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アンディ・ウィリアムスを偲んで

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「2012年9月25日、アンディ・ウィリアムス84歳で死去」というニュースをサイトで知った。 正直、最近の私の生活の中では、ほとんどその名前を意識することはなかったアンディ・ウィリアムス。だが、2か月くらい前に、偶然にもこのお得盤アルバムをタワーレコードで買い、聴いたばかりだったのだ。 彼の、映画音楽をはじめとする代表曲とクリスマス・ソングを集めた3枚組のアルバムだ。 その時、久々に聴いたアンディは、記憶にあったアンディそのもので、甘く、せつなく、ある時は軽やかに名曲を歌い上げる。受ける印象はまったく以前と変わらない。 懐かしさと癒しとを感じさせてもらい、本物のボーカリストの上手さを改めて教えてもらった感があった。 最近はどうしているのだろうと懐かしく思っていたのに・・・ そう言えば以前、私はハワイのマウイ島を旅行したことがあった。その時現地のツアーガイドが、ラハイナの街をバスで通った際に、こんな話をしてくれたことを思い出した。 ラハイナにあるシアターのようなところで、アンディ・ウィリアムスがディナーショーをやっているとのことだった。嘘か本当かは定かでないが、往年のアンディがそんなところでショーをやっているなんて信じられなかったし、ちょっと寂しい気持ちにもなった。 でも、「ハワイアン・ウエディング・ソング」も彼の代表曲だし「考えられなくもないな」なんて、いとも簡単に納得したことを今でも覚えている。 アンディ・ウィリアムスを初めて知ったのは、はっきり覚えていないが中学生くらいの頃だったと思う。 当時の私は音楽は洋楽、映画は洋画と、典型的な「 向こう かぶれ (注) 」少年だった。 環境による要因が大きかったと思うが、当時は日本全体がそんな傾向だったように思う。 アメリカやヨーロッパに憧れ、向こうのものならなんでも良いという時代だったのだ。 いわゆる、ポピュラーソングに目覚めさせてくれたアーチストのひとりだったのだ、アンディは。 ただ、負け惜しみではないが、確かな判断も自分の中ではあったと思う。 なぜなら、アンディ・ウィリアムスのファンになったのだから。本物を見極める目はあったのだ。 当時、彼と同じ路線を行っていたボーカリストはたくさんいたはずだ。 いわゆる「甘いスタンダード・ナンバーを歌う正統派路線」である。 ペリ...

マウリッツハイス美術館展へ

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MAURITSHUIS   マウリッツハイス美術館展 へ行ってきました ~オランダ・フランドル絵画の至宝~ あの謎めいた瞳を見たいがために  東京都美術館入口手前にあるオブジェ   当日の正面受付の様子 オンラインチケットだったので、代わりにこのチケットをくれた。 わたしが初めてフェルメールの実物を観たのは確か「窓辺で手紙を読む女」という作品で、さらに話を遡るとフェルメールという画家を知ったのも、雑誌等に掲載された「窓辺で手紙を読む女」だった。正直、このときの雑誌の写真からは、特別なものはなにも感じなかった。 ところで、この「窓辺で手紙を読む女」の実物作品との出会いには面白いエピソードがある。 その出会いは、1974年、ドレスデン国立美術館所蔵の作品を展示した「ヨーロッパ絵画名作展」でのことである。場所は国立西洋美術館である。 わたしの記憶では、当時の我が国ではフェルメールはまだまだマイナーな存在だったように思っていたが、この時の公式図録をみると、確かにフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が表紙を飾っていて、主催者側のウリはこの作品だったことに間違いはなさそうだ。どうやら、この頃からフェルメールブームは静かに始まっていたのかも知れない。  「窓辺で手紙を読む女」を表紙にした 当時の「ヨーロッパ絵画名作展」図録  (1974年) この頃は学生だったので、時間はいくらでもあり、絵画展へはよく出かけていたが、「ヨーロッパ絵画名作展」へはこの「窓辺で手紙を読む女」を観ることが目的だったのかどうか、その辺のことはほとんど自分自身でも記憶がないのだ。 ただ、この作品を見た瞬間の感動だけははっきりと覚えている。 当時、自分自身が大学生だったことを考えると、作品の良し悪し、歴史的背景云々はともかくとして、この作品全体が醸し出すオリジナリティーやエネルギーに圧倒されたのだと思う。それ以降、この作品をきっかけにフェルメールに興味を持っていくのであるから。  「窓辺で手紙を読む女」 このように、この作品との出会いは偶然だったのか、必然だったのか、その辺りは未だに 定かでないが、こうした訳のわからぬ出会いこそ、世に云う「運命的出会い」というのだろうか? 「ちがうって!」と周囲からは否定...

