投稿

3月, 2020の投稿を表示しています

あの頃、僕のCinema Paradiso:シンドラーのリスト

イメージ
シンドラーのリスト 「優れた映画音楽に駄作映画はない」 この映画は1993年に製作された作品です。 監督はなんと映画「ジェラシックパーク」などで有名なあの スティーヴン・スピルバーグ 。 ホロコーストを背景にした、実話に基づく作品です。 見どころはドイツ人実業家オスカー・シンドラーが当時のナチスドイツを相手に、 如何にして1000人以上のユダヤ人を救ったかということ。 危険を冒してまで何故にそんな大それたことを行なったのか、その目的は何だったのか。 当時のナチスドイツといえば、わたしがここで申し上げるまでもないことなので割愛しますが、全体主義体制下で権力に抵抗し、どのようにしてユダヤ人救済に結びつけたのかが、まずわたしとしては信じられませんでした。 とりわけ関心があったのが、実業家オスカー・シンドラーという人間が如何なる人物だったのかということです。 映画を観るまでのわたしの勝手な想像は膨らむばかりでしたが、 単なる美談、英雄談ではないかというわたしの先入観は映画の始まりと共に見事に打ち砕かれます。 公開から30年近く経っているので、ネタバレのご指摘は時効ということで、彼の人となりについて多少お話ししておきましょう。 ドイツ人の彼は実業家としての才能に恵まれていて、お金儲けには人一倍貪欲だったようです。いわゆる清廉潔白とは程遠い人物で、人の扱いについても長けていたのです。 当初、彼は率先してユダヤ人を自分の工場に雇い入れます。それは彼らを救うという目的ではなく、彼らユダヤ人なら低賃金で雇えるという損得感情が働いていたからで、自分にとって有利だったからです。 そんな彼を博愛(人を救けるという意味での)の行動に導いたものが何だったのか。 また、ナチス党の党員でありながら、党を裏切り何故あのような行動がとれたのか? それは、以外にも彼がナチス党員だったからこそ出来たのですが、 その辺りのことはブルーレイやDVDで実際に確認してみてください。 作品のテーマがあまりに重たいため、敬遠されがちなカテゴリーですが、観る価値は充分あると自信をもって言える映画です。 そんなわたしですが、実のところこの作品を観たのは僅か数年前のことでした。 それは公開から20年以上が経っていたことになります。 理由は自分でもハッキリしませ...

音楽について感じたこと<続編> 音楽の力について一言 

イメージ
音楽の力って何だろう? 最近、テレビで元YMOメンバーの坂本龍一氏が、東日本大震災の被災地慰問等でこの間多くの人たちが口にしていた「音楽の力」について、嫌う発言をしていたけれど、坂本氏らしいコメントだと思った。 そのインタビューのなかで「音楽が人々を救う」的な意識はおこがましいというようなことを言っていたように僕自身は受け取った。 実際のところ検証した訳ではないのでハッキリしたことは言えないが、音楽によって救われたとは言えないまでも、勇気づけられた人たちは被災地ではたくさんいたのではないかと思う。 坂本氏の発言は、当然そういったことを踏まえた上での、ミュージシャンとしての謙った言葉だと解釈したい。 当然に実績ある演奏家の彼だからこそ、発言できた許されるコメントだったのだと思う。 当時、ボランティア的発想で積極的に現地を訪問した芸能人やミュージシャンがいた中で売名行為と囁かれた人たちがいたことも確かだ。そうした混乱のなかでの彼らの行動は人々に明るい光を与えてくれたことは言うまでもないが、その一方で「音楽の力」のフレーズが異様なほどに繰り返されていたのも気になったところでとても残念だ。 最近の坂本氏の発言の背景にあるのは、ミュージシャンが異口同音に発した「音楽の力」の発言が時として「上から目線」的なニュアンスに受け取られかねないことに対する警鐘だったのだと思う。 「われわれはやってあげてるのだ」という微妙な驕りの心理が見え隠れしているのを坂本氏は察知し、それを嫌ったのかもしれない。 余談だが、昨今の日本のスポーツ界で多くの選手が口にする「試合を楽しみたい」というフレーズにも、上の「音楽の力」同様に僕としては違和感を感じてしまう。 元々は外国の選手がインタビューの際に口にしたフレーズだったのだろうが、本番に弱い日本の選手にとっては絶好の「おまじない」的救いの言葉だったのだろう。 当然のこととして、みな飛びついたのだ。 そこには「緊張せずリラックスして」といった意味合いが込められているのだろうが、「言うは易く行うは難し」で、実践されなければそれこそカッコ悪い。 これもまた、音楽界同様にスポーツ界に蔓延しているトレンド用語で、誰もが使ってしまうと滑稽としか思えない。 話を本題に戻すことにしよう。 確かに、これ...

音楽について感じたこと ~独断と偏見的考察~

イメージ
このところ、懐かしのメロディーにハマっている。 と言っても演歌ではない。 懐かしのスクリーンミュージックである。 「黒いオルフェ」、「いそしぎ」、「ムーンリバー」、「太陽がいっぱい」など挙げればキリがないが、当時リアルタイムで劇場で観た映画ではないが、この時代の映画音楽のインパクトが強い。 それは何故かといえば、とても単純なことで、どれもゆったりとしていてメロディーが綺麗だからだ。所謂癒し系で僕たちを快適にしてくれるからだと思う。 こうした曲は映画ファンのみならず、多くの人たちに知られ、映画挿入曲の域を脱して、所謂スタンダードナンバーとして世代を超えて音楽ファンに愛されてきた。 そんな懐かしのスクリーンミュージックを再び聴いてみようと思ったキッカケは、最近耳にする曲の無味乾燥さを痛感するからだ。 まず残念なのは、そのメロディーの貧弱なこと。 何とも掴みどころのない平凡な旋律で、これと言った特徴もなく、どれも同じように聞こえてしまうのは僕だけだろうか。 そして何よりも気になるのが、曲の流れが唐突で不自然なこと。 高い音、低い音の移り変わりが極端で、曲の展開に無理を感じてしまうことだ。 楽器演奏ならまだしも、ヴォーカルの入った曲となると、ミュージシャンの声量(歌唱力)にもよるのだろうが、高音域などは声がかすれて聴いているこちらの方が息苦しく感じてしまう。これでは僕たちはリラックスできない。 チョッと良い曲だなと思ってみても、以前どこかで聞いたメロディーに似ていたりして、忽ち興ざめしてしまうことなどもある。 錆びついた表現になってしまうけど、鳥肌が立つような、胸が熱くなったり心躍るようなときめきを感じることはその手の曲からは決してない。 その昔、ビートルズの「ガール」や、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」を初めて聴いたときの衝撃はいまも忘れない。理屈抜きに感動し憧れたものだった。 自分もこうした曲を作ってみたいとか、演奏してみたいとかの憧れ。 たとえそれが実現できなかったとしても、こうした感動を体感し、辛いこと苦しいことを僕たちは音楽とともに乗り越えてきた経験をもっている。 そして、そうした思いを僕たちに感じさせてくれたのが、当時の個性溢れるメロディーと楽曲の素晴らしさだったのだと思う。(注1) ...