クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)氏を悼む

イタリアの指揮者クラウディオ・アバド氏が今月の20日に亡くなったという。
クラシック界にとってはまたしても真の巨匠を失ったことになる。
2000年の胃がんの知らせから、一旦は回復したかに思えた病状も確実に進行していたのだ。
その痩せ方から尋常ではないと思いつつも、昨今の医学の進歩と復帰後の音楽活動の様子をメディア等で知り「まだまだこれから」と期待していただけに、今回の訃報は衝撃だった。



私が指揮者クラウディオ・アバド氏を知ったのは、アルゲリッチのピアノでロンドン交響楽団を指揮したショパンのピアノ協奏曲第1番のレコードだった。
今でこそCDという媒体で聴いているが、その時の感動は何ら変わることはない。

レコーディング当時、アルゲリッチ26歳、アバド34歳という、まさに将来を約束された若き二人の眩しいばかりに輝きを放つ名盤中の名盤である。このアルバムは当時24歳にしてその天才ぶりを発揮し、ショパン国際ピアノコンクール第7回を征したアルゲリッチが名門ドイツグラモフォンと専属契約後に録音されたものである。時の人であったアルゲリッチに対し、当時アバドはカラヤンに見出されていたとは言え、まだ無名に近い存在だったと思う(少なくとも当時の私にとっては)。

それまで、フルトベングラー、ブルーノ・ワルター、フリッツ・ライナーといった大御所のレコードを主に聴いていた私としては、アバドの演奏はどこか頼りなさを感じたものだが、それは単なる若手という先入観(偏見)からきていることにすぐに気が付いた。
何度も何度もこのレコードを聴き、ショパンの協奏曲はこれ以外考えられないとまで傾倒していた時期もあったほどで、それ以来二人の大ファンになってしまった。アルバムジャケットは流石二人とも若い。


1968年2月録音、ショパンのピアノ協奏曲第1番
当時としては何気ない一枚だったが、今はかけがえのない一枚にである。


このジャケット写真ではアバドは一見気難しそうな人柄に思えるが、彼の人間性や音楽家としての評判は極めて良く、カラヤンのような独裁的イメージはまったく感じられない。音楽一家に生まれた育ちの良さに由るところが大きいのだろうが、そんなところも彼の魅力のひとつではないだろうか。ウィン・フィルをはじめとしてオーケストラとの確執は多少あったようだが、それは飽くまでも音楽的方向性の違いからであって、ポストを巡る争いや権力といった政治的野心とはまったく程遠い人であったようである。それは彼の指揮した多くの演奏からも感じ取ることができる。

ところで、彼はコンサートに於いては暗譜を基本にしていたようだが、それは彼なりの楽曲への敬意の表れであって、彼の考え方をオーケストラに押し付けるというものでは決してなかった。
むしろ彼のオーケストラへの対応は極めて民主的で協調性を重んじる姿勢であったようである。
暗譜は彼にとっては当然のことであり、几帳面で研究熱心な彼の人間性の表れと同時に、演奏に集中するための必要不可欠な手段だったとも言える。

正直なところ、ベルリン・フィル在籍時のアバドに対する評価は賛否が別れるところだが、そもそもこの評価自体に厄介な問題が含まれているように私には思える。何故なら、いやが上にもその問題には「カラヤンとの比較」という途轍もなく大きな難問が必ずつきまとうからだ。それはある種のプレッシャーでもあり、時として冷静かつ公平な判断の邪魔にさえなっている。更に芸術的評価となると「日展」の問題の時でも触れたように、極めて主観色が強く私ごときの手に負えるような問題ではないからだ。チケットやCDのセールスといった具体的な基準に則れば、当然カラヤンに敵う指揮者はいない訳で、結論は至ってシンプルに治まるが、果たしてそれで良いのかという疑問は残る。
ベストセラーが必ずしも優れた作品とは限らないのと同じように・・・

このように、カラヤンの後継として名門ベルリン・フィルの音楽監督になったことから、とかくカラヤンと比較され「カリスマ性に欠ける」とか「地味」といったマイナスのレッテルがアバドに貼られることが多かったが、そのことは彼の音楽的評価とは全く別物であって正しい評価とは言えない。

現在のクラシック音楽界に於ける彼の存在感、功績は改めて言うまでもなくカラヤンに勝るとも劣らぬものであって、けっして色褪せることはないだろう。それはベルリン・フィル辞任後の彼の精力的な音楽活動を見れば明白である。彼の消えることのない音楽に対する情熱は次世代の音楽家へと確実に受け継がれていることは紛れもない事実なのだから。

チャイコフスキー交響曲第5番
1994年2月の録音なのでベルリン・フィル音楽監督在籍中のアルバムである。
チャイコフスキーの5番の中ではムラビンスキーに次ぐ名演だと思っている。

80歳にして胃がんという病魔に屈したことは、彼自身にとっては極めて不本意だったに違いない。
恐らく死の直前まで、彼の胸中には自身が目指す音楽への壮大な構想が限りなく拡がっていて、彼なりに果たしたかったことは、まだまだたくさんあった筈である。。

80歳といえば現代の音楽家としては若過ぎる死であり、自身にとっても無念の極みだったであろうが、我々ファンも同様の思いであることに変わりはない。彼が抜けた後の巨大な空洞(虚しさ)を埋めるには相当の時間が掛かりそうである。

あのショパンのピアノ協奏曲第1番第1楽章のテーマが、今ほど哀愁を帯びて切なく感じられるのは決して偶然ではないと思う。
今はただ指揮者クラウディオ・アバドが我々に残してくれた数々の名演奏にひたすら耳を傾けるしかない。そうすることが、心を落ち着かせるための私が思いつく唯一の方法だからである。





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