる。

ボクシングという手荒で過激なスポーツを愛しそれを生活の糧としながら、
心に抱く理想は「平和」そのものだったところがあまりに対照的で皮肉だが、
エキセントリックなアリらしくてカッコイイと私は思っている。

いまの世の中、見かけ倒しの人間が多いけれど、一見悪に見えて実は正義の味方的な人間に心惹かれるのは私だけではないだろう。

そんなアリだが、わたしはひとつだけ感心できないことがある。
それは彼の試合前の相手ボクサーを罵る行為である。
確かに、ボクシングの試合もひとつのショーなので、盛り上げるためのパフォーマンス(それがアリの魅力であり人気を高めた要因であったことは確かだ)であり、自信を鼓舞する手段だったのかもしれないが、どんな理由であれそれは頂けない行為だと私個人は思っている。
彼の試合は多くの人たち(子供たちも)が観ていたのである。
その影響は計り知れないはずだ。

人と人が殴り合うという一見野蛮な競技が、ルールを遵守しクリーンに行えばこんなにも素晴らしいスポーツになったのだということを彼にこそ証明してほしかった。
そのことが残念でならない。
そうした諸々のことを考えると、「The Great」と呼ばれた偉大な男も、ひとりの弱い人間だったのかもしれないと思えてくる。

ご冥福をお祈りいたします。
2016/06/09

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