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根強い人気 XIV(エクシブ)伊豆

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2011年8月に投稿した「今年もXIV(エクシブ)伊豆行ってきました。」 もう、2年も経つ記事にもかかわらず、いまだに読んでいただいているようでとても感激しています。 ということは、XIV(エクシブ)伊豆の情報をみなさん欲しがっているということなのでしょうか? 施設側や旅行会社などの資料やパンフでは分からない、実体験に基づく率直な口コミ的情報をみなさん求められているのかもしれません。 また、旅行の場合、宿泊するホテル等は勿論のこと、それ以上に近隣のレジャー施設や自然環境なども選択する上での重要な要素ですから、そうした近隣情報も欠かすことはできません。 その意味では、伊東にあるXIV(エクシブ)伊豆はそうした要望に叶う宿泊施設だと感じています。 実は2012年も3世代家族で2泊3日の旅を楽しんだのですが、何故かこちらのサイトにアップするのを忘れておりました。 当該の記事「今年もXIV(エクシブ)伊豆行ってきました。」は驚くほどのページビューではありませんが、2年前の記事とはいえ地道にカウントを伸ばしております。 そんな訳で、最新情報とは言えませんが(約1年前の情報)、今回は別サイトにアップしたエクシブ2012年版の記事を、ほぼそのままの状態でアップしています。 エクシブ伊豆はこれまで6~7回利用しているが、大室山に登るのはこの時が初めて。 今までどうして行かなかったのが不思議なくらい。 エクシブから近いし、登るにも手ごろなハイキングコースなのに・・・ みなさんの旅行の参考になればと遅ればせの投稿です。   XIV エクシブ伊豆に泊まる...2泊3日の旅 <2012 /08/21~23> 伊豆高原にオワンを伏せたように佇む山が大室山だ。 標高580メートルとはいえアナドルなかれ。 頂上に立つと360度全開の大パノラマが広がる。 何度となくこの地を訪れていたが、 登るのは今回がはじめて。 予想外の絶景にみな興奮気味でした。  (全体のシルエットが撮れなかったのが残念!) (このリフトで稜線上の終点駅まで/かなり急勾配です)   出発駅から終点駅までの高低差139メートル、 その間5分程度で頂上付近の終点駅に到着する。 終...

IN MY OPINION:「世界陸上モスクワ」の放送から感じること

モウクワで現在行なわれている「陸上世界選手権 第14回モスクワ大会」 このところの日本の猛暑ほどではないにしても、それでもモスクワのこの時期としては異例の暑さが続くなかでの競技と聞く。世界のトップアスリートのこと、熱中症なんて心配する必要はないのだろうが、過酷な状況下での各選手の集中力は驚異的である。そんな世界のアスリートの連日の真剣勝負に対しては只々頭が下がる思いだ。改めてご苦労様と言いたい。 それに対し、リラックスムードでテレビ観戦を楽しむことができるこの環境に私たちは感謝しなければならないだろう。そして熱戦を繰り広げるアスリートたちに対しても。 だが、そんな熱い闘いムードをシラケさせることがひとつあることにみなさんは気が付いただろうか。そう、放送の仕方である。コマーシャルが長く多いのはTBSという民放なので致し方ないとしても、あの織田裕二のコメントはいただけない。彼の暴走を何とかコントロールしている中井美穂アナを毎回毎回気の毒に思っているが、観ていて気持ちの良いものではない。これまでの評判から番組進行役を降板する、あるいはさせられるのではと密かに期待していたのだが、スタートしてみれば続投ということでわたし自身大変ショックだった。それならば、少しは過去を反省して多少なりとも自分自身の感情(ペース)をセーブするのかと期待したが、ここ数日の放送を観ている限り一向にその気配は無いようである。 過去の織田氏の世界陸上の放送を観た方はお分かりだろうが、放送中の彼はまるで酒気帯びかと疑うほどのハイテンションかと思えば、急に下を向き考え込んだようになるなど落ち着きがない。番組中の彼の行動はまさにやりたい放題である。仮に、それが役者として番組を盛り上げようとするパフォーマンスだと弁解されても、視聴者側からすれば空回りとしか見えないし、鬱陶しく思えるだけで納得できない。 念のためここで確認しておくが、いま私たち(少なくとも私)視聴者は織田裕二主演の「踊る大捜査線」を観たいと思ってテレビのスイッチを入れた訳ではない。世界の超一流アスリートのパフォーマンスを純粋に観たいと思っているのである。これから始まる筋書きのないスポーツドラマに只々注目したいだけで、そこに変な小細工や演出は必要ないのだ。率直なところ、彼の話は何の役にも立たないし、彼でなければという必然性も何ひと...

