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3月, 2013の投稿を表示しています

ロジクールの対応に失望

キーボードやマウス、無線機器などのパソコン周辺機器メーカーとして知られるロジクール。 先般この会社のトラブル対応には非常にがっかりした。 ことの発端は2011年11月にネットにてゲーム用ハンドル「ドライビングフォースGT」を購入したところまで遡る。息子がプレステ3のF1ゲーム用に買ったものである。 ところが使用から3ヶ月ほどでシフトの上げ下げをするボタンが機能しなくなった。 (その当時ゲーム仲間にも同じ場所が故障したというケースを聞いてはいたのだが・・・) その時は当該メーカーのカスタマーリレーションセンターとのメールのやりとりで、修理ではなく新しい製品との交換という対応をしてもらった。 この時は製品そのものに多少の不信感はあったものの、敏速な対応にこちらもある程度好感を持った。 だが、そうした感情も長くは続かなかった。その時送ってもらった代替品がまた保証期間の一年経たずして再度壊れたのである。 それも以前とまったく同じ部分がである。 実際の車の世界なら当然「リコール」対象ではないかと思わせるほどのズサンな製品である。 以前の息子の友人の話が思い出され、非常に腹立たしかった。 早速、カスタマーリレーションセンターに電話連絡したが、この手の電話にありがちな待たされ状態が続いたため、以前同様メールでの問い合わせに切り替えた。 ところが、返ってきたメールの回答を読み呆れ果てた。 その返信メールには通り一辺倒の簡単なお詫びの後、次のような文面(先方から送られた文面そのものを記載)が続いた。 【ロジクールは、正規品の当初の購入者に対し、購入日から、製品パッケージ および/または保証書に記載されている保証期間につき、ロジクールのハード ウエア製品の材料および仕上がりに欠陥がないことを保証します。】 とありますように、当初のご購入日よりの起算になります。 2011年11月7日ご購入でございますので、今回は保証対応させて頂けません ので、ご了承願えればと存じます。 以上が回答だった。 確かに、購入日から2回目の故障までを通算すれば1年4ヶ月ほど経過していることはこちらも承知の上である。 その意味では多少「虫のいい話」と思いつつ、今回の問い合わせに至ったが、こちらが問題にしているのはそんなこと(今回のケースが1年を経過しているかどうか)で...

アップルのサポートページが印刷できないのは・・・

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日頃、参考にしているアップルのサポートページ。 これまでは、画面上の閲覧で何とか問題を解決できていたので気が付かなかったが、 実はwindowsの標準ブラウザであるインターネット・エクスプローラ(以下IE)で開いた場合、このページを印刷できないことが分かった。 はじめはPCの操作タイミングが悪かったのか、何かの加減でエラーになったのではと思い、何度か同じページの印刷を試みたが結果は同じ。 PCの再起動も試したけれど、同じエラー画面(図1)が出て、それ以降はこのエラー画面さえクローズできない状態になってしまう、何ともタチの悪いトラブルに見舞われた。 (図1 印刷ボタンを押すと出るエラー) この現象、すべての方に当てはまるのかどうかわからないが、私のケースに限って言えば、原因は「IE」にあるようだ。一部にアップルのサポートページの作りが悪いという考え方があるようだが、それは的外れのように思う。 何故ならグーグルの「Google Chrome」や「Firefox」などのWEBブラウザで開いた場合には、正常に印刷できるからだ。 勿論アップル製の「Safari」は問題なく印刷でるだろう、と安心していたら私のiMacは例のレインボウマークがクルクルと回り出し何やら怪しい雲行き。でも、印刷までにしばらく時間はかかったものの無事印刷はできた次第。 その他のブラウザでは試していないが、少なくとも3種類のブラウザで印刷できたのだから、この事実は重く受け止めるべきだと思う。 ところで、このようなWindowsとMacが絡むトラブルの場合、どちらに改善を求めるべきなのだろうか。「そもそもMacに関する調べごとをWindowsのPCで調べるな!」といったご批判の声が聞こえてきそうだが、私同様に両社のPCを愛用しているユーザーはたくさんいるはずだ。 こうしたケースは決してレアケースではないと思うのだが、如何なものでしょうか。 この種のトラブルを検索するとかなりの数ヒットする。そして、それらを見るとかなり前からの根深い問題のようで、現状は一向に解決されていないようだ。 この間「IE」もこまかなアップグレードがされているはずなのに、この件に関しては残念ながらスルーされているようだ。アップル側も、「IE」に対応するようなサイトの改善をいっこうに試みていな...

