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3月, 2023の投稿を表示しています

ATMの手数料を考える

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銀行の手数料について考える 久々に旅行でもと、ある大手旅行会社のサイトを開いた時のこと。 その会社では旅行に関する窓口相談で「相談手数料」の名目で料金を取るとの記載があり、 わが目を疑ったのですが、その後確認したところ現在は取っていないようです。 弁護士等の相談では30分幾らなんてよく聞く話ですが、ついに旅行会社までと一時は呆れはてた次第です。 こうした傾向は恐らく近い将来、どんな業態でも当たり前になってくるのではと、今から懸念しています。 例えば、先般コンサートのチケットをネットで購入したところ、システム利用料なる訳のわからない料金が加算されていて、更にはチケットのコンビニ受け取りで発券手数料まで取られる始末です。 Gerd Altmann による Pixabay からの画像 以前なら、コンサート会場の受付窓口へ取りに行けば料金は掛からなかったのに、今はそうした受け取り方はなく、一方的に廃止されてしまったようです。 顧客を無視したこうした対応はいたるところで行われています。 すべての操作を客に任せ、尚且つシステム利用料、発券手数料まで客に負担させるという、何とも不条理な構造には納得いきません。 ◆ かと言って、わたしはすべての手数料を否定している訳ではありません。 例えば、ネットでの買い物で支払う配送手数料。 これなどは、猛暑の中あるいは雨風の中、重い荷物を配達する配達員の苦労を思うと頭が下がります。私たちが支払う配送手数料のすべてが彼らに還元されるなら、配送手数料は大いに結構だと思っています。 これに対して、前述のチケット販売における諸々の手数料やこれからお話しする銀行系の手数料関係はあまりに高いです。さらに、現在の手数料が妥当かどうかの設定根拠も明らかになっていません。 そもそも手数料の実施経過を遡ってみれば、矛盾だらけで本末転倒であることがわかるでしょう。そこでこの手数料問題について、わたしのわずかな金融機関経験を基に、若干の見解を述べておきたいと思います。 銀行を取り巻く環境変化と手数料問題 現在、銀行の手数料体系は実に複雑です。例えばATMの手数料だけを見ても、同一銀行間、他行間、あるいは利用する時間帯、曜日等でそれぞれの銀行が独自の手数料体系をもっています。そのため、ここでは各銀行の詳しい金額体系は掲載できませんが、各銀行の無料時間帯、曜日以外では11...

「ラベンダー・ミストの女」に誘発されて

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「ラベンダー・ミストの女」 Richard Wyands Trio  リチャード・ワイアンズ・トリオ Ri Butov による Pixabay からの画像 僕はレコード、CDを買うときは所謂「ジャケ買い」が多いと,かねてからこのサイトで言ってきました。 それは今も変わりないことですが、今回紹介するアルバムもそんな流れから購入した一枚だったかも知れません。 リチャード・ワイアンズ・トリオの 「ラベンダー・ミストの女」 正直、いつ頃購入したかという記憶は残念ながらありません。 「そんな無責任な・・・」と思われるかも知れませんが、当時は、一枚をじっくり聴き込むというよりも、「コレクションする」という意味合いの方が強かったので、一枚一枚の印象が薄かったのです。 言い訳がましいと思われる方もいらっしゃると思うので、ここで、アルバムの紹介に入る前に、僕のレコード、CDとの接し方、想い、遍歴について若干お話ししておいた方が分かりやすいと思うので述べておきます。 僕の場合、 学生時代=レコードの時代 になるのですが、その頃は少ない小遣いの中からレコードを買っていましたから、そうたくさんは買えません。 ですから、当時は貴重な一枚を何度も聴き込んだモノでした。 (「レコードの溝がすり減るほど」といったオーバーな常套句もありました。) ところが、社会人になり、多少なりともお金に余裕(?)ができてくると、良いか悪いかは別にして、次第に「聴く」から、「集める」の方に意識がシフトしていきました。 新しいアルバムを買えばひとまずはレコードラックへ。 これが一つのパターンでした。 思えば買ってから一度しか聴いていないCDが何枚もあったのも事実です。 とにかく、好なアーチストのCDは出来不出来はどうであれ、欠かさず購入することが当時の僕の信条だったのです。(今問題になっている宗教的洗脳に近いようなものでしょうか) ユーミンやサンタナはある時点までは買い続けました。 クラシックのアルゲリッチもそうでした。 欠番(盤)があることは、自身の中では許されないことだったのです。 なんとも、信じ難いことですが、あの頃はこうした経験のある人は、僕だけではなくて沢山いたと思います。 余談ですが、こうした傾向が出始めたのは、僕が思うにビートルズのレコードからだと思います。 勿体ないと思う反面、「たかがCD(レコード)...

いつも、わたしのミュージックライフの中心にアルゲリッチはいた(第1章)

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やはりアルゲリッチについて語らねば Ri Butov による Pixabay からの画像 わたしがマルタ・アルゲリッチを初めて知ったのは、音楽之友社から出ている「レコード芸術」という音楽雑誌の誌上でだったと思う。 その頃、わたしは中学生で、正直なところこの雑誌は中学生にとっては高価だったはずだ。 そんな理由からかどうかわからないが、わたしは今は亡き母親からこの雑誌の件で酷く叱られた記憶がある。 雑誌の内容が原因で怒られたとは考えられないから、恐らく中学生には高価すぎて「無駄遣いをするな」と言う理由だったのだろう。 だが、今となっては正確な理由は闇の中だが・・・ そのときの「レコード芸術」誌上に載っていたのは、クラウディオ・アバドとプロコフィエフのピアノ協奏曲(図2)のレコーディングを行ったというレコードリリースの話題だったと思う。 それは彼女が1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクールで第1位になってから、数年経っての出来事だと思う。 図2 プロコフィエフのピアの協奏曲 そのときのグラビア写真には、長い黒髪に、どこか東洋的な雰囲気を漂わせたアルゲリッチがあったが、その近寄り難い神秘的魅力とは相反して、何故か親近感を覚えた記憶がある。 これまで彼女が日本人に愛され続けているのも、そんなところからくるのかも知れない。 さて、そのグラビア写真にはこんなコメントが添えられていた。 「若冠 *27歳の彼女はまだあどけなさをとどめている」 これについては執筆者とアルゲリッチと読者(この場合、わたし)の年齢によって、印象というか見方は如何様にも感じ取れる訳で、わたしの感想は、彼女の方が年上なので「あどけなさ」ではなく「年齢以上の大人の女性」だった。 自分とは一回りほどしか違わない年齢差でありながら、アルゲリッチは中学生のわたしから見ると、数段年上のお姉さんに当時は思えたのだ。 そして、この時からわたしのレコード収集という旅はアルゲリッチ中心となり、その長い旅はここからスタートすることになる。 更には、ブルーノ・ワルターやカラヤンなど指揮者を視点にしてきたこれまでのわたしのレコード選びが、この時から演奏者を重視する考え方に変わるターニングポイントにもなった。 * 「じゃっかん」 の漢字には他にも「弱冠」や「若干」など諸説があり、この投稿では当  時の雑誌記事表記をそのまま記載し...