東日本大震災から1年半 被災地は今・・・

東日本大震災から 1年半 被災地は今・・・  2012年9月11日、あの痛ましい出来事から1年半が経過した。  しかし、被災地では未だに仮設住宅等で不自由な生活を強いられている被災者は多い  また、昨日(9/11)の新聞報道によれば、行方不明者は2814人と信じられない数字である。  現地では、不明者の捜索が今もなお行われていると聞くが、時間の経過とともに、捜索の困難さは一層厳しさを増すことだろう。 ご家族や関係者のことを思うと心が痛む。 と同時に、捜索に当たられている方々の努力に只々頭が下がる思いだ。  1日も早い不明者の発見と犠牲者の冥福を祈るばかりである。 死者:15870人 不明者:2814人  (9月10日現在)

今年もXIV(エクシブ)伊豆行ってきました。

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恒例の XIV 伊豆の旅 、また今年も行ってきました。 2011年8月21日~23日 往きはお馴染み朝マックでひと息! XIV 伊豆 は今回で4回目の滞在。 これまでは一泊二日だったけど、今回は二泊三日の滞在。 初日はチェックイン前に城ケ崎公園に立ち寄り、 門脇灯台、門脇吊り橋など2時間ほど散策しました。 門脇灯台から見た城ケ崎海岸(1) 門脇灯台から見た城ケ崎海岸(2) 黒くゴツゴツした岩が剥き出しの荒磯、打ち寄せる白波、断崖絶壁に架けられた吊り橋、 すべてがすごい迫力。 吊り橋から下を 海からの高さ23メートル その断崖絶壁の海岸沿いに広がる鬱蒼とした雑木林は、 雨上がりということもあって、周りに比べチョッと涼しく感じました。 そのためか、長い階段の上り下りも全然苦になりませんでしたよ。 画面左手は切り立った崖でその下は荒波打ち寄せる海岸なんです。 天気はあまり良くなかったけど、散策中は雨も降らずラッキーな初日。 チェックイン後、部屋でひと休みしていたら激しい雨が・・・ XIV伊豆ホテル内からの眺望 ◆ 二日目は7:30に朝食。 XIV伊豆 朝食バイキング 早めに行ってたから良かったけど、食べ終わって外に出ると、 なんと食事待ちの長蛇の列。 ここでもラッキーでした。 その後、予約していたテニスを一時間。 多少小雨が降っていたけど、適度な運動(?)気持ち良かったで~す。 子供たちは元気いっぱいで、その後プールにも行き、 最後は温泉でサウナにも入ったようです。 連日、曇り空と時折降るスコールのような雨と、天候にはあまり恵まれなかったけど、 往きも帰りもこれといった渋滞にも遭わず、 みんな何事もなく元気いっぱいで帰宅できました。 最後は「ドライブインみのや新島」のソフトクリームで決まり!

