ブログ「ノスタルJD」開設にあたって

幼いころの記憶というのは
普通どのくらいまで残っているのだろうか。
私自身のことで言えば三歳くらいまで
辿れるように思うが、勿論、断片的な記憶だけである。
そのひとつにこんな記憶があるので紹介しよう。

私は横浜生まれの横浜育ち。
今に至るまで何度か引越しをしたが、
そのエリアは横浜を出たことがない。
いわゆる典型的な「ハマッ子」である。
当時の住まいは中区の麦田トンネルの真上辺り、
「山手」と呼ばれている地域にあった。
その住まいは父の勤務先の寮であったと聞いている。

山手といえば高級住宅地を想像するが、
私の家族がすんでいた寮はそんなのとは程遠い木造建ての質素な建物だった。
そして覚えているのはここでの生活の断片である。
付近には、不気味なほど木々に覆われた森のような場所があり、そこで友達と遊んだこと。
教会があったこと。
外人が多かったこと。
近所の人に怒られたこと。
誉められたこと。
こうした記憶が三歳ころのものであり、私が最も遠く遡れる、何故か忘れられぬ記憶だ。

記憶のメカニズムについて詳しいことは解らないが、
どうやら強烈な出来事だから記憶に残るとばかりは言えないようである。
何気ない日常のひとコマの方が、むしろ記憶に残るということはあるのかも知れない。
恐らく、こうして記憶に残った出来事は、その人間のその後の人生に多少なりとも影響している事象であったはずだ。

ある記憶だけがどうしていつまでも心に残っているのか。
それを追及することはとても興味深い。
過去の経験・体験がその人の人間形成に関係する重要な要素と考えれば、
この記憶の問題も何となく理解できるような気がする。
同じ経験をしても人それぞれ受けとめ方が違うように、記憶もまた異なる。
その記憶の積み重ね、集合体がその人の歴史であり人生と言える。

現在、私は世に云う「アラ還」の年代である。
体の至るところ「ガタ」はあるものの、
体力も頭の方もお陰さまで何とか平均点といったところである(独自の判断)。
しかし、不幸は突然やってくるもの。
備えは万全でなければと思っている。
高齢化社会にともない「老人の認知症」が大きな社会問題になっている昨今、
自分にはまだ早いと安心できる保障などどこにもないのも事実である。
そろそろその準備をと思い、自身にとって大切な記憶、貴重な経験を整理し、
記録しようと思ったのである。
その手段として思い立ったのがブログ「ノスタルJD」の開設だ。

JDとは私のニックネームである。
由来はどうあれ、響きが良いので気に入っている。
ブログのネーミングではかなり迷った。
いくつか候補が挙がったが、結果的には「ノスタルJD」で落ち着いた。

ノスタルジーと云うと、とかくマイナス志向でネガティブなイメージが強いが、
当ブログが目指すのは、「むかしは良かった」的な過去への回帰、郷愁ではない。
セピア色のエピソードに潜む教訓やその時々の実感を伝えていきたいと思っている。
そして、それが未来への私なりのメッセージになればとささやかながら願っている。
一個人の他愛のないメッセージである。
同世代の方には、多少なりとも賛同いただける部分もあるかと。
そして、別の世代の方には理解できないまでも、参考になればと期待する次第である。

コメント

< これまでによく読まれている記事 >