あれから2年

今年もつらい花粉の季節がやってきた。 そしてこの季節になると思い出されるのがあの出来事。 2011年3月11日の東日本大震災から2年である。 この2年間という時の流れを「もう」と感じるか「まだ」と感じるかは人それぞれであろうが、 確かなのは、そうした時間が経過したという事実。 マスコミやテレビ各局は、それぞれ特集番組を放送し、2年間をふり返っていたが、 その映像を見て、あの時の恐怖がよみがえり、悲痛な思いをされた方も多かったのではないだろうか。あまりのことの大きさに、どんな言葉も被災者の方にとっては慰めや説得の言葉には値しないのでしょうが、気持ちだけは挫けず前向きであってほしいと思っています。 人間は経験から学び、記憶するという素晴らしい能力を他の生き物以上に持っていますが、 その一方で、忘れるという能力も持っていて、人間の特徴にもなっています。 今回テレビの特番を見ていて、その忘れるということがほんの少しできたら、 ご自身の気持ちがいくらかでも楽になれるのではと感じたシーンをたくさん見たように思います。 でも、そのためには2年という月日は「まだ、まだ」なのかも知れません。 「憤懣やるかたない思いを消し去ることなんて、そう簡単にできる訳ないだろう!」とお叱りの声が聞こえてくるようで反省した次第です。 半年前、この場で「東日本大震災から1年半、被災地は今・・・」という記事をおこがましいと思いつつ書きました。 その時の統計数字と比べ、現在の数字がほとんど変わっていないことに愕然としました。 一方、最近になって「大型の漂流がれき」が太平洋を渡り北米大陸へ漂着というニュースを耳にします。 新たな問題がまだうまれているのです。 2年経ったいまも、この災害は終わっていないのだと改めて実感した、震災から2度目の3月11日でした。 (2月27日現在) 死者  15,880人 行方不明者  2,694人

「hao123」にみる昨今のパソコン事情

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最近、パソコンを操作していて、予期せぬアプリケーションや見知らぬツールバーがいつの間にか鎮座しているのに気が付いたという、そんな経験はありませんか。 今回はその手の話題をひとつ紹介し、最近のパソコンの使いづらさについて触れたいと思います。 これが問題の「hao123」の初期画面 先般、WinZip試用版をソフトウェア紹介サイト「Softonic」からダウンロードした際のこと。 その時は「WinZip」をダウンロードし、インストールも問題なく終わり、当該の圧縮ファイルも解凍でき、無事ファイルを開くことができました。 ここまでは順調でした。 しかし、この段階では気付かなかったことですが、その後WEBブラウザ(IE)を開くと、起動ページがこれまで設定の「Nifty」ポータルサイトから、 何やら訳のわからぬ「hao123」というページに変更されているではありませんか。 多少焦りました。 これまでの経験から直前の作業が原因であることは察しがつきましたが、タイミング的にどこがマズかったのかハッキリしません。 そこでネット検索したところ、多くの人たちが既に私と同じ経験しているではありませんか。 そうと判ると幾分落ち着きました。 「赤信号みんなで渡れば・・・」の心境でしょうか。 その中で、参考になる記述を発見。 いま無料通話「LINE」が話題の「NAVER(ネイバー)」のサイト。 お蔭で無事対処できた次第です。 それによると、やはり「Softonic」からの「WinZip」ダウンロード、インストールの際に、セットで自動的にインストールされたようです。 この時、インストールの途中で「hao123」を同時インストールすることをほのめかすメッセージがあったらしいのですが、そのメッセージを見逃したらしいのです。 この点については当方にも非があったことは素直に認めるところですが、 よくあることとは言え、あまりの姑息な手段に呆れるばかりです。 実は、この「hao123」というナビサイト、日頃必要とするサイトがランチャー的にまとめられている。 いま流行りのWindows8初期画面のような画面構成。 言い換えれば、「お気に入り」をWEB画面いっぱいに画像化したようなものだけど、意外とコンパクトにまとめられていて、慣れたら結構便利かもと...

バン・クライバーンを偲んで

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「世界的ピアニスト、米国のバン・クライバーン氏死去」という記事を2月28日に読んだ。 最近、幼いころからの憧れの存在、あるいは私自身のその後に大きな影響を与え、大袈裟に言えば方向付けをしてくれた有名人たちが次々と逝ってしまう。 ピアニスト、バン・クライバーンも私にとってそうした人のひとりである。 アンディー・ウィリアムスのときもそうだったが、その度に「いつの間にか多くの時が流れたんだなあ」という実に当り前の事実に圧倒されている。残念という気持ちは勿論だが、それ以上に人生の儚さを身をもって実感する。 当時、クラシック音楽に興味をもち、その後のライフスタイルにクラシック音楽鑑賞という掛け替えのない趣味を授けてくれたのも、ある意味ピアニスト、バン・クライバーンのお蔭といっても過言ではない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の存在を知ったのもクライバーンのLPレコードからである。 針を下した瞬間、スピーカーから聞こえてきた音楽は、スケールの大きな堂々とした曲で、その時は只々圧倒されるばかりだった。それまで聴いていたクラシック音楽と較べても、メロディー、響き、臨場感すべてに於いて新たな発見だった。この曲が持つ豪華さに加え、クライバーンのスケールの大きな演奏が更なる華やかさを演出していたのだと思う。 「クラシックという玉手箱にはまだまだこうした名曲がたくさん隠れているんだ」と少年の心が期待に胸ときめいた瞬間だった。 思えば、1958年のあの出来事。当時、6歳程だった私はリアルタイムにあのニュースを知ったという記憶は勿論ない。知ったのは、恐らくだいぶ経ってのことだろう。ただ、幼少のころからクラシック音楽には少なからず興味はあったので、子供ながらにその出来事に感動したのだと思う。 東西冷戦下のソ連で1958年に創設されたチャイコフスキー国際コンクール。その栄えある第一回大会で米国のピアニスト、バン・クライバーンが最初の優勝者になったという出来事。 あまりの演奏の素晴らしさに、ソ連の審査員も満点を付けざるを得なかったというエピソードさえある出来事である。 当時、幼い子供の目から見て、米国は大きく、カッコ良く、寛大ささえ感じる憧れの国だったから、私自身には対岸の出来事とは思えなかった。ピアニスト、バン・クライバーンの...