音楽聴きくらべ_006「Europa 哀愁のヨーロッパ」

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課題曲 #006 Europa 哀愁のヨーロッパ Words & Music by SANTANA CARLOS & COSTER TOM 誰にも「ごひいきミュージシャン」はいるはず。 私の場合、洋楽ではサンタナ、邦楽では荒井由実(のち松任谷由実)と高中正義だった。 遠い昔、青春時代のことである。 彼らのアルバムが発売されると、すべてのレコードをコレクションしなければという奇妙な義務感(?)からか、収録曲がどうであれ、取りあえず何が何でも彼らの新譜を購入したものである。 当時は今のように購入前にアルバムを試聴することなどできなかったから、 三千円ほどの出費はかなりの冒険であり、一種の賭けのようなものだったと思う。 だが、僅かな小遣いの中からの三千円出費はかなり厳しかったが、それでも決して欠かすことはな かった。 この宗教染みた(彼らのアルバムを買い続けるという)慣習は、レコードからCDの時代に移っても 変わることはなかった。 さすがに松任谷由実と高中正義については、何年も前にこの不思議な慣習(?)から卒業したが、 サンタナについては今でも細々と続いている。 今思うと、こうした慣習は幾分滑稽だが、彼らの新譜アルバムには 必ず一曲二曲は思いもよらぬ傑作ナンバーが収録されていて、当時はそれが楽しみだったのだ。 そのほとんどは期待を裏切らなかったが、 松任谷由実には稀に期待外れのアルバムもあった。 だが、一番大切なのはコレクションに欠番を作らないことで、 当時としては期待外れでもあまり気にならなかった。 そんな訳で、今回はサンタナの1976年に発表された 大ヒットナンバーの「Europa 邦題(哀愁のヨーロッパ)」を紹介する。 邦題の通り、哀愁を帯びたその旋律は、日本人が最も好みとするメロディーではないかと思う。 この曲をアルバムで採用したミュージシャンは、調べてみると、 これまでに採り上げたナンバーのなかでダントツに多く、 そのことはこの曲が多くの人に親しまれ、魅力のある曲である証であろう。 サンタナというバンドを初めて知ったのはラジオから流れていた彼らのナンバー「Oye Como Va 邦題(僕のリズムを聴いとくれ)」を聞いたときだった。 確かにこれまでにない独特...

わが家のハイビスカス 頑張ってます!

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最近は暗い話ばかりなので、今回はチョッと華やいだお話を・・・ 今年の春ごろにハイビスカスの鉢植えを二鉢買った。 ひとつは赤い花びら、もうひとつはピンクに黄色の縁取りのあるもの。 両方とも背丈40センチほどで、買った当初からつぼみがたくさんあって先が楽しみだったが、 反面、このまま順調に咲いてくれるのか、正直なところ心配だった。 ところが、梅雨の時期だったか、暫く咲かない日が続いた。 やはり心配したことが現実に・・・と思ったが、 それでも最近はこの夏の猛暑にも敗けず、連日元気に咲き続けてくれている。 きっと、ハイビスカスも夏本番に向けて英気を養っていたのかもネ。 少ない時でひとつ、多い時は下の写真のように5つも同時に咲いてくれて、 わが家のベランダはハワイ気分。 連日、私たちの目を楽しませてくれてます。 開花前日のつぼみの状態 2011年8月9日撮影 5つ同時に咲いたのは、これまでの最高記録! ところで、知ってましたか。 ハイビスカスの花はとても儚くて、その寿命は僅か一日だということ。 ハワイで見掛けるハイビスカスは、何時でも何処にでも咲いているから、 ひとつの花が何日か咲き続けているとばかり思っていたので、とても意外だった。 日陰の涼しいところならもう少し長持ちすると思うけど、 強烈な日差しの下ではほぼ一日が限界。 その代りに、バトンタッチするように次から次と健気に咲いてくれてます。 そんな初歩的なことも知らないでと笑われそうだけど、 ハイビスカスの一見華やかに見えるその陰に、 そうした儚さがあることを知り、益々この花が好きになりました。