IN MY OPINION:緊急地震速報

8日午後4時56分ごろ緊急地震速報が出た。 連日の蒸し暑さが多少和らいだ夕方の時間帯、ダラダラしたムードが一瞬にして緊張へと変わった。そう、震災後何度となく聞いたあの震えるような恐ろしい警鐘音。 久しく聞かなかったので、今回は尚のこと驚きも大きく、身も引き締まった。 幼少のころから、地震に対しては母親譲りのためか人一倍警戒心が強くかった。地震の度に「もうこれで自分もお仕舞いか」といまだに誇大妄想的に振る舞ってしまう自分を情けなく思うが、今回の緊急地震速報は初めて聞いた時以来の強烈な印象だった。 結果的に、誤報ということで災害に対する心配はなくなったが、一方で新幹線をはじめとした交通機関のダイヤを乱すなど社会的混乱を引き起こしたのはまぎれもない事実である。そうなると決まって批判されるのが気象庁や速報システムだが、そうした傾向はわたし自身はおかしいと思う。確かに速報システムも試行段階を過ぎ、ある程度信頼できる精度として稼働し、鉄道関係をはじめとして多くの組織がその速報に基づいて、次なるシステムが始動するという組織的連携がなされている以上、それ相応の重責を担うことは当然のことだが、それだからと言って責任を気象庁に転嫁するは一方的な偏見で、酷なようにも思える。自然という極めて気まぐれで巨大な存在を相手にすることは私たちが想像する以上の難儀と考えるからだ。 それよりも、某FテレビのベテランA女子アナによる緊急地震速報の情けない放送の方がむしろ呆れるばかりの出来事だったと思う。あの段階で情報がまとまっていないのは分かる。だが、途中まで話しては途切れ、また話し出したかと思うと突っかかるというまことに落ち着かない放送は、当該女子アナの普段の放送そのもので今に始まったことではないので特段の驚きはなかったが、こうした緊急時、聞く側としては「分かりやすく正しい情報」が欲しいのである。放送の中で「落ち着いた行動を」と言った常套句の呼びかけが何度かあったが、如何にも形式的で心がこもっていないアナウンスだった。「果たして落ち着くのはどちらなのだろうか?」と疑ってしまう始末。新たな情報と冷静な行動を促されるはずの緊急ニュースが、私にとってはイラつくばかりの精神衛生上極めて良くない波乱番組になっていた。 恐らく学歴、年齢、キャリアでも某Fテレビ局の中では高位の職位にあるはずだが...

