ジャケ買い天国: シリーズ第5弾「ジュリアン・キャノンボール・アダレイ ソフィスティケイテッド・スイング」
JULIAN "CANNONBALL"ADDERLEY SOPHISTICATED SWING
ジュリアン・キャノンボール・アダレイ ソフィスティケイテッド・スイング
SIDE-A
1.ANOTHER KIND OF SOUL
2.MISS JACKIE'S DELIGHT
3.SPRING IS HERE
4.TRIBUTE TO BROWNIE
SIDE-B
1.SPECTACULAR
2.JEANIE
3.STELLA BY ATARLIGHT
4.EDIE McLIN
5.COBBWEB
<アーチスト>
ジュリアン・キャノンボール・アダレイ(as)
ナット・アダレイ(tp)
ジュニア・マンス(p)
ジミー・コブ(ds)
サム・ジョーンズ(b)
録音:1957年2月7、8日
昨今のアナログ(レコードなど)ブームは安易なトレンドとしての懐古趣味ではなく、地にしっかりと根付いた本物なのかも知れない。
その動きはレコードに留まらず、カセットテープにも及んでいるとか。
ほぼ同時期に注目されだした話題のハイレゾブームよりも、大きな潮流になっているように私には思える。
数ヶ月後には、復活したあのオーディオブランド「Technics」から、ターンテーブルの名器「SL-2000シリーズ」が限定モデル含め販売されるということも大きな話題で、こうした動きはレコードブームを牽引する強力な要素になることは間違いないだろう。
というか、企業としてのマーケティングが、「こうした今の流れは長続きする」という判断を下したのだから、期待してよいのだろう。
数年前までは寂しい店内だったDISK UNIONなども、最近ではいつも盛況そのものである。
明らかに何かが変わってきている。
そんな前置きはともかくというか、その流れに乗ってというか、今回紹介するアルバムはCDではなく、LPレコードである。
選んだのは、表題のアルト・サックス奏者キャノンボール・アダレイの「ソフィスティケイテッド・スイング」
このアルバムはわたしのレコード購入歴で一番最後に買った記念すべきレコードである。
ただ、このコーナーのタイトル通り「ジャケ買い」だったかどうかはあまり自信がないのだが、当時のことを考えつつ記事を書きながら思い出すこととしよう。
1980年代はじめ、時代はレコードからコンパクトディスク(CD)にシフトしつつあった。
この頃、ほとんどのアーチストの新譜はレコードとCDの両メディア媒体で発売され、徐々にその割合はCDに偏っていき、最終的にレコードはその姿を消していったのである。
そんなレコードにとっては世紀末的な時期に購入したのが当LPレコードだ。
記憶では、この時期私としてはもう完全にCDに切り替えていたので、ここで改めてひとつの疑問が浮上する。なぜLPレコードを買ったかという。
考えられる購入の動機と言えば、言うまでもなくジャケットに惹かれてと言いたいところだが、正直なところその記憶は定かではない。
その他にも、このLPが<新星堂ジャズ・コレクション・スペシャル>のⅢとして完全限定プレスとして発売されたという経緯なども捨てがたいが、果たしてどうだろう。
確かに、私は限定と銘打つものに弱いのは確かである。(余談だが、ソニーがPC界から撤退すると聞き、VAIO_の最終モデルを慌ててネットで購入したものの、その後VAIOはソニーから独立し独自生産の途をたどるというどんでん返しがあった。)
改めて申し上げると、LPレコードジャケットはCDのそれと比べインテリアの役割をしてくれて便利だった。鑑賞用としてはCDよりもLPレコードの大きさが必要なのである。
当時、キャノンボール・アダレイといえば、マイルス・デイビスの実質リーダーアルバムだった「サムシン エルス SOMETHIN' ELSE」に参加しているアルト・サックス奏者程度の知識しかなくて、勿論、彼に惹かれて購入した訳でもない。
この点は確信が持てるのだが。
