IN MY OPINION:「やはりそうだったか、日展」

恐れていたことが現実となった。先般、11月1日付けの記事IN MY OPINION:「日展の問題から見えてきた審査の本質」で採り上げた日展の不正審査の問題。書道の一部から露呈したこの組織の不正は案の定、洋画や工芸美術の分野にまで及んでいたようである。
更に深刻なのは、日展の現理事長・副理事長が所属するそれぞれの会で半世紀近くこの「不正らしき行為」が行われてきたという事実だろう。

その中で今回特に問題になっているのが、長年に亘りその分野で慣行化していた「日展審査員による事前指導」という奇妙な「下見会」の存在である。(事の詳細は2013年11月20日の朝日新聞朝刊第一面を参照願いたい)
驚くことに、先の理事長、副理事長含め彼らの「下見会」に対する言い分は「作家を育てるためにやっており・・・」や「純粋な勉強会と考えている。」といった事の是非を正当化する発言に終始し、反省の気持ちなどその文面からは到底読み取ることができないものであった。

更に、彼らが強調するのが、「慣例で問題ないと思った・・・」という情けない発言である。
この発言を聞いて先ず思い出すのは、よくある入社式の社長挨拶の常套句である。
例えば、新入職員を前にした入社式での社長挨拶で「現状に満足することなく・・・」や「何事にも疑問の気持ちをもって・・・」などのフレーズである。どれも慣例を鵜呑みにせず、常に否定の気持ちが大切だといった内容で、新人を迎える言葉としては如何にももっともらしい。いま流行りの「イノベーション」を念頭に置いた挨拶なのだろうが、日展のお偉方の言い訳を聞いていると、彼らにこそこのフレーズが最も相応しいのではないかと思ってしまう。
ある意味、滑稽としか言いようがないが、彼らとてその程度の人間なのだと思うと多少諦めもつくが、純粋な気持ちで応募し続けてきた一般応募者の熱意を思うと、他人事とは言えず怒りさえこみ上げてくる。「厳正なる審査の結果、貴殿は不合格」や「不採用」と言った通知の無念さをできることならこうした審査委員らにも味わってもらいたいものである。そう思うと、一般応募者を長年に亘り騙し続けた公益法人「日展」という組織の罪の重さは計り知れない。

前回の記事では日展の新たな健全化のスタートを切に願ったが、今回の新聞記事を読みその期待も虚しく崩れ去ってしまった。ハッキリ言って、この日展という組織は完全に病んでいて、救いようのない組織と言わざるをえない。不正の全容解明もさることながら、一刻も早い組織の立て直し(存続が許されるのなら)が必要かと思う。日展を管轄する監督官庁は日展任せの調査委員会ではなく、外部の独自調査委員会を設けるなどして、この問題に厳しく取り組んでもらいたものである。場合によっては組織の解散、あるいは構成メンバーの一掃も視野に入れるべきだと思う。

前回の投稿「日展の問題から見えてきた審査の本質」から20日ほどの時間が経過した。その間に食の偽装問題で一流ホテルやレストラン、デパートなどが次々と芋づる式に明るみに出てきたことや今回の件などを考えると、これからの私たちは何を信じ、誰を信じればいいのだろうか。
2011年の世相を表す漢字「絆」の精神は何処へ行ってしまったのだろうか。
それにしても、薄っぺらで情けない社会になったものである。

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