F1解説者、今宮純氏を偲んで
フジテレビ系列のF1放送の解説を初期の段階から担当していた今宮純氏が先日亡くなられた。享年70歳、F1ファンにとっては惜しまれる、あまりに突然の知らせだった。
氏のプロフィールを読むと、慶應義塾大学に在籍中からモータースポーツの世界に関わり、その熱意と情熱は常人ではなかったことがわかる。その頃からあらゆるカテゴリーのモータースポーツに関わり、文字通り生涯スポーツジャーナリストとしてその一生を捧げたと言える。熱心な取材活動、F1実況における丁寧な解説、口調からも氏の温厚で誠実な人柄が感じとれた。時には、込み上げる思いが先行して言葉に詰まる場面もしばしばあったが、そんなことも氏の誠実さと優しさの表れだったのだろう。
そんな今宮氏の人となりをわたしとしては最も感じたシーンがこれだ。
1994年のF1サンマリノGPでのアイルトン・セナの事故死の際の中継である。今宮氏は当時、マクラーレンのチームメイトで最大のライバルだったアラン・プロストよりもアイルトン・セナの方を応援していたはずだ。それはF1中継を長年見続けてきた私たちF1ファンなら誰しも気付いていたことだろう。
解説者、モータージャーナリストという立場上、そのことは安易に言えなかったことだろうが、歴代のF1ドライバーの誰よりもセナのことが好きだったと想像する。
その事故があったときの実況現場のことは私たちテレビを見ているものにとってはわからないことだが、あのとき突然に訪れた残酷な現実、アクシデントに対し、放送現場の関係スタッフ誰もが一瞬時間が止まったように感じたはずである。呆然とする自分と狼狽る自分自身の姿の共存。凍りついたような一瞬だった。夢であって欲しいと祈った。あの場面で今宮氏も同様の思いだったと思う。
だが、その後、氏は我にかえり解説者の立場に戻ったのだ。
「モータースポーツに関わっていると、こうした現実があるけれども、我々はそれを受け入れなければならない」といった内容のコメントを発し、
「次回のモナコGPにはセナはいませんが、F1は続いていくわけです」と解説者としてのコメントを涙を堪えながら述べた。
わたしにとっては忘れることのできない印象深いフレーズだった。
「放送中に泣くとは・・・」このことに関してプロ意識に欠けるといった心ない意見も当時あったのかも知れないが、アクシデントの内容とそれまでの氏の人柄を思えば許されるべきことだと思う。今宮氏の人間味溢れる一面を彷彿させるエピソードである。
今思うと、あのときの今宮氏は完全に一セナファンとなり、私たちと同様に悲しみ、涙したのだ。
そんな今宮氏の温厚な人柄は放送中の解説姿勢でも多々見受けられた。
例えば、自分の年齢の半分にも満たない最近のヤンチャなドライバーに対するコメントでも、ドライバーのミスや欠点をストレートに批判するのではなく、そのドライバーの優れた面を讃えるというプラス思考の暖かな眼差しに好感を持てた。言葉を入念に選び、慎重にコメントするのが今宮流で、決して相手を傷つけない配慮が現代という時代においてはとても貴重だっように思える。
2020年、今年のF1はF1史上最多の22戦で行われるとのこと。そんな開催を楽しみにしていたという今宮氏だったが、レース数が増えることでスケジュール的に連戦が増え、ドライバーをはじめピットクルーにとっても過酷なシーズンになることを2019シーズンの後半から気遣っていた今宮氏だったが、2020年のF1サーカスをどう予想していたのだろうか。
今はただ、素晴らしいレースとともに、何事もなくシーズン最終戦を迎えられることを願うばかりである。
思えば、イモラの空の下、ブラジルの英雄アイルトン・セナが早世してから、早いもので四半世紀の時が流れた。
恐らく、今宮氏は大好きだったセナの元へ旅だったのだろう。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ながいことご苦労様でした。
2020.01.14 JDA
