放課後

もう何年も前のことである。
母校である小学校の校舎が取り壊されたという話を、実家に帰ったとき母親から聞いた。
それまで卒業した小学校のことなど気にも留めていなかったが、
かつての建物が今はもう存在しないのかと思うと、
その時何とも言えぬ寂しさと残念な気持ちでいっぱいになったことを思い出す。

卒業したのは1965年3月のこと。
もう45年以上の時が流れたが、その雄姿は今でも忘れない。
名前は「大鳥小学校」、横浜市中区本牧にあった市立の小学校である。
歴史を感じさせるその建物はその名の通り、
鷲が大きく翼を広げたような左右対称の形をし、どっしりとして風格があった。
戦時中は病院として機能したようで、
その面影は中央部分に長いスロープが階段代わりにあったことからも窺えた。

私の真に勝手な考えだが、
校舎とは、すべての卒業生の6年間の思い出がぎっしり詰まった箱ではないかと思う。
その箱が無くなるということは、
取り壊しの瞬間、預けていたすべての思い出が消えてしまったに等しく、
とても悲しい出来事である。
老朽化のため、取り壊しは致し方がないこととは言え、
新たな校舎では決してその代用にはならないのだ。
そう考えると、廃校を経験した方々の無念の思いは、
私たちの比ではないことが容易に想像でき、改めて胸が痛む思いである。

とは言うものの、私自身、小学校時代の印象も思い出も良いものはあまりなかったように思う。
振り返ってみても、運動会、遠足、学芸会などのメインイベントのことは、
正直あまり覚えていない。
授業中に教師に叱られた記憶はいくつかあるが・・・

それよりも放課後の校庭で、遊び疲れた私にやさしく帰宅を促してくれた校内放送の方が、
不思議と心に残っている。
ただ、当時の私の関心は、そのアナウスの内容ではなく、
バックに流れているチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」であり、
ドヴォルザークの「家路」だったのだが・・・
夕暮れの校庭に流れるそのメロディーはちょっと寂しい感じだったが、
その時の情景にピッタリで、私の心に訴えかけているように思えた。
いつまでもその場で聴いていたいと思った。
メロディーの美しさも然ることながら、
そうした雰囲気が私にはとても心地よく感じられ、大好きだった。
クラシック音楽に目覚め、憧れを抱いたのもこの頃と記憶している。

コメント

< これまでによく読まれている記事 >