How's everything? COFFEE BREAK: Gilbert O'Sullivan 「At The Very Mention of Your Name」 from ALBUM「In The Key Of G」 (1990)
In The Key of G
Gilbert O'Sullivan
01.Lost a Friend
02.At the Very Mention of Your Name
03.What Am I Doing Here with You
04.If I Start with the Chorus
05.So What
06.The Way Things Used to Be
07.I Don't Trust Men with Earrings in Their Ears
08.Gordon Bennett
09.To the Extreme
10.Stick in the Mud
(iTunesにはアルバム「In The Key of G」はありませんが、下記ベスト盤で当該曲を聴くことができます。)
「アローン・アゲイン」や「クレア」の成功により順調かに見えたギルバート・オサリバンの音楽活動も、目指す音楽の方向性の違いなど当時のプロデューサーとの確執から活動休止を余儀なくされる。
このアルバムはそんな彼の暫くぶりにリリースしたオリジナル・アルバムである。
長い沈黙からのある意味「再起」を賭けたアルバムだっただけに、自他ともに注目されたが、結果は期待したほどではなかったようである。
音楽的方向性は初期の彼のものと基本的には変わっていないと思うが、新しいことへの挑戦という彼なりの意気込みが全体的に感じられるアルバムである。
と、わたしは思っているが、当時はそう思わない意見もあったようだ。
彼のファンは比較的マニアックで熱狂的信奉者が多いことで知られる。だが、このアルバムに関しての評価は賛否両論あって、残念ながら「否」の方が多数派だったようである。更に悪いのは、頼みの綱である信奉者による評価が良くなかったことで、この結果はその後の彼の音楽活動に大きく影響したのではないかと思われる。
その要因としては、「アローン・アゲイン」、「クレア」を含め、それ以前のアルバムへの評価があまりに高く、そうした作品とこのアルバムとのギャップに違和感があったからだろう。ファンとはある意味残酷で、お気に入りのミュージシャンの最初のイメージに固執する傾向があり、その反面マンネリズムを許さないところもあったりして、なかなか厄介な存在である。この場合、新しい試みは完全に裏目に出たと言える。
これ以降も彼の音楽活動は続く訳だが、ご存じのように以前のような大ヒットは生まれず現在に至っている。
そんな状況からか、彼を「一発屋」的に評価する人たちがいるようだが、わたしは決してそう思わない。彼の音楽性は何ら変わりなくて、彼の創りだす作品群は依然として独創的で高水準にあると思っているからだ。これまでに彼がリリースしたオリジナル・アルバムを聴けばそのことは直ぐに判るはずだ。
「アローン・アゲイン」や「クレア」以外にも、彼のアルバムには輝きのある優れた作品が数多く含まれている。この2曲の存在があまりに大きいがために、私たちは彼の他の曲をじっくり聴く以前に、ある種の拒否反応が先行してしまい正当な判断ができていないのかもしれない。
あるいは「我々聴く側の音楽的センスが彼に追いついていないのでは」と時々思うことがあるが、それを裏付ける作品のひとつが今回紹介している「At the Very Mention of Your Name」という楽曲である。当時のCDのリーフレットによれば、邦題は「君との思い出」となっているが、歌詞を見る限り思い出というニュアンスは私には感じられなかった。寧ろ、今もなお愛しい人を想い続ける現在進行形のラブソングのように思える。因みに直訳なら「君の名前に言及しただけで」ぐらいが適当ではないかと思うが、彼の歌詞は全般的に難解なものが多く、われわれ外国人がその真意を理解するには相当な語学力が必要である。
何れにしても、彼のメロディーメイカーとしての才能がここでも充分発揮されていて「ギルバート・オサリバンの世界」に惹きこまれていくのである。我々はただただ、そうした彼の心地よいサウンドに耳を傾けていれば充分なのだと思う。
先述したように、アルバムとしては正当な評価を得られなかったが、収録曲ひとつひとつの作品レベルは依然として高い。デビュー以降、彼の生み出す楽曲イメージと彼の声質などから、当時、ビートルズのポール・マッカートニーと対比されたのも頷ける。ポールはビートルズという音楽仲間(ライバル)とともに活動し、互いに刺激し合いながら数々の優れた曲を生み出した。それはメリット・デメリットはあっただろうが、ある意味恵まれた音楽環境にあったからと言える。それに対しギルバート・オサリバンの場合は「一匹狼」で、刺激し合う仲間はいなかったのである。そう考えると、彼のシンガーソングライターとしての実力は、ポールに匹敵すると言っても過言ではないように思えるのだが・・・
故に、わたしとしては彼のことを「一発屋」と絶対に呼んでほしくないのである。
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