IN MY OPINION:「やがて悲しき博士号」 就職難に例外はない

今朝(2013年8月8日 木曜日)の朝日新聞社会面31面に「やがて悲しき博士号」という記事があった。それによると「この春に博士課程を修了した大学院生のうち、非正規雇用の身分で働くなど安定した職に就いていない人が40.1%に上った」ということで、この数値は前年比1.6ポイント増とのことである。 新聞紙上なので、そのことが良いことか悪いことかといった踏み込んだ見解は当然述べられていないが、「高学歴の博士たちが、就職難で苦しんでいる」という実態がいくつかの具体例を交えて報告されていた。 確かに、気の毒な話だというのが記事を読んでの最初の感想だが、高学歴でない人たちもまた同じように空前の就職難で苦しんでいることも、これまた純然とした事実ではないかとも思った。 今更、高学歴者だけを採り上げて問題視するのは的外れで時代遅れのように思えた。 また、この記事によれば、博士課程に進む学生は、20年間で2.5倍に膨らんだという。そうした増加現象は研究や産業技術の高度化に伴い、国が意図的に推し進めた政策の結果であるというが、その背景には長く続く不景気による就職難が大きく影響しているともいえるだろう。つまり、「それなりの優れた技術 や高度な資格を持っていれば就職には苦労しないだろう」という考え方が、「高学歴を目指さないと」という切迫した意識へと繋がったのだと思う。有事の際に安全地帯に逃げ込もうとする心理は人間誰しも同じだろうから。 新聞紙上で紹介されているように、高学歴者が身分不相応な職場で、身分不相応な賃金のもと働いているのは確かに納得いかないおかしな話だろう。しかし一方で、何十社へも履歴書を送り応募したにもかかわらず、書類選考の段階で振り落されている求職者も多いと聞く。彼らからすれば、贅沢な悩みで就職できているだけマシと思われても仕方ないことのように思える。こうした悲観的で当て擦り的な表現はあまり好きではないが、わが身も過去のある時期に多少なりとも同様の経験があったことを思うと、どうしてもそうした表現を避けることはできなかった。 今回の就職難の問題は、高学歴のレベルだけに止まらず、どんなレベルの人たちにとっても一応に厳しく、納得のいかない社会的不条理として私たちみんなに共通に投げかけられている。ただ、そうした矛盾だけを捉えて悲観しているだけでは、何一つ解決には至ら...

IN MY OPINION:「ネット選挙」という言葉がイメージするものとは

米グーグルの日本法人の発表によると、今回の参議院選挙で各政党の公式インターネットサイトを閲覧した有権者の割合は、最高数字の自民党でさえ1%代だったそうである。 つまり、今回の選挙で政党の公式インターネットサイトを参考にし、投票に活かした有権者は非常に少なかったということである。「ネット選挙」元年だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、人々の反応や認識からいろいろのことが見えてきたように思う。 解禁後、初めての選挙と言うことで、当局をはじめマスコミ報道関係者の間では大変注目されていた「ネット選挙」だったが、ふたを開けてみれば一般有権者の関心はそれ程でもなかったようである。このネット選挙に関しては、議員のブログ等の活用に対する是非が解禁以前から問題視されていて、この間かなり議論がなされその成り行きが注目されていた。だが、関係者の盛り上がりだけが目立ち、周りは白けムードだったことが図らずもこの選挙で明らかになった形である。 もっとも選挙戦中盤、あるテレビ曲の放送で「ネット選挙とは?」という街頭での問いかけに「ネットで投票ができるんでしょ」と回答する人が意外に多かったのを見ても、こうしたグーグルの調査結果の数値はある程度想像できたのだが・・・ 確かに、投票率低下の問題や今回のようなネット選挙に対する関心、認識の低さは憂うべき問題に違いないが、今回私が問題にするのは「ネット選挙ではネットから投票ができる」という多くの人たちの認識に対してである。言い換えれば、「ネットは万能」と言ったネットへの過信(依存)に対する警鐘である。 かつて、インターネットがまったく極々一部の人たちのコミュニケーションツールであった頃、一般の人びとはインターネットの極々一部の機能を知っただけで驚愕の関心を示したものだった。当時の参考書などを見ると、「自宅に居ながらにして米国のホワイトハウスの概要がわかる」的な表現があり、まさしくホームページのことを言っていたのであろうが、そのホワイトハウスの画像がパソコンのディスプレイ上に徐々に表れる様を固唾を呑んで見守ったものである。そう、あの頃はインターネットのすべてが新鮮であり、感動的だったのである。それまで見慣れない不格好な形をしたパソコンケースは、ある意味触るのが怖かったし、取っつきにくい存在だったが、その圧倒的なパワーは感動的であり、...