添付の原田充氏によるライナーノーツによれと、このアルバムはキャノンボール・アダレイの初リーダーアルバムだったそうだ。氏はジャケット写真のメルセデスと美女のお尻から”お尻のキャノンボール”と呼び、愛聴していたとか。
私が購入したのはその再発盤で、そんな状況など何も知らずに買った私はなんと無知だったことか。
もしかしたら、購入当時はレコードに一度も針を落とさなかったかもしれない。
勿体ないことを・・・
その後何年かして聴いてみて、名演であることに気付く。
だが、その頃にはターンテーブルにガタがきて、聴きたくても聴けない破目に。
やがてCD一辺倒となり、またまたこのアルバムは忘れ去られる運命にあったのである。
そして何年か前に、ターンテーブルを購入し久しぶりに針を落としてみた。
ターンテーブルのほのかなライトに照らされながら、レコード盤が回転する光景を眺めていると、懐かしさと伴に、ゆったりとした雰囲気に包まれ何とも贅沢な気分を味わうことができた。
その上、演奏の方もご機嫌ときているから言うことなし。
50、60年代のハード・バップ系からファンキー・ジャズに至る代表的な演奏で、こうしたジャズは今でも十分に楽しませてくれる。
ジャンル分けは好きではないけれど、こうしたアルバムを聴いていると、モダン・ジャズと呼ばれたこの時代のジャズは、クラシック音楽のように時代を超越した永遠の存在になったと言って過言ではないだろう。
ところで、こんな名盤がどうして長い間陽の目を見なかったのか(再販やCD化されないなど)。
それはとても不思議なことだが、先ほどのライナーノーツを読むと合点がいく。
その訳は私にとってはとても皮肉なことなのだが、同時にえらく納得できる理由でもあったのだ。
わたし自身、このアルバムの購入動機はジャケ買いだったと思っているが、どうやらその辺りの事柄が大いに関係しているらしい。
むかしはジャズのジャケットと言ったらモノクロ系の渋めのものが一般的で、名盤と言えばそうした地味なジャケットに多かったのも確かだ。
先ほど触れたアルバム「サムシン エルス SOMETHIN' ELSE」はその典型例かもしれない。
アルバムタイトルとアーチスト名をデザイン化しただけの何とも単純で味気ないジャケットだ。
それに対して、今回紹介のアルバムのようにセクシー美女を前面に出した美麗ジャケットは、ジャズの正統派からすると、あまりに軟弱で評価の対象にすらならないという結論なのだろう。
レコード会社もその辺の理由から、再販を敬遠していたようである。
いわゆる「売れない」と判断されたのである。
とは言うものの、一方で美麗ジャケットもまたジャズの代名詞であることは事実で、私同様に「ジャケ買い」をポリシーにしている人は少なくないはずだ。
こうしてみると、ジャズというのは何とも奥深く興味の尽きない世界と言える。
時代の流れに取り残され消えゆく運命にあったレコードを惜しむという、当時は単純でセンチメンタルな気持ちでいっぱいだったのだろけど、今思えばこのLPレコードを買うにあたり最後に背中を押したのは、やっぱりジャケットの魅力だったと思う。
そして、そんな不純な(?)動機で購入したアルバムが、名演奏を繰り広げてくれるのだからラッキーとしか言いようがない。これこそが「ジャケ買い」の醍醐味だと正当化する。
またまた、次なる「ドジョウ」を探し求め、柳の下へと赴くこととしましょうか。
追記
当時からこのジャケットは画像のクオリティが良くないと感じていたが(掲載したジャケット画像は小さいので分かりづらいと思うが)、再販にあたりやはりジャケット絡みのやむを得ない事情があったようだ。
ライナーノーツによれば、完全オリジナル復刻にあたり、制作会社に保管されているはずのジャケットのフィルムが見つからなかったとのこと。程度の最もよいオリジナル盤を転写し代用したというエピソードなども書かれていて、長年の疑問は何とか解決できた。
更に蛇足だが、その画像自体は合成画像だったそうだ。
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