氏のプロフィールを読むと、慶應義塾大学に在籍中からモータースポーツの世界に関わり、その熱意と情熱は常人ではなかったことがわかる。その頃からあらゆるカテゴリーのモータースポーツに関わり、文字通り生涯スポーツジャーナリストとしてその一生を捧げたと言える。熱心な取材活動、F1実況における丁寧な解説、口調からも氏の温厚で誠実な人柄が感じとれた。時には、込み上げる思いが先行して言葉に詰まる場面もしばしばあったが、そんなことも氏の誠実さと優しさの表れだったのだろう。
ピットの様子 <jganeshによるPixabayからの画像> |
そんな今宮氏の人となりをわたしとしては最も感じたシーンがこれだ。
1994年のF1サンマリノGPでのアイルトン・セナの事故死の際の中継である。今宮氏は当時、マクラーレンのチームメイトで最大のライバルだったアラン・プロストよりもアイルトン・セナの方を応援していたはずだ。それはF1中継を長年見続けてきた私たちF1ファンなら誰しも気付いていたことだろう。
解説者、モータージャーナリストという立場上、そのことは安易に言えなかったことだろうが、歴代のF1ドライバーの誰よりもセナのことが好きだったと想像する。
その事故があったときの実況現場のことは私たちテレビを見ているものにとってはわからないことだが、あのとき突然に訪れた残酷な現実、アクシデントに対し、放送現場の関係スタッフ誰もが一瞬時間が止まったように感じたはずである。呆然とする自分と狼狽る自分自身の姿の共存。凍りついたような一瞬だった。夢であって欲しいと祈った。あの場面で今宮氏も同様の思いだったと思う。
だが、その後、氏は我にかえり解説者の立場に戻ったのだ。
「モータースポーツに関わっていると、こうした現実があるけれども、我々はそれを受け入れなければならない」といった内容のコメントを発し、
「次回のモナコGPにはセナはいませんが、F1は続いていくわけです」と解説者としてのコメントを涙を堪えながら述べた。
Ayrton Senna da Silva <Luis CarlosによるPixabayからの画像> |
わたしにとっては忘れることのできない印象深いフレーズだった。
「放送中に泣くとは・・・」このことに関してプロ意識に欠けるといった心ない意見も当時あったのかも知れないが、アクシデントの内容とそれまでの氏の人柄を思えば許されるべきことだと思う。今宮氏の人間味溢れる一面を彷彿させるエピソードである。
今思うと、あのときの今宮氏は完全に一セナファンとなり、私たちと同様に悲しみ、涙したのだ。
そんな今宮氏の温厚な人柄は放送中の解説姿勢でも多々見受けられた。
例えば、自分の年齢の半分にも満たない最近のヤンチャなドライバーに対するコメントでも、ドライバーのミスや欠点をストレートに批判するのではなく、そのドライバーの優れた面を讃えるというプラス思考の暖かな眼差しに好感を持てた。言葉を入念に選び、慎重にコメントするのが今宮流で、決して相手を傷つけない配慮が現代という時代においてはとても貴重だっように思える。
2020年、今年のF1はF1史上最多の22戦で行われるとのこと。そんな開催を楽しみにしていたという今宮氏だったが、レース数が増えることでスケジュール的に連戦が増え、ドライバーをはじめピットクルーにとっても過酷なシーズンになることを2019シーズンの後半から気遣っていた今宮氏だったが、2020年のF1サーカスをどう予想していたのだろうか。
今はただ、素晴らしいレースとともに、何事もなくシーズン最終戦を迎えられることを願うばかりである。
思えば、イモラの空の下、ブラジルの英雄アイルトン・セナが早世してから、早いもので四半世紀の時が流れた。
恐らく、今宮氏は大好きだったセナの元へ旅だったのだろう。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ながいことご苦労様でした。
2020.01.14 JDA
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